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【エッセイ】僕の名前の由来

 Xとかいうキショイ名前のSNSに登録した日なんて記憶は毛頭として無いが、Twitterに登録した日のことは、12年も前なら憶えてないだろーとはならず、それはしっかりと覚えている。

 2012年の4月は高校生になったばかりのころ、初めて個人所有する携帯電話がガラケーでなくスマホなのを、どことなく特別な誇りに思っていた。色んなアプリがインストールできることに期待を覚え、今ではクソ広告のあのアプリとか揶揄されるようなミニマルゲームとかラップムシで意味もなく遊べるのを楽しめた、2012年はまだ平和な時代だった。

 そんな折になんやらかんやらSNSとしてTwitterを入れた気もするが、高校で友達のいなかった僕は特に触るでもなかった。そのころ「ボケて」にはまり、自分が面白いと思ったボケをツイートできるらしいのを知った。それで「なんか白背景で同じ猫が踊る姿を連続撮影した」みたいな画像に「今日の晩御飯が寿司」みたいなボケをした投稿をTwitterに共有したのが、今のアカウントで最初の投稿だった。メンヘラ期に過去ツイ全消しみたいなのをしたのでツイートは残っていないが、どっかに保存したアカウントアーカイブには残っていたかもしれない。

 そんなこんなで、その頃から使ってるインターネットでのハンドルネームとその変遷について、当時の絵とか今のメタバース写真とか交えながら憶い出話をぼろぼろ書きます。

最初は「ガラパ」だった。

 小学生ごろまでは、自分と世界は地続き一体となっているような、満遍のない自我で世渡りできたが、それも中学生あたりになってくると自他の境界を意識するようになり、そこで自分は周りと浮いた、いい意味でも悪い意味でも独特な存在だなと自覚してきて、そんな姿を孤島で独自の発展を遂げたガラパゴスイグアナみたいな生き物と重ねて、美術の授業で銅板レリーフに好きな動物を表現するあれではイグアナを彫った。

 それでガラパゴス諸島に思いを馳せながら、つるんでた仲間内でモンハン2ndGが流行り出して、プレイヤーキャラの名前を「Galapagos」にしてみた。その結果、全角英数と文字数制限の影響で「Galapa」になった(のに気付かなかった)。PSPの文字入力インターフェイスが、カリッ、カリッと気持ちの良い音を鳴らしていたのを今でも憶い出す。

 初めは「うわーGalapaってなんやねん、勝手に名前が縮んだやんけ」みたいに受け容れられなかったけど、仲間と一緒にモンハンでデカいモンスターを狩っていて、僕のGalapaがなんかの攻撃でぶっ飛ばされた時に、僕の隣で一緒にPSPをぽちぽちやっていた仲間が「ガラパーー!」って呼びかけてくれた時、「ああそうか、ガラパか~」と納得して気に入った。それから中学~大学までインターネットのハンドルネームはガラパになった。

なんかいい気になって大学の一年次に描いたマンガまとめ冊子作って適当に大学構内に置いた時、冊子の名前を「創作諸島ガラパゴス」としていた。

最寄駅の名前を取り込んで「ガルペノ」になった

 僕は兵庫県:西宮市の家から京都市の大学まで毎日ちんたら電車通学していた。最寄り駅はJRの甲子園口というが、幼稚園時に桃鉄のパクリみたいなPS1ゲームを家族でやったとき、甲子園口は「各駅停車駅」という小さくて白くて四角いコマになっててみんなで残念がった。そこから西へ数駅いくと西宮駅があって、どうして自分の住んでいる場所より偉そうな駅が遠くにあるのか疑問に思ったこともある。

 そうはいっても、最寄りの「各駅停車駅」には愛着があって、大学の初めごろにオリジナルマンガを描いたとき、キャラの名前にJR神戸線の駅の名前をいくつかもじったものを採用した。そのなかのあるキャラは「サルネノソノクチ」と呼んで甲子園口を元ネタにした。十二支の読みと訓読みを強引に掛け合わせたその名のキャラは、カメラを肌身離さず持ち歩き、シャッターチャンスとあらば制服が汚れるのも気にしない元気なキャラだった。不元気な僕はそのキャラが気に入っていた。

サルネノソノクチ・ジィマ。このころの絵はのびのびしていて良い。

 しかし大学生活も後半に入ると就職活動で履く革靴の揃った足音が軍靴の行進みたいに聞こえてきて(聞いてはいないけどそんな気分だった)、吐きそうなくらいしんどかった。それでかなり病んでゲロみたいな創作活動を続けた。実際、インターンシップで2週間ほどお仕事体験した職場で連れていかれた飲み屋においてワンマン社長に詰られ泣いてると涙に続いて鼻血も出てきて、「人間、極限状態になると体が防衛機制を発出するんだなあ」と汚いトイレで思った(今にして思えばあの時の僕はクッソ生意気なダメ学生だったからいびられるのも無理はなかったと思う)。

 そんな自己中心からくる辛さが積み重なって、とうとうSNSでもメンヘラムーブを繰り返し、ツイッターのアイコンを真っ白とか真っ黒にしたり、みなさんは酷いですみたいなことを書いたり、とにかく大学後半時代はそっとしておかれる系男子選手権に出場してもよさそうな感じだった。

 そんな折にふと思いついたのが、名前を変えることだった。なんか自分をグレードアップさせたいみたいな感じだったかもしれない。それで当時の僕が気に入っていたキャラの名前:サルネノとガラパをミックスして「ガルペノ」が誕生した。「これから俺、ガルペノとしてやっていくんだ」みたいに近況報告すると友達は「へぇ~。なんかポケモンの進化みたいだね」と感想してくれた。それは確かにそうだと思った。ちなみに大学のサークルでは「崖の上のポチョムキン」と名乗っていた。新歓イベントでサバゲの先輩が名付けてくれた名前だが、なんか「ガ」が最初につく名前が多いと思っていた。

なんかいろいろあがいてたけど結局しんどかった頃の絵。こわくてやだなー。

国際化を目指してGalupenoとした

 名前を変えた結果、とくに大きく変わったことはなかったけど、でもどこか一部はアップグレードされたような感覚で、インターネットでも現実でも歳月を重ねていった。名前を変えはしたが大きくは変わらなかったことを指して、「前任者は破壊されました。私は後任の者です」みたいなおふざけをツイートしたら「こんにちは、後任者さん」みたいに絡んでくる人がいてそれが面倒くさくて、あまりこういうおふざけは良くないのかもしれないとか思っていた。

 それから首の皮一枚で就職してすぐ失業して大阪に流れ着いて無職をやっているとコロナが流行り始めた。感染疑惑のある乗客を抱え入港したダイヤモンドプリンセスの、「清潔ルート/不潔ルート、いや奥で合流しとるやん」みたいな画像にころころ笑う暇人だった。そうこうしているあいだに僕の預り知らないところでバーチャル界隈が盛り上がっていて、「cluster」という国産バーチャルイベントプラットフォームが、バーチャルSNSプラットフォームに変態していた。

オリキャラのVRMにまだメンヘラのえぐ味がある初期。

 人的交流は皆無に等しくなった僕にとって、家に居ながら誰かと会ったり話したりできるclusterは住み心地が良く、最初は一人でバーチャル積み木をやるなどするだけだったが、次第にこの世界の人たちと繋がったり、ここでものを作ったりするようになっていった。自作のロボットの3Dモデルを持ち込んだり、エッシャーの絵画空間を再現したりして楽しんでいた。

 そうしてclusterの世界でぶいぶい言っていると、clusterは国際化を目指しますという指標が流れてきて、「そうか、日本は少子高齢で市場はしぼんでいく一方だからなあ。僕も何倍ものマーケットになる英語圏へ発信していかないと」と発起して、かなり早い段階から海外展開を視野に活動をすることした(けど今はもうそんなでもない)。そして国際化されたclusterで外国人が行き交うようになると、「ガルペノ」という名前は読めなくて困るはずだと考え、「Galupeno」というハンドルネームに変更した。そうして今に至るわけです。

えぐ味のあったアバターは、今や漂白された布へ仄く桜を染めたような姿になりました。それでも背景にたくさんの変な金の顔とか怖いサソリとかがいます。

番外編:遡命慶焉の巻

 clusterでばかり活動していると、clusterに来る前に交流していた人たちであったり、描いていた絵に対する関心がみるみる減っていくのが不安だった。今でこそ、長く生きていると撚り合う糸もあればほつれる糸もあるのだと割り切れてきたが、当時は自分の中の関心や表現がcluster一辺倒になるのは寂しい気持ちで一杯だった。そこで、clusterとそれ以外とでチャンネルやアンテナを分離させることにした。

ヨーロッパで戦争が起きて悲しいけど今まで中東で起きていたのに無関心だったわけだし、それでも何か描かずにはいられないなみたいな気持ちは大事にしたかった。

 ガラパ→ガルペノ→Galupenoという、ドタバタ改名劇は割と一貫性があったが、そこから袂か暖簾を分かつようにアカウントを分けるのであれば、いままでとは打って変わった方向性の名前にしたかった。だからオセアニアだかラテンだか不明な外国っぽい響きの名前ではなく、日本人らしい漢字を使った名前を考えようと頭をひねった。その結果、遡命慶焉という名前が出てきた。

 僕は人物や土地の名前に意味や寓意が無いほど清く尊いと思うのだが、今回は人間の業みたいなものもあるし、それを意識しながら名前を考えた。「遡命」は、いのちに逆らう、いのちのあるべき姿から遠い、という意味。「慶焉」は、終わりを喜ぶ、終わりがあることを祈る、というような意味。

 当時の僕は「生きたくないけど死ぬのもやだなあ」というどっちつかずで、生きるなら生きる、死ぬなら死ぬいのちのさだめに反する自分を顧みて、逆命、遡命として。生きるでも死ぬでもない、でも辛くて苦しい今が永遠に続くのなんかやめちくりーという意味で「始まりあるなら終わりあれ」ってことで慶焉。

ガラパでもガルペノでもなく遡命慶焉として、描く絵の傾向も少しづつ変ってきた。

 しかし出来上がってみると随分と大層な名前で、龍を飼ってみたら手に負えなかったというか、名前負けしているみたいな意識があったのかもしれない。そもそもガルペノとかGalupenoみたいに手触りが良くなく、自筆で書こうにも漢字が多くややこしく、あまり使い勝手のいい名前ではないことが判ってきた。そこでめんどうくさいしとっつきにくいから、「さかめけいえん」なんてひらがなにしてみたら、今度は弱々しくて僕の実情を表していないと感じた。

 それに、ここまでくるとしつこかったメンヘラ汚れも落ちてきて、「生きれるなら生きててもいっか。どうせ死イベは確定だからじたばたしないでいたほうが楽だわ」みたいなオッサンになってきた。場末の居酒屋で鼻血を出していたクソ学生も、もうすっかりアラサーである。「遡命」という語句に若さを覚え、これを改める必要があるかもしれないと思っている。終わりがあることは今でも祈る気持ちがあるから「慶焉」は残るにしても、「さかめ慶焉」で今は落ち着いている。あと、ひらがなになった名字みたいななんかよく分からない部分を再び漢字にして、「咲命」でも美しい名前だから、そっちにしてもいいかもなと思っている。言うて、遡命慶焉のアカウント作ってからせいぜい2,3年くらいなんやが。

チャンチャン

 ということで、僕のインターネットでの名前に関するお話でした。読んでくれてありがとう、またねー。

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