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画角編#15 なんで写真で伝えたいんでしょうね?

あの時に知りたかったなぁ、写真のココだけの話。
こんばんは、yuki です。

絵画や動画という媒体もある中で、
写真を選ぶのはなぜか。

写真って、その人の「視点」すなわち、
コンテクスト-文脈や背景、状況、物事を把握するための必要な情報、誰もが言わずとも理解できる概念-を提示していますが、その一方で
コンテクスト-行間や、意図の裏側-を
観る側に委ねる側面もある
曖昧な媒体だと思うんです。

その曖昧な“写真”という媒体を選び、
伝えたいんでしょうね?

最後は写真は優しい。に辿り着きました

(写真は視点力、絵画は思考力、動画は訴求力。
のお話しは#14前話)

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なぜ、写真という媒体を選ぶのか

私が撮った写真をみて、同僚がこう言いました。

「切ないのに希望も感じて。
可愛いのにカッコいい。
淋しいような、希望に溢れているような、
出会いと別れみたい!」

こう言われて何を撮ったと思いますか

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....

ネモフィラです。


その時に撮ったうちの一枚。
可憐が凝縮している!と思って撮ってた。


あの、4月中旬に咲く可憐な、
健気な感じのあのネモフィラです。

切ない?淋しい?

別れもなにも、あの、
可愛らしいネモフィラです。

住んでいるところから、
電車と徒歩で往復3時間、撮影に3時間。

ほとほと苦労して撮影した、
私の視点からのメッセージに対して、
違った視点からの感想は
とても嬉しくもありました。

それと同時に、
当時、私はそのキャラクターを
うまく捉えて伝えられていないこと
つまりは、
青い可憐の凝縮」を伝えたいという目的に対し、
共感を得られなかったと、
あんなに頑張ったのにまだまだだ!と
ちょっとへこんだ記憶があります。

(どう受け取るのかは観る人次第なんだけれど)

「いつかの現実」という制約の中で、
自分にしか伝えられない情報を探し求め、
カメラを提げ地球を練り歩き、
自分なりの画を撮ろうとその瞬間を待ち構える。

寒い中、暑い中、強風や、雨や雪の中にあっても。

写真とはつくづくパッションだ。

この地球上でのいつかの事象に対して、
その瞬間を得ようとするパッションや、
意図を込めたメッセージに対して、
(できれば)アナタに共感してほしい時に、
写真という媒体を選ぶんだと思う。

『 これ、可憐で綺麗じゃない?
ワタシはこう思うけど、アナタはどう思う?
(綺麗よね?綺麗だと思ってほしいな) 』

というように。

だから写真は、
時に押し付けがましくもなるんだなー
でも、基本的には相手を尊重するのだから、
優しい。

ちなみに
絵画は、
「これが、ワタシが思う綺麗というものだ。」
動画は、
「これ、綺麗じゃない?
だからあなたもこうしたらいいと思うよ。」

になるのでしょう、か。


こんなことをnoteを書きながら、ふと思った。
写真と同じく共感してほしいと思っている、かも。
共感しておくれ。(♡してね)

次回は、再来週 2024/7/12 (金)公開、

私はなぜ写真を撮るのか、心理学の側面も交えて
本質的な部分に迫ってみます。
ではまた、午後9時に(^_-)-☆

※共感できたところあったらぜひ教えてください。
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© 2024 yuki


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