すこしイヤな夢を見る
私はそんなに不幸ではない。そうかなと前々から思ってはいた。昨日の朝、かつて私の部下で今はシカゴに住んでいてとても偉くなっているT君とLINE 通話した。T君は「〇〇さん(私のこと) はすごく幸せだと思います! 」と言う。どうも本気で思っているようだ。
そうか。やっぱり私はそんなに不幸ではない。それなのに私はほとんど毎晩嫌な夢を見る。うなされるほど怖い夢ではない。ただ何か落ち着かない「イヤーな感じ」の‥ そんなヤツ。
「約束の時間に間に合わないよー」「何で体が抜けないのー」「出口はどこよー?」「どうやって行くか思い出せないよー」みたいな夢。会社員時代の知り合いがキャスティングされていて、もどかしいストーリーが延々と繰り返される。そして夢を見ながら「これは夢だな」と薄々気付いている。
もうすっかり慣れているので深刻ではない。何故こうなったのか‥ その原因は深層にいる『不安』であることは間違いない。他人(ひと)に聞いてもらうつもりもなかったが、本文の流れ "行きがかり上" 的に "それ" について書いてみる。
note にはもう何度も書いたが、私は2年前急に仕事を辞めた。大学を卒業して以来初めて名刺を持たない身になった。どこにも所属せず肩書も無くなった。コロナ禍で続く自粛生活、細君がやっている仕事を手伝ってはいるが、私にできることは限られていて貢献度は極めて低い。こんなことでいいのか‥ という不安。
仏教用語に「生老病死」(しょうろうびょうし)という言葉がある。人間の「四つの苦」を示している。ここで言う「苦」は「思い通りにならない」という意味。「生まれること 老いること 病むこと 死ぬことは、思い通りにならないし、避けられないんですよ」と説いている。
昨年正式に前期高齢者に認定された私に、「老病死」の「三つの苦」が暗い雲となって立ち込める。「老病死」は思い通りにはならないことなのだが、できることなら抑制したい。先延ばしにしたい。どうしたらいい‥ これがもう一つの不安。
そんな私は、"老い方" "病み方" "死に方" について何ら明確なビジョンを持っていない。ただただ怖がって考えることを避けている。「三つの苦」に漠然と不安ばかり膨らませていた。ちゃんと向き合っていなかったし「三苦」に対する「覚悟」が無いと言わざるを得ない。
昨日の朝「noteに何書こうかなあ」と机を前に悩んでいたところに、シカゴのT君から架電。T君の言葉がキッカケで "オチ" の目途も無いまま書き進めたこの作文は、結局私の反省に行き着いた。最近はこんなことが多い。
(考え事をすると自分の至らなさに気付き最後は反省して終わる。)
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私の少しイヤな夢は、ここに書いた二種類の『不安』が原因でしょう。今回図(はか)らずも、しっかり吐露してしまいましたが、書くことで頭の整理ができました。すぐに不安を振り払うことは難しいでしょうから、しばらくは毎晩出てくる "ちょっとイヤーな夢" に付き合っていきます。
< 了 >
P.S. タイトル画像は、中国の地方都市に新しくできた新幹線(高鉄)の駅の構内です。竣工直後に訪れました。一階に人影は見当たらず、床や天井はピッカピカに磨き上げられていました。迷宮に入り込んだようで不安になり、眩暈(めまい)がしました。街の規模にそぐわない巨大で豪華な駅舎は、中国でトレンドと聞きました。いったい誰の見栄なんでしょうか。
今回のテーマ「イヤーな夢」からの発想で採用しました。
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