マガジンのカバー画像

暗渠道への誘い

11
世田谷区内を中心に、かつての川の跡=「暗渠」をたどる。 そんなマニアックな趣味を持つ教員が、川の痕跡を探しながら、あれこれ語ります。
運営しているクリエイター

#世田谷区

暗渠道への誘い 蛇崩川編③ ~水辺の記憶の、残しかた~

前回は、世田谷丸山公園にあった巨大下水道工事現場の話からハザードマップの話に及び、さらに850年前の源頼朝の故事にまで繋がるという、なかなか守備範囲の広い記事だった。 蛇崩川本流はもう半分以上辿ってきたことになる。今回は一気に上流端まで駆け抜けよう。 先に言っておくと、今回は蛇崩川編(全4回?)の中で、最もゆるい回である。 小難しい話はさておいて、ルート上の景色を素直にたどって鑑賞していく回だ。肩の力を抜いてお読みください。 まさかの身近な文房具 話はちょっと下流側に戻

暗渠道への誘い 蛇崩川編② ~八百年前の馬から~

蛇崩川編、前回は目黒区の区間を遡上して、世田谷区との境界のあたりまで紹介した。 今回は世田谷区ゾーンに突入して、ずんずん遡上していこう。 川跡に残る、馬のひづめの跡 現在地は、世田谷区下馬1丁目と同5丁目の境界。 この「下馬(しもうま)」という地名は、初めて知ったとき、少々不思議な地名だなと感じた。 少し西に行くと「上馬(かみうま)」もある。 それだけではなく、上馬の西隣には「駒沢」もあるし、下馬地区には駒留中学校、駒繋小学校、駒繋神社がある。 やたらと馬に関する地名が多

暗渠道への誘い 蛇崩川編① ~暴れ蛇を、逆撫でする~

こんな素敵な名前が、地名にも駅名にも残っていないなんて、もったいない!! 住所に「蛇崩」って文字が入っていたら、私はカッコいいと思う。好き嫌いは分かれそうだけど。 かつては目黒区の地名だったのだが、それも消えて久しいようだ。 由来は目黒区のウェブサイトに記載がある。 江戸時代の文献に、「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことから、この地名が生まれた」との記載があるようだ。ほかにも諸説あるらしい。 いま、この蛇崩の名前を残しているものは、多くはない。 「蛇崩」交差点、

暗渠道への誘い 谷戸川編③ ~人工と自然の狭間で~

暗渠をたどるニッチなコラム、その谷戸川編の、最終回である。 間が空いたので、簡単にこれまでの川筋を振り返っておこう。 前回、ずいぶんと寄り道を繰り返した。復習も兼ねて、このタイミングで地図を載せておきたい。 (でも地図の下半分は本稿で辿るエリアである。ネタバレを避ける意味では、下半分はあまり見ない方がいいかもしれない 笑) (Google My Mapsが見られない方は、下の画像をどうぞ) 谷戸川の旅は、こんな心細い閉鎖空間の暗渠から始まった。 いつのまにか「蓋暗渠」

桜並木暗渠道への誘い ~暗渠のハレの日~

なんだかいつもより人通りが多いな、と感じていた。 そうだった。桜の季節は、暗渠道にとっても特別なのだった。 *  *  *  *  * 「谷戸川編」の連載の途中だが、今回は読み切りの番外編である。 暗渠の緑道沿いには、とにかく、桜の木が多い。 そのことに気づかされるのは、この季節になってからなのだが。 (だから迂闊にも、以前に書いた烏山川編では桜について一切の言及が無かった) 日本では、緑道沿いには桜が植えてあることが多い気がするし、 また川沿いに桜が植えてあるのも

暗渠道への誘い 谷戸川編② ~取り残された空間たち~

間隔が少々空いてしまったが、谷戸川編、第2回である。 前回は、源流部から川下りをし、暗渠から開渠へと劇的に変わっていく川の姿を楽しんだ。そして「谷川橋」という橋のところまで紹介して終わっていた。 「萌え断」に誘われて まずは、前回の最後の写真を再掲しよう。 何度見ても、良い。 「断面萌え」あるいは「萌え断」という言葉があるようだが、こういう状況で使うための言葉だろう。 暗渠の断面だよみんな!!! 当然、橋から身を乗り出して覗き込むよね。 フラッシュをたいて、断面の内部

暗渠道への誘い 谷戸川編① ~暗渠の蓋の、その下へ~

「蓋がされ、暗渠の状態になった川だからこそ、その独特の風情に惹かれる」 それは間違いない。 しかしながら、その一方で、 「蓋がされる前、開渠の状態だった川は、どんな様子だったのか、見てみたい」 とも思ってしまう。 これはおそらく、すべての暗渠愛好家が抱く、ジレンマのようなものではないかと思う。 暗渠化された川の蓋が外され、開渠に戻る……などということは、ほとんど無いと言って良い。 だから「答え」を見ることは不可能なのだが、ヒントを与えてくれる川がある。今回はその川を辿