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ルーイシュアンの宝石~6

11 妖獣の襲撃

やがて、蒼い夕闇が、辺りを包み込んだ。
イシュの疲労も考え、強行突破はやめて、野宿することをジーは決めていた。
大きな岩の下に、柔らかそうな下草の生えた場所を見つけたので、そこでイシュを休ませることにした。
飲むことも食べることもしないイシュは、それでも疲れた様子は見せなかったものの、しばらくすると子猫の様に丸まり、すぐに寝息を立てた。
携帯食をかじりながら、ふと自分の傍で無邪気に眠る幼い顔を見て、ジーは思わず微笑んだ。
そして、幼いながらも健気に文句ひとつ言わずについてきたイシュの、小さな体を見ていると、ジーの胸の奥に、何か不思議な感情が沸き上がってくるのを覚えた。
”私にも母性愛みたいなのがあったのかしら…”
ジーは思わず顔を赤らめ、そんな自分に苦笑した。

少しうとうとしかけていたジーの耳が、怪しい音を捉えた。
ジーはゆっくりと目を開けた。
「こいつは…」
ジーのとび色の瞳が、闇夜の中できらめいた。
ジーの鼻が、得も言われぬ穢れた臭いを嗅ぎつけていた。
ジーは瞬時に獣身の黒豹の姿を
ジーのひげが、ピリピリと動く。
「邪の欠片がお出ましになったか…」
ジーは体制を低くとり、身構えた。

しばらくすると、闇の中からズルズルとした音が響いてくる。
闇がゾロリと動いた気配がすると、薄気味の悪い群れが現れ出でた。
それは、鉛色の滑りを放つ巨大な蛭のような生き物、それにまたがる土気色の顔の者たち。ブヨブヨした大きな体。白茶けた髪のようなものが頭に当たるところにまばらに生え、肉塊のような顔に浮かぶ白濁した目をもち、笑ったように大きく開けた口の中は、紫色した歯茎が見える。
異形の群れは、みるみるうちに二人の周りを覆いつくした。

一番先頭にいた、ひときわ大きく、皮膚の垂れ下がる顔を持つそれが、ジーに一歩近づいた。
「我らは偉大なる邪様の僕なるバイキー一族だ。」
ジーは鼻先で笑った。
「邪の欠片の分際で、名前なんてご大層なものがあるのかい?」
大きなバイキーは、カッと白濁した眼を開けた。
「口が減らない獣だ。大人しくその子供をよこせ。」
「やだね。」
ジーはぴしゃりと言った。
「じゃあ死ね!」
大きなバイキーはニヤリと笑うと、もげ落ちそうな腕を振った。
それを合図にしたかのように、バイキーの群れは巨大蛭と共に一気にジーに襲い掛かった。
ジーは身体全体から青白い燐光を放つと襲い掛かるバイキーの群れに飛び込んだ。
バイキーたちは、口から目に見える澱んだ気を吐き出す。その澱んだ気とジーの燐光が激しくぶつかると、澱んだ気は一瞬で消滅した。
バイキーたちは、燐光を避けながら、手に持つ槍を繰り出した。ジーは華麗にその槍を避けると、バイキーの身体を鋭い爪で切り裂き、鋭い牙で急所を食らいちぎると同時に、バイキーの腹から飛び出してくるたくさんの触手を後ろ脚で蹴散らかした。崩れ落ちたバイキーたちの躯は瞬時に蒸発していく。

「くそっ、いけ!」
大きなバイキーが叫んだ。
後ろに控えていた、巨大蛭たちはその叫び声を合図に、その身体を鉛色の液体状に変えた。液体は一つに集まり鉛色の水たまりになり、眠るイシュに向かって音もなく進んでいった。
バイキーたちに気を取られていたジーは、一瞬遅れて巨大蛭たちの動きに気が付いた。
ジーが気づいたときは、もうすでに鉛色の液体にイシュは包み込まれていた。
「イシュ!」
ジーは叫んだ。
鉛色の液体は、イシュを飲み込みながら、闇へと消えていった。
ジーも後を追おうとしたが、バイキーの群れが行く手を阻む。
「イシュをどこに連れていく!」
ジーは怒りを帯びた声を上げた。
「お前には関係ない。」
バイキーはニヤニヤ笑っている。
ジーの身体から、更に輝きを増した青い燐光がスパークして広がる。
避けそこなったバイキーたちが、苦し気に身をよじる。ジーの鋭い爪がそれを切り裂いていく。
「あんたたちを相手にしている暇はないんだよ!」
背後から投げつけられた槍を、太い尾で弾き飛ばした。
「ちくしょう、数が多すぎる…」
ジーは悔し気に唸り声を上げた。
薄ら笑いを浮かべたバイキーの群れは、ジーにやられ蒸発していく仲間を踏みつけながら、ジーに向かってくる。終わりのない悪夢の始まりだった。

12 光狼

どれ位倒しただろうか…
無限に湧いてくる感も受けるほどバイキーたちは減らない。
ジーの疲労はピークに達していた。
疲労と本来の闘争本能と、奇妙な恍惚感という感覚が、ジーの心も体も包み込んでいた。
こんなにしつこく手こずる邪の欠片を相手にするのは初めてだった。大概の邪の欠片は、獣身の放つ燐光でかなりの打撃を与えられるはずだった。
しかし、このバイキーたちは、確かに燐光を恐れていたが、臆することはなかった。スギライ・ロー神殿に近づいている故に、邪のパワーが強くなっているのだろうか。それとも、モルバブジの怪しい魔力が邪の欠片の本来以上の力を与えているのだろうか。
ジーは、底知れぬ不気味さを感じていた。
しかし、早いところ、この邪の欠片たちを倒さないことには、鉛色の液体に連れ去らわれたイシュを助けに行けない。苛立ちと焦燥感が、ジーの心の中で暴れていた。
繰り出された槍を、たくましい前足で払いのけると、電光石火の勢いで、槍を繰り出したバイキーを喰いちぎった。

その時だった。
まばゆい光を放つものが、戦いの輪の中に飛び込んできた。
「シャクティーア?」
ジーは戦いながらも、光を目で追った。
シャクティーアの輝きよりは、柔らかな静かな輝きだった。
光の中央に、獣身が見えた。
とても大きな狼だった。
狼にしては珍しい、真っ白な豊かな毛皮に包まれたその身体は大きくがっしりとしていた。太い筋肉質の前足は、一撃を放ったら大概のものを破壊できそうだった。
精悍な顔には、黄金色に輝く鋭い瞳と、濡れたような黒い鼻。左顔面に、深い傷が刻まれていた。額に渦を巻く銀色の毛が浮き出ている。

「手伝うぜ。」
光る狼はジーにウインクをした。
「あんたは…」
ジーは目を丸くした。
答えを待つまでもなく、光る狼はバイキーの群れに飛びかかっていった。
飛び込んだ瞬間、狼の身体から、激しい光のスパークが広がった。
一瞬でバイキーの群れは包み込まれ、のたうちまわる。
光る狼と、ジーは、数分もかからず、バイキーの群れを片付けた。
バイキーたちの躯は瞬時に粉々に崩れ消滅した。

「ふう… ありがとう。助かったわ。」
ジーは獣身も解かず、光る狼にお礼を言った。
「手こずっているようだったからな。」
光る狼が笑いながら言った。
「さすがの私も、あのしつこさには参りかけたわ。」
ジーも素直に認めて、苦笑した。
「あんた、怪我してるぜ…」
狼は黒豹の脇腹にできた傷から流れる血に目を向けた。
「掠り傷よ。そのうち治るわ。それよりイシュを助けなきゃ…」
「イシュ?」
「旅の連れよ。まだ子供なの。鉛色の蛭に攫われてしまった…」
「ちょっと待て。」
光る狼は、何かの匂いを確かめるかのように、鼻をうごめかせた。
「こっちだ。」
光る狼はそういうと、闇の中を走り出した。
「待って!」
ジーもすぐに後を追いジャンプした。

山の中を素晴らしい速さで、光る狼は走り抜ける。
輝くその姿は、夜の山の中でも見失わずにすんだ。
切り立った崖の中腹に黒々とした口を開けた洞穴の前で、光る狼はようやく足を止めた。
「この中だ。」
「ありがとう!」
ジーはお礼を言うと、洞穴に躊躇なく飛び込んでいった。
薄暗い洞窟の奥で、鉛色の巨大蛭たちが、その主であるバイキーたちを待っているようだった。
いきなり現れた燐光を放つ黒豹を見て、巨大蛭たちに動揺が走る。
じーの鋭い爪はブヨブヨしたその身体を切り裂くと、一瞬で蛭は蒸発していく。液体化して逃げ出そうとする蛭の群れを、入り口で待ち構えていた光る狼のスパークによって消し去られた。
あっという間に洞窟内に静けさが戻った。
一番奥深く、イシュが横たわる姿があった。
「イシュ!」
ジーは大きくイシュの元に跳躍すると、一瞬で人間の姿に戻り、イシュを抱き起した。
「う、う…ん…」
イシュは眠そうな声を出し、目をゆっくりと明けた。
「あ、もう行くの?」
「良かった!無事だったのね。」
ジーはねぼろけまなこのイシュを、力一杯抱きしめた。
「何だか深い訳がありそうだな。良かったら教えてくれないか?」
光る狼は興味深そうに問いかけてきた。

「あなたは誰?なぜその姿は光を放つの?」
ジーはイシュを抱きしめたまま尋ねた。
「俺の名はリュウ。光狼族の者だ。」
光る狼は言った。
「光狼族…あ!光の翼を得た種族ね。聞いたことあるわ。」
ジーは、驚いたように言った。
「なるほど。あなたは聖獣なのね。だから私たち普通の獣身みたいに、瞬間的な燐光を放つのではなく、ずっとその輝きを保っていられるのね。でも、あんたには翼はなさそうだけど…」
ジーはリュウの輝く狼の巨体を、しげしげと眺めた。
「まだこっちの世界に用があるんでね。翼は持つ気ないんだ。」
リュウはそっけなく言った。
「そういえば、あんたのことを情報屋のパオが言ってたわ。」
ジーは酒場での会話を思い出していた。
「じゃあ、あんたはマニの果実を手に入れたの?」
「知りたいのか?」
「べ、別に…」
「マニの果実は、所詮、伝説さ。」
「そんなの、シャクティーアを捕まえてみなければ分からないわよ。」
ジーは声を荒げた。
「ところで、あんたがこの世に留まっている訳は何なの?」
「シェアの風を探している。あんたには関係ない…」
リュウはポツリと呟く。
「いいわよ。別に知りたくもないし。」
ジーもそっけなく答える。
「私は、ジー。谷の大豹族の最後の生き残り。この子はイシュ。この子の素性は分らないの。」
そこで、ジーは、今までの経緯を、掻い摘んで説明した。
話を聞くうちに、リュウの瞳が輝き始めた。
「なるほど、そういう訳が…」
リュウは感慨深げだった。
「面白そうな話だぜ。よし、俺も一緒に行こう。俺も邪の欠片共には、少々遺恨がある。それを晴らすにはちょうどいい機会だ。」
「えっ?」
ジーは怪訝そうな顔をした。
リュウは一瞬で人間の姿をとった。
女性でもかなり背の高いジーよりも、遥かに背が高かった。がっしりとした体躯は無駄な肉はなく、良く鍛えられていた。陽に焼けたレンガ色の肌を白い服で包み込む。精悍な顔、黒い大きな瞳。高く筋の通った鼻…
柔らかな長めのブロンドの髪は、後ろで一つにまとめられていた。
歴戦の証だろうか、その左頬に、大きく深い傷が刻み込まれていた。額には渦巻き型の銀色の痣がある。
「だって、あんたは、何とかの風を探してるんでしょ?いいわよ、別についてこなくても…」
「じゃあ、この先その獣身もとれないその少年を、たった一人で守りながら連れていけるのか?相手はモルバブジだぞ?」
「……」
ジーは押し黙った。
「伊達に俺の身体は光を放っているわけじゃないぜ。聖獣の力は、余越亜相手に必ず役に立つ。」
リュウは微笑んだ。
「珍しくシャクティーアの姿を見たから、追ってきたら、君の戦闘シーンに出会った。少年はシャクティーアに護られているようだからいいけどそれでも君一人では手に余るはずだ。この先の邪の欠片共は、ここ最近力をつけてきているし…」
「でも…」
「俺はこう見えても聖獣の端くれだ。目の前で困っている女性を見過ごすことはできないよ。」
リュウはおどけたように笑いかける。
ジーは無言でいた。そしてすっとリュウの黒い瞳を見つめた。リュウも静かにジーの瞳を見つめた。

「分かったわ…」
ジーはとび色の瞳を光らせた。
「聖獣であるあなたを信じることにするわ。その代わり…」
ジーは言葉を切ると、右腕を獣身に変化させ、鋭い爪を剥きだした。
「もし、裏切るようなことをしたら、その時は聖獣だろうがなんだろうが…」
「おお、怖わ…」
リュウは苦笑した。
「信用ねえなあ…大丈夫だよ。天に誓うぜお姫様。よろしくな、少年。」
やり取りを唖然としてみていたイシュは、いきなりリュウに見つめられ、あたふたした。
「あ、イシュといいます。よろしくお願いします。」
イシュは深々とお辞儀をした。

「そうと決まれば、早速そのボーボーラとやらを助けに行こうぜ。」
リュウは励ますように言った。
「もうすぐ夜が明ける。出発には良いタイミングだ。」
「待って!」
ジーは思案気に言った。
「獣身で行きましょう。」
「ジー…」
イシュは驚いたようにジーを見た。
「イシュ、あんたは私の背に乗りな。」
「え?いいの?だってジーはあんなに人に触られるのを嫌がってるのに…」
「いいのよ。あんたを護るためには、四の五の言っていられないわ。それに…」
ジーははにかむように微笑んだ。
「あんたのことを、私気に入ってるのよこれでも。」
イシュが答える間もなく瞬時に黒豹の姿をとった。
イシュはそっとその巨大な黒豹に近づいた。そして、そっと優しくその毛皮に触れ、背にまたがった。普通の黒豹よりかなり大きいその身体は、イシュの華奢な体がさらに小さく見える。ジーの背中に収まったイシュは、そっと頬を黒豹の毛皮に寄せた。滑らかなビロードのような毛皮越しに、温かなジーの体温が伝わってくる。その時、イシュの目に痛々しげで生々しい脇腹の傷が目に映った。
「怪我したの?ジー…」
イシュはジーの脇腹の傷にその手を当てた。手から優しい光が出ると、みるみるうちにその傷は癒えていった。
「イシュ、お前凄いなあ…」
リュウが感心したように呟く。
「ありがとう、イシュ。さあ、行くわよ。」
「よし、行こう!」
リュウも瞬時に光狼の姿をとった。
そして、子供を乗せた黒豹と光る狼は、夜明け近い険しい山を、難なく風の様に駆け抜けていった。

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