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B'z/MY LONELY TOWN 歌詞考察

音楽における歌詞は、洋画でいう日本語字幕のようなもの。それがあるおかげで、作者の伝えたいメッセージや、込められている意味を汲み取る事が出来る。

歌詞の考察は、僕の独断と偏見に基づいてしまうけれども、何度も何度も聴いた好きな音楽の歌詞を自分なりに掘り下げていく事は、独特の楽しさがある。今回は僕の好きな音楽の歌詞について考察していこうと思う。

今回の楽曲はB'zのMY LONELY TOWN。

タイトルは和訳すると「僕の孤独な街」。

決して一人ぼっちではないのに、どこか寂しい気持ちになってしまう、そんなもどかしい気持ちを歌詞にした楽曲。

例えば1Aから1Bにかけたこの歌詞。

明かりの下に集まったなら笑い語り合う仲間。             でもきっと誰も互いのこと分かり合うのは不可能。           人はバラバラな生き物。それを忘れちゃいけない。

数多いる人の中で繋がりあった仲間だったとしても、互いのことを完全に分かり合うことは出来ないよねという歌詞。

友達や恋人というのは、無意識の内にでも相手への思いれや、分かってほしいという欲が出てしまうもの。でもそれ以上に大切なのは、僕たちは生まれも育ちも違う人間という生き物なんだよ、それを忘れてしまうと大切な仲間をなくしてしまうよ、という意味が込められている。

そして2B

微妙な情に気づかない人を雑なやつだと思っちゃう。          でもきっと相手も同じ気持ち隠しながら笑ってるよ。

言わなくても分かってほしい、察してほしい。そういう欲望を抱え、自分の期待に反する人は気が使えないやつだと思ってしまう。でも同じ時に相手も、なんでそんな事を求めるんだと表に出さなくても、裏であなたの事を笑ってるよ。お互い様だよねという歌詞になっている。

というようにこの曲は、仲間との繋がりの大切さや素晴らしさというよりも、そういった関係性を持っていても、相手が分かってくれなかったり、友達がいるのにどこか寂しい気持ちになってしまう。そういった気持ちが漂う、今自分達が住んでいる街をMY LONELY TOWNと表している。

ラスサビも見ていこう。

ひとりずつみんな歩いてるこの街で違う夢抱きかかえ。
探してるそっと何もかも見せあえるもうひとりの自分を。

ここでも誰もが違う夢を抱えているという自分と他人は違う存在なんだよという歌詞がある。

そして探しているのは他人ではないもうひとりの自分。自分の良いところも悪いところも全て見せられるのは親でも、友達でも、恋人でもない。自分しかいない。

そんなありもしない存在を日常の中で探している。他人に求めているのはその人となりではなく、もうひとりの自分に等しい存在をその人に投影して、仲間になったり、距離を置いたりしながら日々生活しているという人々の生活模様を綴っているように思える。

さらに

いつまでもここにいられないのなら旅にでも出ればいいじゃん。
でもいつかまた戻ってきてしまうよ。きらいになれないMY LONELY TOWN
さまよう心に触れて。

「ここには誰も自分のことを分かってくれる人なんていない!」と耐えられない気持ちがあるのならば、ここではない何処かに行ってもいいんじゃない?と言っている。

でも結局名残惜してくて、元の場所に戻ってきてしまう。嫌いなところもあるけど、同じぐらい好きなところがあるからこそ、ここにいたいと思える。たとえ、孤独に感じる瞬間があったとしても。そんな完全に嫌いにはなれない思いが残っているのがMY LONELY TOWNなのだ。

最後のさまよう心に触れて。真っ直ぐ進みたいけど、行き当たりばったりで、時には止まったり、戻ったりしてしまう。さまよっている心に触れることで、自分の孤独感や誰も分かってくれる人はいないんじゃないか?という気持ちの真意に気付いてほしいという願いが込められている。


この楽曲はヘヴィなギターリフやバンドサウンド以外にも、刹那さとダイナミックスさを兼ね備えたメロディに乗せられているこういった歌詞があるからこそ、より好きになれたのだと思う。

僕も音楽を聴いていて思うのは、1番その楽曲を好きになれるのは歌詞があるからなのではないかなと。明らかに学生時代よりも、大なり小なり経験した今の方が、歌詞に気付かされる部分は多い。これからも、嫌なこと、嬉しいことを経験しては、また自分の好きな曲に何かを気付かされるのではないかなと思う。




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