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Pusha Tとは、大トロである

Pusha Tとは、大トロである。

とりあえずそう言い切ってみる。では、大トロとは何か。

大トロとは、コッテリ、ベットリした、脂の乗りまくった、マグロである。


まず見ていきたいのは、大トロもあくまでマグロである、という点である。

言うまでもなく、マグロは寿司の王道である。統計を取ったわけではないが、寿司と聞いてまずマグロを思い浮かべる人は少なくないだろう。もっともオーソドックスな寿司であるマグロ。繰り返すが、大トロはあくまで、そんなマグロの一種なのである。

しかし、大トロが寿司全体の中でも特殊な存在感を放っているネタであることもまた重要である。食べるものの口内でジュワッととろけ、吐く息すら熱くさせる大トロは、マグロであることからはみ出さずとも、十分に個性的であり、濃厚であり、強烈である。

いや、むしろマグロという、もっともオーソドックスなネタの中に留まっているからこそ、大トロのコッテリ具合やベットリ具合は、これほどまでに際立っているのかもしれない。もっと派手で異色なネタに、上等な脂がたっぷり乗っていたとしても、我々は大して驚かなかっただろう。マグロだからこそ、大トロはあれほどまでに強烈な印象を我々に残す。

何なら、大トロを通じてマグロ全般の普遍的な魅力に、改めて気付かされた経験すら、僕にはある。すぐに溶けてしまう大トロをできる限りじっくりと味わおうと、
懸命な努力を行っている中だからこそ、普段は王道の一言で済ましてしまうマグロ独特の酸味や肉感にも注目することができたりもするのである。

以上のように大トロは、脂が乗りまくっているだけでも、マグロであるだけでも成り立たない魅力で、互いの利点を際立たせあっている。ベットリしているこその、マグロであるからこその味わいで、溢れかえっているのである。大トロを口内で可能な限りゆっくりと溶かし、火照りに火照った息を吐き出す時、僕はこのネタの存在自体に、そしてネタが呼び寄せてくれた体験に、感謝する。


さて、Pusha Tは大トロである。なので、Pusha Tにも上と同じことが言える。

Pusha Tのラップはコッテリ、ベットリしている。一つ一つの言葉の発し方は勿論のこと、yeah!やpush!等のアドリブに至るまで、油分と粘度で溢れかえっている。僕も含めて、Pusha Tのラップを聞くものは皆、そこに魅力を感じているはずである。

The NeptunesやKanye Westなど度々彼の楽曲をプロデュースし、自身の作品にも招待してきたアーティストたちも、その油分と粘度をできる限り活かす方向で彼と関わってきたように思える。


https://youtu.be/L7-0ugujS2U?si=gjYzDrErURuCIO31

現時点での彼の代表曲の一つであるIf You Know You Knowを聴くと、すぐにわかるはずである。ガスコンロのチッチッチッチという音だけが静かに鳴っている大変ミニマルなトラックの上で、Pusha Tはゆったりとラップを始める。「boy」という単語を繰り返しベットリと、言って仕舞えばウザい事この上なく発音し、自然かつ確実にグルーヴを作り上げていく。

また、この「boy」には「青二才が」といったニュアンスが籠っており、他のラッパーたちへの強烈な煽りとなっている。そのため、ベッタリと、ウザく発音されるこの「boy」はグルーヴの生み出し方としても、煽りの表現としても、大変印象深いものとなっている。Pusha Tのベットリ性、コッテリ性がなければ、このようなグルーヴも煽りも成り立たなかったに違いない。


https://youtu.be/s5DnESRMUs8?si=nlCnv1JbSrhZqaTy

または実兄Malice(現No Malice)とのデュオClipseのPopular Demandを聞いてみるのもいいだろう。爽やかに成功を誇るようなトラックの上で、Pusha Tはベットリと、執拗に、同じフロウと同じライムを繰り返す。そして、最後の最後、思い切りドヤ顔を見せつけるように、1verce丸々かけて築いてきたリズムをはみ出して、イニィ ミニィ マニィモォオオ!!、とゆっくり、じっくり発音するのである。

あの瞬間の、トラックをぐりぐり踏み躙るような痛快さは、なかなか他では味わえない。この曲にはMalice、Cam’ron 、Pharrellと、Pusha T以外にも豪華な面々が集っているのだが、いずれのパートでも、あのPusha Tの締め方を超えるパフォーマンスは生まれていないように思う。


余談かもしれないが、この曲が収録されているアルバムTil The Casket Dropsは他のClipseのアルバムほど高い評価を得ていない。他のアルバムを聞いた後に本作を聴くと、その理由もまぁわかる。

トラックのミニマルさと、二人のラップの生々しさやグルーヴ感が、しっかり混ざり合っていた前作や前々作と比べ、本作は普通に派手なトラックが多く、おそらくそれ故、二人のラップもあまり活かされているように思えない。

また、Maliceが露骨に、それまでの暴力的なスタイルから離れたがっている(彼はこの後キリスト教への信仰を深め、暴力的なラップから距離を取ることになる)のも、大きいだろう。

しかしだからこそ、その中でも元気に、なんならそれ以前より荒々しくラップするPusha Tの存在感が見えてくる、とも言える。諸々の要素が噛み合ってはいないのは確かだが、Pusha T好きなら聴くべき作品である、と言い切らせていただきたい。



そしてまた重要なのは、Pusha Tが、あくまでヒップホップの王道に留まっている、極めて慎ましやかなラッパーでもある、ということである。大トロがあくまでマグロに留まり続けているのと同じように。

彼のリリックは大体において、金、セックス、車、そして薬物とラップスキルの誇示の域を出ない。Clipse時代に「自分たちが語っているドラッグディールは音楽制作のメタファーだ。薬物そのものを推奨しているつもりはない」といった趣旨の発言を残してはいるものの、彼のラップをただ聞くだけでは、なかなかそのように解釈できない。阿漕な商売で財を築くことの緊張と興奮をひたすら語っているようにしか聞こえないのである。


ラップのフロウ(歌い方)にも同じことが言える。彼は早口やメロディといった飛び道具をほとんど用いない。大体の場合、ゆったり、しっかりとリズムを刻みラップする。同じ韻で1verse丸々終わらせることもあるくらいである。部分的に畳みかけたり、声の高さを変えたり、話しているような節回しを使ったりして、グルーヴを作り上げるのは得意だが、決して早口やメロディまでは行かない。あくまでじっくりとリスナーの耳に語りかける、王道のラップの内に留まり続けるのである。

https://youtu.be/YAFVu_A4OwQ?si=YVuvi02AumTNax6I

因みに彼は、自身初のソロアルバム(ミックステープはそれ以前にも出している)My Name Is My Nameの一曲目、King Pushにて「I rap,(中略)I don’t sing hook」とはっきり宣言している。このことからも、かなり意識的に、王道ラップの内に留まろうとしていることがわかる。


https://youtu.be/uCJJ0sL9bXc?si=gNztY13ma36m3QKr

これまた因みにだが、僕はライブの際のマイクの握り方にも、彼の王道さと慎み深さを感じる。

ラッパーにはマイクのヘッド(鉄網がついている頭の部分)を直接握ったり、マイクをこれでもかと口に近づけて歌ったりするアーティストが多い。これらもライブを円滑に進めるためのテクニックの一つなのだろうが、当然ながら正当な持ち方ではない。

しかしPusha Tはマイクの柄をがっちりと握りしめ、口から一定の距離をおいてラップする。つまり頑ななまでに、ちゃんとマイクを扱っているのである。なんとなくそうしているだけなのかもしれないが、ここにも彼の慎み深さ、あるいは真面目さが現れているように思えてならない。


もうお分かりかもしれないが、Pusha Tのベットリさと王道さは共犯関係を結んでいる。大トロがあくまでマグロであるからこそ、そのベッタリさを際立たせ、ベットリしているからこそ、マグロの魅力を再発見させるのと同じように。

もしPusha Tが王道から程遠いスタイルを武器にしていたとしたら、彼のラップ独特のベットリさはこれほど光らなかっただろう。早口やメロディ、あるいは繊細なリリックに埋もれ、一個一個の発音のベットリさ加減など、気にもされなかったかもしれない。

誤解を避けるために言っておくが、僕は早口やメロディ、センチメンタルなリリック等を使いまくるラップも大好きである。僕自身、自分でラップをする際はついつい言葉を詰め込んだり、自らの恥をぶちまけたりしたくなるたちであるし、そういった要素もラップの重要な魅力の一つだと感じている。

ただPusha Tのラップの魅力を語るとなると、どうしても王道のスタイルを寿がなくてはならない。王道だからこそ、彼のラップは、聴く者の体内でドロッと溶解し、聞き終わった後も、その肌を火照らせるのである。


そしてまた逆に、彼のラップのベットリ具合が、王道ラップの味わいを再発見させてもいる。いつもなら、まぁそんなものと思って聞き流してしまうような、暴力的、攻撃的な表現の数々が、ベットリさに包まれることで、本来持ちうるはずの刺激を回復するのである。

Pusha Tのラップを聞いていると「そうか、fuckも、hoも、cocaineも、dopeも
これほどまでに危険で刺激的な言葉だったんだな。それらを載せるゆったりとした
フロウもこれほどまでに堂々とした、力強いものだったんだな」と気付かされる瞬間が度々ある。王道であることを保ったまま、その王道が本来持っているはずの刺激を掬い上げることができる表現者など、他に誰がいるだろうか。


最後に改めて言っておく。Pusha Tとは、大トロである。大トロとは、コッテリ、ベットリした、脂の乗りまくった、マグロである。

この文を読んだ人が、この説に納得し、Pusha Tのラップに親しんでくれるなら、とても嬉しい。僕もさらにPusha Tを聞き込み、また新たな魅力を見つけていくつもりである。

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