マガジンのカバー画像

気まま日本史探訪

24
世田谷学園の日本史教師が、足の向くまま気の向くままに、旅と歴史を語ります。
運営しているクリエイター

記事一覧

深谷の旅

埼玉県深谷市にやってまいりました。 深谷市は利根川と荒川に挟まれた土地で、江戸時代には中山道の宿場深谷宿として栄えました。現在は深谷ねぎなどが有名ですね。 まず訪れたのは、鎌倉時代に深谷市を拠点としていた武士、畠山重忠の生誕地です。 畠山重忠は秩父氏の一族で、武蔵国男衾郡畠山郷(深谷市)を拠点としていました。 「坂東武士の鏡」とも称された智勇兼備の名将です。 治承寿永の乱(いわゆる源平合戦)では途中から源頼朝の御家人となり、源義経に従って西国に派遣され平氏討伐などで大活

東北縦断の旅 ⑩津軽(最終回)

あっという間に最終日。 最終日は、まず津軽半島方面に北上していきます。 弘前から車で移動すること1時間。十三湊(とさみなと)に到着しました。 十三湊は鎌倉時代に安藤氏の下で急速に発展しました。安藤氏は鎌倉幕府の得宗北条氏の被官(御内人)で、鎌倉時代後半に登場します。安藤氏は鎌倉時代に「蝦夷管領」、室町時代以降は安東氏と改めて「奥州十三湊日之本将軍」と名乗り、東北地方において絶大な影響力を持ちました。 戦国時代に入ると秋田氏と改めますが、台頭してきた南部氏に敗れて衰退して

東北縦断の旅 ⑨弘前

大湯をあとにし、いよいよ今回の旅最後の青森県に入ります。 やってきたのは青森県と秋田県の県境にある十和田湖。 約3万年前、旧石器時代に形成されたカルデラ湖です。十和田火山の山頂に水が溜まって形成されたものであり、将来的な噴火の可能性もあるそうです。 とはいえ、現在は広く美しい湖で、多くの観光客でにぎわっていました。 湖沿いの小道を歩いていくと建っている湖畔の十和田神社は、蝦夷のアテルイと激闘を繰り広げた、平安時代初期の征夷大将軍坂上田村麻呂が建立したという言い伝えがあり

東北縦断の旅 ⑧大湯

大館市から車で40分ほどの場所にあるのが、「縄文のストーンサークル」大湯環状列石です。 大湯環状列石は、写真のように大量の石が環状に配置されています。これは今から約4000年前の縄文時代後期に作られたもので、当時の人々の集団墓であると考えられています。 縄文時代はまだ明確な身分や貧富の差が生まれていなかったと考えられ、後の弥生時代・古墳時代に比べれば墓のバリエーションもありません。 しかし、大湯環状列石は他の地域、特に同時代の西日本には見られない整然とした配置の墓を作って

東北縦断の旅 ⑦秋田

宿泊したホテル、マタギの湯には、マタギ資料館が併設されています。 ここでは、マタギの生活の様子や、彼らの使っていた道具・武器、また、江戸時代の資料などが展示されています。 「マタギ」とは、前近代の東北地方などにおいて狩猟を生業としていたハンターで、ここ秋田県阿仁はその発祥の地の一つでもあります。 マタギと呼ばれる人々の活動は平安時代頃から見られはじめ、当初や弓矢と槍(「タテ」と呼びます)で狩りを行っていましたが、近世になると、鉄砲を用いています。 マタギはカモシカやイノシ

東北縦断の旅 ⑥院内

酒田市から車で2時間。秋田県に入りました。 秋田は奈良時代に出羽柵(後に秋田城)が置かれ、鎮守府が置かれた多賀城(宮城県)とともに大和朝廷の東北支配の拠点でした。 その後は奥州藤原氏・鎌倉幕府・室町幕府の支配下に入りながらも、江戸時代になるまで多数の豪族が割拠していました。 江戸時代には、関ヶ原の戦いで西軍についたため転封処分を受けた佐竹氏が常陸から移ってきました(久保田藩)。 この際、佐竹氏が常陸中の美女を集めて秋田にやってきたという逸話から、秋田には美女が多いと言わ

東北縦断の旅 ⑤酒田

鶴岡から電車で30分、最上川河口の町、酒田市にやってきました。 酒田市というと、有名な写真家土門拳さんの出身地としても有名ですが、今回酒田にやってきた理由は、この海向寺にあります。 この蔵の中に、「即身仏」が安置されています。 即身仏とは?(wikipediaより) 日本の一部地方に見られる民間信仰において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定:にゅうじょう)と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即

東北縦断の旅 ④羽黒山

出羽三山の一つ、羽黒山。 出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で明治時代に神仏分離政策が行われるまでは、修験道の修業場として栄えました。 さすがに二日連続で山登りは嫌なので、バスで一気に本殿まで。 羽黒山の山頂には出羽神社が鎮座しています。 こちらが三神合祭殿(本殿)。周囲にはたくさんの祠があります。 三神合祭殿内部。出羽三山には稲倉魂命(羽黒山)、月読命(月山)、 大山祇命・大国主命・少彦名命(湯殿山)がそれぞれ祀られていますが、月山と湯殿山は道が険しく参詣が難し

東北縦断の旅 ③山形城

1日目の最後は山形城にやってきました。 山形城は最上氏の本拠地です。 最上氏は室町幕府の足利氏を祖とする斯波氏の一族で、南北朝の動乱で出羽に勢力を伸ばし、室町幕府の下で羽州探題を世襲した名門です。 ドドーン! か、かっこいい……。 戦国時代、伊達氏に押され凋落していた最上氏を一代で立て直し、最盛期を築き上げ、後世「虎将」と呼ばれた最上義光。 右手に持つ指揮棒には、「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光」と刻まれています。 大河ドラマ「独眼竜政宗」では甥の伊達政宗の宿敵

東北縦断の旅 ②山寺

米沢駅から電車で1時間。 山寺駅に到着しました。まあ、もうこの時点で俳句に詳しい人は何の俳句なのかはわかりますよね。 その名の通り、この山の中にお寺があります。 正式名称は、宝珠山立石寺。 さて、夏の暑さが厳しい中、山道を登っていくと、意外にも早く二人がお出迎え。 松尾芭蕉とその弟子曾良です。 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 元禄2年5月27日(1689年7月13日)に、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、この立石寺に立ち寄り詠んだ歌です。 芭蕉は何度も再考して完成

東北縦断の旅 ①米沢

2018年夏。3泊4日の東北地方縦断の旅に行きました(岩手県は4回行っているので今回はスルーです)。 まずは新幹線に乗って米沢駅へ。 そこからバスに乗って米沢城址へと向かいます。 さて、米沢というと、誰もが聞いたことのある戦国時代の武将たちゆかりの地でもあります。 まずは、「独眼竜」伊達政宗。 米沢は政宗の祖父伊達晴宗以来、伊達氏の居城であり、政宗もここで誕生しました。 政宗は、会津の葦名氏を滅ぼすなど、東北に一大勢力を築きましたが、結局、豊臣秀吉の命によって会津・米沢

鳥取の旅④(最終回)

三仏寺をあとにし、次はもう一つの投入堂に向かいます。 なぜかこんなところに藤原秀郷の墓が。 藤原秀郷は、関東の武士で、平貞盛とともに平将門を討伐しました。 また、大蛇から頼まれて近江国で百足(ムカデ)を退治し、その褒美として米の尽きることのない俵を与えられたことから、「俵藤太」の異名をとります。 藤原秀郷と鳥取。全く関係ないように見えますが、謎ですねぇ。 鳥取県八頭郡若桜町にある鳥取県のもう一つの投入堂、不動院岩屋堂です。岩壁のくりぬかれた部分に、すっぽりとお堂が入ってい

鳥取の旅③

2日目は気を取り直し、まずは今回の旅の本命の場所へ。 鳥取駅からは車で2時間ほどなので、7時にホテルを出て9時に到着。 その場所へは険しい山を登っていかなければなりません。 あくまで修行場であり、道は整備されていません。死傷者が出ることもあるので、一人で登るのは禁止です。 基本的にソロプレイヤーの自分にとっては何とも厳しいルールです。 入り口で待っていると、千葉県から来たという老夫婦にご同行させてもらえることになりました。 急な崖。木の根っこをはしご代わりに登っていきま

鳥取の旅②

伯耆富士大山に到着しました。 大山はこの地域の山岳信仰を集めた場所で、奈良時代初期に編纂された『出雲国風土記』にも記述が出てきます。 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という神様が、現在の島根半島を引っ張ってきたという「国引き神話」において、この大山を杭代わりにして綱を巻き付けたそうです。 さすがに山登りをするのは大変なので、少し上ったところにある社殿にお参りをしました。 大山は、山陰地方であまり歴史的にも目立たないのですが、中世には畿内の寺院に劣らない大勢力