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【イベントレポート】メタバースのカオスイベントからクリエイター経済圏について考える【猫不足きゃりこ展】

 去る3月10日、メタバースプラットフォーム「cluster」にて、イベント「猫不足きゃりこ展 ~猫が不足したきゃりこはどうなってしまうのか?~」(以下、猫不足きゃりこ展)が開催された。

 VR Singerの猫日和きゃりこ氏(以下、きゃりこ氏)から「猫が不足している」というテーマで作品を広く募集し、出品された制作物を展示するという趣旨のイベントだ。日頃からメタバース内で様々な活動をしているクリエイターらや、平穏にバーチャル生活を送っている一般のユーザーまでもが作品を制作し、当日は多くの来場者がメタバース会場へ参加した。

 出品者は21名、集まった作品点数はそれ以上を超え、さらには音楽や歌詞形式で投稿された7作品を きゃりこ氏がステージで歌うという、ちょっとしたワンマンライブ要素もあり、当初1時間ほどで終了を予定していたイベントは3時間を超える、大ボリュームのお祭りとなった。今回の記事では筆者も参加したこちらのイベントのレポートを書くとともに、メタバースにおけるクリエイターらのモチベーションに火をつける鍵と、そこからクリエイター経済圏をどう創出していけるかについて考えてみた。

 以下、イベント概要・イベントレポート・クリエイター経済圏への考察の3部でご紹介する。なお、ここで紹介する写真に写る作品の著作権は全て作者に帰属する。


イベント概要

スタッフの紹介

ステージ左から かわしぃ氏、猫日和きゃりこ氏、てつじん氏。かせー氏はカメラオペレーターのため透明になっている

 主催者は精力的なイベンター活動を続ける てつじん氏。日頃からハイテンションでカオスなイベントを連発する氏に、作詞作曲・MIX・歌唱・デザイン・動画制作など全てを一人で行うVR Singerの きゃりこ氏が巻き込まれた形だ。会場制作は「第48回日本ハンドボールリーグ オムロンピンディーズvs三重バイオレットアイリス」のメタバース観戦会場の他、「メタバースイベントコミュニティCLUSTARS」のイベントステージなど、メタバース空間の制作を手掛けている かわしぃ氏。配信用カメラのオペレーターは、先日一周年を迎えた定期イベント「cluster自衛隊体操部」の配信用カメラマンを毎週に渡り務める かせー氏だ。本イベントはこうしたメタバース上での活動歴や実績のあるユーザーらの手によって作り上げられた。

企画誕生の経緯

 そもそも事の始まりは、てつじん氏が雑談中にふと「猫不足きゃりこ」という単語を思い付いたことから始まったそうだ。「猫日和きゃりこさんから猫が不足するとどうなるのか? そういう作品を募集しようぜ」という企画でイベントはスタートした。そして雑談の場に居合わせた かわしぃ氏が会場制作を申し出た。そしてイベントの趣旨と作品募集の説明会を開いてから2か月ほどの募集期間を経て、いよいよイベントが開催された。

イベントレポート「我々は何が不足し、何が足されているのを目撃したか」

 3時間に及んだイベントは、大きく分けて5部構成で進行した。まず2階の展示物を見て回る鑑賞パート1、次に投稿された楽曲の一部を きゃりこ氏がステージで歌う歌唱パート1、そして1階の3Dモデル作品を見る鑑賞パート2、その後ステージで再び楽曲作品を歌う歌唱パート2、最後に かわしぃ氏の制作した会場の仕掛けでストーリーの展開するクロージング劇パートで終了した。以下は各パートでの展示と、それらが合評された様子を紹介する。

鑑賞パート1

 円形の展示会場は、写真やイラスト等が展示された2階がカーブ上に続いており、端から順に てつじん氏が作品を紹介しつつ、きゃりこ氏や かわしぃ氏がコメントを述べ、イベントの参加者がそれについて回る形式で進んだ。作品のモチーフや主題は、例えば「飲み屋の女将が資金不足」「猫まみれの風呂に入ってみたが、思ったより猫が足りない」「ロボット化」「犬化」「きゃりこ氏出演のイベントを見に行こうと思って寝坊した際のスクショ」など、様々な作者が様々な解釈でのびのびと「猫不足」を表現しきっており、クリエイターの思考・志向の多様さに驚かされた。

 スタッフの3人をはじめ、参加者の側からも作品について自由に解釈したコメントが多く出た。「たぶん作者はそこまで考えてないよ?」という見方についても、半ば面白おかしく半ば真面目にやり取りされ、極めて自由な芸術鑑賞の時間と空間がそこにはあった。また、参加者もボイスとコメントで発言できるイベント設定になっており、出品した作者直々の解説などを受けられたのも貴重な体験だったといえる。

 きゃりこ氏のアイデンティティとも言える「猫要素の不足」はある種のアイデンティティ・クライシスを想起させるのか、ポストアポカリプス、ディストピア、貧困、数的不利など、ネガティブな状況や環境を表現する作者が多かったのも、鑑賞パート1での特徴だ。「全く意図していなかったはずだが隣に並んだ作品同士の世界が接続しているようにしか捉えられない」などの偶然も合わさり、ぼんやりと大きな「猫の不足を機に全てが破滅へ向かうストーリー」が鑑賞者らの想像内で形成され、全ての作品が一連のストーリーに組み込めるのでは?という想像力・創造力のシナジーを感じた。

歌唱パート

 歌唱パートでは、歌詞や楽曲として投稿された7作品がきゃりこ氏によって歌われた。メロディやボーカルもMIX済みの投稿のほか、歌詞だけの投稿作には きゃりこ氏による作曲・編曲までなされるという豪華な待遇もあった。歌詞の内容は正統派なラブソングやロック、電波系やAI作曲など多彩なジャンルが揃い、きゃりこ氏持ち前の歌唱力で7曲全てが歌われた。

 僭越ながら筆者も1曲を投稿したため、以下はクリエイターとして投稿した立場の感想を書いていく。

 筆者の投稿は歌詞のみの投稿であったため、きゃりこ氏による作曲・編曲をいただき、最初の歌唱パートにて歌っていただいた。歌詞のジャンルはJ-POPで、猫を亡くした主人公の心情と克服の過程を表現した。とはいえ筆者には作詞の経験が無いため非常に苦労し、完成後も「これでいいのだろうか……?」「もし面白くないと思われたらどうしよう……?」と不安だった。しかしながら、きゃりこ氏から歌唱前に「歌詞に読みごたえがあった」「小説を読んでいるような気分になった」とお褒め頂き、自分が作った歌詞がステージで歌われているのを聴いた時、また好意的な感想を参加者から貰った時、「作ってよかった!」「発表してよかった!」と強く感じた。

 猫不足きゃりこ展への投稿には、利用規約に反しない限り内容・クオリティによるリジェクトや、投稿資格などの制限は無かった。また、てつじん氏はハチャメチャでカオスなイベントをよく開催し、ワールド作者に無茶振りするアイデアを参加者のコメントからルーレットで決めたり、オタ芸の小道具を「トイレブラシでもチンアナゴでも何でもいいから」といって募集したり、「誰でも何でも」というコンセプトのおかげで、とにかく企画に混ざるハードルが低い。そのため、普段は一般のユーザーとしてメタバースで生活していたり、筆者のように作詞経験が無くても歌詞作品を応募できる機会に繋がったといえるだろう。

鑑賞パート2

 歌唱パート1を挟んだ次は、1階の立体作品展示の鑑賞パート2に移った。立体作品にはclusterのアバターに使えるアクセサリーやワールドクラフトのアイテム、3Dオブジェやアバターなどが揃った。clusterではユーザーが制作したアイテムを自由に販売できるほか、アイテムを商品ディスプレイとしてワールドやイベント会場に設置し、その場で購入・着用もできる。したがって、購入者がアクセサリーを着けて、その姿を見た別のユーザーがアクセサリーを気に入って購入するというバイラルが起きやすい。鑑賞パート2で展示されたアイテムにおいても、そうした購買意欲が喚起され購入者が拡散していく様子が見られた。

アバターマーケット 2023 春の様子 中央のアバターが展示品で、他は作者や購入者が並んでいる

 実はこの現象は、アバター購入者がその場でアバターに着替えられるclusterのアバター即売会においてもしばしば見られた光景であり、今回の展示会でもその縮図を見たようだった。clusterのアバター即売会ではアバターの作者が売り子としてブースに立っていると、アバターを買ってくれた人が作者の作ったアバターに着替え、喜んで飛んだり跳ねたりしてくれる。さらには作者に共感した購入者が売り子として隣に並んでくれたり、別の場所・別の機会で購入アバターを宣伝してくれることもある。自分の作った作品が目の前で受け容れられ、収入面でも利益を得られる。ものづくりをする人間としてこれほどまでに嬉しいことがあるだろうか?

 展覧会へ作品を投稿した作者の多くがイベントに参加し、制作経緯や自分なりの想いを伝えながら展示を見て回ったが、その中には1階のアイテム展示の作者も同じく参加していた。そこで自分の作品がみるみる買われてゆき、会場が自分の作品で染まっていく様子を見れば、投稿に一抹の不安があったとしても「作ってよかった!」「発表してよかった!」と感じたのではないだろうか。

イベント総評:クリエイターのモチベーションを大きく刺激し、作者冥利に尽きるお祭りだった

かわしぃ氏のクロージング劇

 準備・制作期間に2か月ほどかけ、3時間に及んだイベントは、かわしぃ氏の手に成る壮大な物語と会場のギミックで幕を閉じた。制作者としても鑑賞者としても参加した筆者は、大きな満足と共にバーチャル文化史としての記録価値を感じ、その場で「イベントレポートを書きます」と宣言したほどだった。それは筆者がクリエイターとして近年マンネリを感じていたメタバースでの活動の中で、稀に見るほどの達成感と充足感を得られたからであった。

 メタバースプラットフォームclusterでは過去に、ゲームクリエイター向けの制作イベントが幾度か開催された。2日以内でゲームを完成させろという無茶なお祭りもあり、筆者が仲間と一緒に48時間を走り抜けた際は、大きな高揚感と達成感を覚えたものだった。今回の「猫不足きゃりこ展」の閉幕後にも、それと同じような感覚が得られた点で、クリエイターとして参加できてよかったと思う。不安で自信が揺らぐ中で苦悩して制作し、思い切って投稿してみた歌詞にメロディがつきステージで歌唱され、歌ったアーティストや観衆からポジティブな反応を貰えたことは、非常に贅沢な体験でクリエイター冥利に尽きるし、それに対して「作ってよかった!」「発表してよかった!」と感じられた。また、同じように投稿された作品同士に奇妙な繋がりがあり、参加者も含めたイベントの関係者全員が一丸となって作り上げたお祭りは、筆者だけでなく当日参加したクリエイターのモチベーションを大きく刺激したことだと思う。

メタバースにおけるクリエイター経済圏への考察と展望

 今回のイベント内容から少し視点を離して、メタバースに置けるクリエイター経済圏を今後どのように伸ばしていくとよいのか、素人ながらメタバース住民の一人として考えてみることにする。

シナジーは無限大

 特定のテーマに沿って作品が募集される展覧会は少なくないが、今回の展覧会では独立して作られた作品同士の設定や雰囲気がどことなく近く感じられ、「猫不足きゃりこ」というテーマによって作者らの潜在意識が無自覚に通底し、一つの壮大な世界や物語を形成できうるまでに昇華していた。多少強引ではあるが、それらを「きゃりこバース」として世界観を接続することだって可能なわけだ。

 例外はあるが、クリエイターはだいたいオタクである。なぜならものづくりには想像力・発想力・連想力などが求められ、それらはオタクの持つ空想・妄想好きな気質と重なりやすいからだ。想像や空想とは「今ここには存在しないものや、物事の関係性」を思い浮かべることであり、サピエンスが他の動物と大きく一線を画す強みである。それが、雑談の際になんとなくぽろりと出てきた「猫日和きゃりこじゃなくて、猫不足きゃりことか、どうよ?」という取り留めのないアイデア一つで、たくさんの関係者を巻き込み、作品すべてを合計すればとんでもない制作時間をかけ、奇妙にも接続する一つの世界観を作り上げた事実は、ただのネタイベントやお祭り的な展示会として終わらせていいものではないと感じる。

てつじん氏のイベント「バレンタインは死んだ」の様子

 クリエイターの想像力は無限であるし、それらが重なり合ったシナジーもさらに無限大であるように感じる。今回のテーマは「インフルエンサー的に名の知られている きゃりこ氏から猫要素が不足したら」という特殊な背景があったものの、クリエイターは基本的にどんな隙間にも想像の余地を見出すものだ。クリエイターの想像力・創造性を刺激したければ、想像力・発想力・連想力・空想力・妄想力など、「今ここには無いものが、もしあるとしたらどうか」を考えるに値するテーマや課題を設定する必要があるのかもしれない。

無形の報酬

説也(せつや)氏制作のアクセサリーアイテム「猫不足クマきゃりこマスク」

 ものづくりという行為に対する達成感、満足感とは、ここまで何度も書いてきた「作ってよかった!」「発表してよかった!」という、ごく個人的な経験と感想である。筆者は今まで色々な場所で色々なものを作っては発表してきたが、中には「作らなければよかった」とか、「発表しなければよかった」あるいは「発表すればよかった」という後悔も何度か経験してきた。そんな中で、観客を巻き込むカオスなイベンターが募集する「誰でも何でも可」という作品募集へ投稿するハードルは低く、筆者以外にもたくさんのクリエイターやユーザーが作品を投稿した。また、投稿された作品一つ一つを丁寧に見て回り、それぞれスタッフや鑑賞者からのコメントや考察などを受け取った。楽曲の投稿はステージで きゃりこ氏により歌われ、歌詞のみの投稿作は作曲・編曲までしてもらえる豪華対応だった。見知った仲でもなければ、いくらか報酬を提示してやっと作ってもらえるところを、だ。また販売アイテムを展示した作者は、自分の制作物が購入され会場に伝播していく様を見届けることができた。

旅人18氏のワールドで有毒な大気(写真奥の白い雲)にやられて倒れる筆者。clusterでは制作物をすぐにアップロードし、フレンドとテストプレイしてフィードバックを得るのも容易だ。

 ものづくりに打ち込む時間は基本的に孤独で、多少の差はあれど体にも心にも一定の負荷がかかるものである。そんな苦労と苦悩の末に作り上げた作品が、今回のイベントで目の前の他者から評価・考察されたり、別の形として誰かの作品に表れたり、購入者が一人また一人と増えていく体験は、作品を投稿した多くのクリエイターにとって、金銭や人脈とは異なる無形の報酬:大きな喜びと強いモチベーションを得られるきっかけとなったのではないだろうか。

 もちろん作った物に対して有形の報酬が正当に返ってくることは重要だが、それ以上の心理的インセンティブ:理論や統計ではなかなか表しにくいポジティブな感情や個人的経験に価値を見出し、それを提供し続けていくことが、クリエイターの創作的寿命の延伸に繋がり、結果的に持続可能なクリエイター経済圏の創出につながるのではないかと考える。

コンパクトなコミュニティ

筆者が毎週開催している体操イベントの様子

 先述の、無形の報酬が得られたというイベント体験からは、近年のインターネットから失われた独特の温かさ、緩やかな連帯感・結束感を覚えた。SNSやUGCプラットフォームなどの発達と普及で、個人がマスへ情報と創作物を提供できる:80億総マスメディア時代が当たり前となった2024年現在では、結局のところ資金や人脈、知見や環境の整ったグループの発信力が強まり、個人がゼロから発信を始めて広く手っ取り早くマスへ情報・創作物を届けるためには「バズ」や「炎上」などの運・悪徳次第になりつつある。また、インターネットで知り合った他者のほとんどとは現実で知り合うことがないため、テキストベースの人的交流では「声色」や「表情」などが抜け落ちたコミュニケーションしかできない。つまり2010年代初めから2020年にかけてのインターネット空間は、基本的に一対多数、しかも大半は画像や文字でしかコミュニケーションがとれないという、人的交流の困難や限界があった。

 懐古主義的な主張をするわけではないが、例えばイラストレーターで全国レベルを目指す際、インターネットの普及していなかった時代であれば、地元のイラストコンテストなどから始まり、東京のデザイン事務所に所属し、やがて独立しフリーランスで依頼を請けるようになるなど、その都度その都度で実力の拮抗する競争相手と接する環境があったかもしれない。それからインターネットが普及し始めてもなおSNSやUGCプラットフォームがインターネットの主戦場とならなかった時代(あるいはインターネット人口そのものが少なかった時代)、すなわち個人サイトやお絵かき掲示板など小さなコミュニティでの交流が盛んであった時代には、たとえ実力がばらばらであってもお互いが節度のある距離感を保ち、互いをリスペクトし合う温かさと、緩やかな結束感があったように感じる。(※なおそのころ筆者は小学生だったので、そんなん違うぞ!という異論は大いにあるかも)

 翻って現在のインターネッツはどうかと言えば、相手の話を聴けない・書いてある言葉を読めない・語られた文脈を知らないご意見お小言が飛び交うフリー・フォー・オール空間になってしまった。そうでなくとも、自分がこれから始めようとしている物事を最高峰まで極めた他者が初めから自分の目の前に飛び込んでくる。かといって自分と同じくらいの実力の仲間を探そうにもネットは広大で見つけるのに苦労し、やっと見つけたと思ってもテキストベースの交流では親しい関係を築くには時間や気力、運が必要だ。また学校や画塾、会社などのように同じ時間と空間を共有するわけではない他者と歩調をそろえて切磋琢磨し実力を高めていくことは難しく、お互いの生活環境やライフステージの変化でせっかく繋がった関係は疎遠になりやすい。

 そうした2010年代のインターネット・またはWeb2.0の不快感・不便さに対するバックラッシュ:反動とか揺り戻しのような現象を近年、クリエイター界で目にすることが増えてきた。例えばDiscordサーバーやYouTubeのチャンネルメンバーシップなど、情報の閲覧・発信が外部からできない:閉じたコミュニティに交流が回帰し始めていたり、PatreonやSkebなど、不特定多数からの支持ではなく少数の熱心なファンからの期待や要望に応えるようなサービスが登場・普及してきているように見える。そしてもちろん、メタバースで同じ時間と空間を共有する他者と親密なコミュニケーションを取りながら、お互いをリスペクトしつつ仲間と切磋琢磨することで、緩やかな連帯感・結束感が得られるのも時代に沿っているといえるだろう。こうして、あたかも自由で開かれたインターネット空間のウンコ投げ合戦から身を隠すように、少し不自由で閉じたインターネット空間:価値観や文脈が通じる小さなコミュニティ、お互いを高め合える仲間を見つけられるコンパクトな時空間が形成されていくのは自然な流れかもしれない。

バラエティライブイベント「CLUSTARS TRY」の様子

 クリエイターの中でも特に初心者や、仲間を見つけられていない孤立状態にあるユーザーの創作物と創作心は、荒れ地に咲いた小さな花か蝋燭に灯ったか弱い火のようで、無遠慮で無配慮な風が強く吹けばあっという間に消えて無くなってしまうことが多い。一方で、自分と同じ時期に物事を始めた同期同士の絆や、仲間と結束し互いを支え合うクリエイターの力は強く、外野の野次などものともしない。コンパクトで温かく、緩やかな連帯感と結束感を与えてくれるコミュニティの存在を、「猫不足きゃりこ展」というメタバース内のちょっとしたお祭りに参加したことで改めて感じた。それは今後のインターネット空間のスタンダードとなる気もするし、クリエイター同士が繋がり、やがては経済圏を形成しうるためには無視できない要素だと思う。

おわり

 ということで、今回はプラットフォームの外の人にも届くような文章を書いてみました。コミュニティ内での交流は楽しいのですが、そればっかり:内輪ネタとか駄サイクルに終始しちゃうとあまりコミュニティそのものが向上していかない気がするので、コミュニティの中と外でヒト・モノ・カネ・情報などのアセットがやりとりされる(要は交易とか貿易みたいな行動の)必要性があるなと強く思います。以上。


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