見出し画像

言語は本当に「ふたまたニョキニョキ」構造なのか?

動画解説 ver.も公開しました!

※現在は YouTubeメンバーシップ【Galileo’s Lab Members|研究生】(¥290/月) 限定公開


ゆる言語学ラジオさんで生成文法が紹介されたシリーズの中で、人間の言語は「ふたまたニョキニョキ」(専門的には「ふたまた枝分かれ:binary branching」)の構造を形成するという説明がされていました。

特に最近の生成文法においては、「ふたまたニョキニョキ」の重要性がますます高まってきていると言える流れがあります。確かにあらゆる言語において、ふたまたニョキニョキ構造が普遍的なものであるならば、人間の赤ちゃんの脳には「一度に2つの要素を結びつけて、より大きな構造を作れ」とだけインストールしておけば良く、子どもの言語(母語)獲得の問題を説明しやすくなるでしょう。

さらには、木の枝・稲妻・ニューロン・毛細血管といったものも、総じて「ふたまたニョキニョキ」的な枝分かれを示すことから、人間言語の構造も含めて、これらすべての現象において、ふたまた枝分かれが最適な解である→自然界の存在物として、言語は「ふたまたニョキニョキ構造」を持たなければならない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅のではないか?という趣旨の推測もなされており、チョムスキーはその推測を支持しているようです。 (cf. Smith & Allott (2016) Chapter 2, Note 187)

自然界の「ふたまたニョキニョキ」
【画像引用元】
https://pixabay.com/photos/beech-leaves-sprouted-beech-leaves-7361863/
https://pixabay.com/photos/lightning-thunderstorm-super-cell-2568383/
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Components_of_neuron.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Capillary_system_CERT_esp.jpg

等位接続構造:「ふたまたニョキニョキ」の天敵

しかし、ふたまたニョキニョキ仮説に対して反例となりうるのが、ゆる言語学ラジオさんの動画でも軽く言及されかけている等位接続構造です:

参考:中村・金子・菊地 (2001: p.66)

上の図で "XP"は任意の統語句を表しており、(1)では名詞句と名詞句・(2)では動詞句と動詞句・(3)では節と節が、それぞれ等位接続されています。

等位接続詞で結ばれる XPの数には(理論上)制限はありません。このことからも、等位接続構造においては、3また以上に枝分かれした "flat structure"と呼ばれる「nまたフラット」構造を仮定する必要性があると考えられます。

厳密ふたまたニョキニョキ仮説

他方で、等位接続構造すらも「ふたまたニョキニョキ」で捉えようとする考え方もあり、そこでは以下のような構造が仮定されています:

Radford (2009: p.52)

上は "Peter and Mary"という、2つの名詞句が等位接続された場合の構造を示しており、このような「厳密ふたまたニョキニョキ」を繰り返すことによって、"Peter, Paul and Mary"のように 3つ(以上)の句が等位接続された場合でも、ふたまた枝分かれを保つことができます:

Radford (2009: p.53)

厳密ふたまたニョキニョキ vs. nまたフラット

では、「ふたまたニョキニョキ」と「nまたフラット」どちらの仮説の方が、実際の言語現象をうまく説明できるのでしょうか?

理論の美しさだけで言えば、「言語構造は普遍的にふたまたニョキニョキである」と結論づけることができた方が好ましいかもしれません。

しかし、ガリレオの University College Londonでの恩師 Hans van de Koot先生も共著者の一人である、同じく UCL言語学研究科の Ad Neeleman先生らによる論文では、等位接続構造の振る舞い(特に "Peter, Paul and Mary"のように、等位接続された最後の要素にだけ接続詞が付く場合)を正しく捉えるには「nまたフラット構造」が必要であるとの主張がなされています。

本記事では、その論文で挙げられている事象を紹介しながら、言語学の前提知識がなくても理解しやすいように、議論の概要を解説していきます。

3つの要素が等位接続された場合の構造

まず前提として、「nまたフラット仮説」と「厳密ふたまたニョキニョキ仮説」それぞれにおいて、3つの要素が等位接続された場合の構造を確認しておきましょう。

「nまたフラット構造」の場合

こちらの仮説では、"Peter, Paul and Mary"のような例は (5a)、"Peter and Paul and Mary"のような例は (5b)の構造に、それぞれ対応します:

3つの要素が等位接続された場合の「nまたフラット構造」
cf. Neeleman, Philip, Tanaka & van de Koot (2023: p.30 (52))

「厳密ふたまたニョキニョキ」の場合

先ほども触れたように、複雑な等位接続に対し、ふたまた枝分かれ構造を仮定することも可能です:

3つの要素が等位接続された場合の「ふたまたニョキニョキ構造」
cf. Neeleman, Philip, Tanaka & van de Koot (2023: p.30 (53))

ここで重要なこととして、赤丸で示したように、(5a)では "XP₂ and XP₃"が、(5b)では "XP₁ and XP₂"が、それぞれ構成素としてまとまりを成していることです。したがって読み方としても (5a)と(5b)では異なり、複縦線(‖)の箇所で長めのポーズが置かれることになります。

【注】(4, 5)の樹形図は、本記事の上の方で示した樹形図と微妙に異なっていますが、以下で紹介する議論には大きな影響を及ぼすものではありません。

議論1:何台のピアノが持ち上げられた?

以上を踏まえて、Neeleman et al. (2023)では、まず Borsley (1994)などの議論を引用し、(6)と (7)では解釈の幅が異なることを示しています:

(6) [Tom and Dick and Harry] lifted the piano.
a. Tom, Dick, Harryがそれぞれピアノを持ち上げた(=合計3台)
b. TomとDickとHarryが一緒にせ〜のでピアノを持ち上げた(=合計1台)
c. Tomが一人でDickとHarryが一緒に、ピアノを持ち上げた(=合計2台)
d. TomとDickが一緒にHarryが一人で、ピアノを持ち上げた(=合計2台)

cf. Borsley (1994:238)

(6)の "Tom and Dick and Harry"の場合は、4通りにあいまいな解釈が生じるのに対し:

(7) [Tom, Dick and Harry] lifted the piano.
a. Tom, Dick, Harryがそれぞれピアノを持ち上げた(=合計3台)
b. TomとDickとHarryが一緒にせ〜のでピアノを持ち上げた(=合計1台)
※ (6c, d)のような解釈は不可。

cf. Borsley (1994:239)

(7)の "Tom, Dick and Harry"では、「3人がそれぞれ (=7a)」か「3人が一緒に (=7b)」の2通りの解釈しか許されません

もし、(7)の "Tom, Dick and Harry"の部分が、Radford (2009)のような「厳密ふたまたニョキニョキ構造」を持つのであれば、少なくとも (6c)の解釈は許されることが予測され、英語ネイティブスピーカーの判断と矛盾が生じることになってしまいます:

「ふたまたニョキニョキ」の問題点

よって、(7)に対応する構造としては、(4a)のような flat structureを仮定する方が妥当である、という結論に達するわけです:

「nまたフラット構造」と英語ネイティブスピーカーの解釈の関係

議論2:どの花が黄色?

また同様に、形容詞の意味が影響を与える範囲(専門的には scope)という観点からも、「nまたフラット構造」を支持する言語現象を観察できます。以下の例文 (8)〜(11)の解釈を考えてみましょう:

(8) Mary will buy [crocuses and yellow pansies and tulips].
a. クロッカスと [黄色いパンジー] とチューリップ
(=パンジーが黄色)
b. クロッカスと [黄色い [パンジーとチューリップ]]
(=パンジーチューリップが黄色)

cf. Neeleman, Philip, Tanaka & van de Koot (2023: 38)

(9) Mary will buy [yellow crocuses and pansies and tulips].
a. [黄色いクロッカス]とパンジーとチューリップ
(=クロッカスが黄色)
b. [黄色い [クロッカスパンジー]]とチューリップ
(=クロッカスとパンジーが黄色)
c. [黄色い [クロッカスとパンジーとチューリップ]]
(=クロッカスパンジーチューリップともに黄色)

cf. Neeleman, Philip, Tanaka & van de Koot (2023: 39)

(8), (9)のように、"A and B and C"となる場合であれば、ふたまたニョキニョキ構造でもネイティブスピーカーの解釈を説明できます:

「ふたまたニョキニョキ」と(8)の解釈
「ふたまたニョキニョキ」と(9)の解釈

一方、(10), (11)のように、等位接続される最後の要素にのみ接続詞が付く場合では、やはり解釈の幅が狭まります:

(10) Mary will buy [crocuses, yellow pansies and tulips].
a. クロッカス, [黄色いパンジー] とチューリップ
b. *クロッカスと、[黄色い[パンジーとチューリップ]]

cf. Neeleman, Philip, Tanaka & van de Koot (2023: 39)

意外かもしれませんが、(10)の解釈は1通りであり、"yellow"という形容詞は、直後の名詞(句)である pansiesだけしか修飾できません

このことから、右下に向かってふたまたに伸びていく構造は破棄され、3また(以上)に枝分かれする構造の存在を認める必要が生じてきます:

(10)の解釈可能性と「ふたまたニョキニョキ」vs.「nまたフラット」

また、(9)が3通りにあいまいであったのに対し、(11)が持つあいまい性は2通りに限られます:

(11) Mary will buy [yellow crocuses, pansies and tulips].
a. [黄色いクロッカス], [パンジー] [と チューリップ]
b. *[黄色い [クロッカス, パンジー]] [と チューリップ]
c. [黄色い [クロッカス, パンジーチューリップ]]

cf. Neeleman, Philip, Tanaka & van de Koot (2023: 39)

すなわち (11)では、"yellow"は等位接続された最初の要素である crocusesのみを修飾するか、等位接続された3つの要素全部にかかる解釈が可能ですが、最後の tulipsを除いて最初の2つの要素 (crocuses, pansies)を修飾する読みは得られません。

したがって、(11)は (5b)のようなふたまた構造ではなく、(4a)のような flat structureを持つという説が支持されることになります:

(11)の解釈可能性と「ふたまたニョキニョキ」vs.「nまたフラット」

まとめ

以上、今回は、ゆる言語学ラジオさんの「ふたまたニョキニョキ理論」から最新の言語研究まで発展させて、等位構造構造を分析するには 3また(以上)に枝分かれする flat structureも必要であるという論を紹介してきました。

言語は、日本語と英語のような見かけ上の違いを抽象化すると、驚くほど普遍的な共通の構造を持っていることが分かります。

しかし同時に、美しい一般化ができそうでありながら、完全には割り切れないところが残るのも、言語の持つもうひとつの側面と言えるのかも知れません。

だからこそ、ことばは不思議で面白い—その一端を感じていただければ幸いです!

参考文献

Neeleman, A., Philip, J., Tanaka, M., & van de Koot, H. (2023) "Subordination and Binary Branching," Syntax 26, 41–84.
https://doi.org/10.1111/synt.12244

Radford, A. (2009) Analysing English Sentences: A Minimalist Approach, CUP.

Smith N., & Allott N. (2016) Chomsky: Ideas and Ideals, 3rd ed. CUP.
(今井邦彦・外池滋生・中島平三・西山佑司 [訳] (2019)『チョムスキーの言語理論—その出発点から最新理論まで』新曜社.)

中村捷・金子義明・菊地朗 (2001)『生成文法の新展開—ミニマリスト・プログラム』 研究社.

※ガリレオ研究室は、Amazonのアソシエイトとして適格販売により収入を得ています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?