【木曽駒ヶ岳】ウマくいかない雪山登山
「同じ信州の木曽谷と伊那谷の間を仕切って、蜒々(えんえん)と連なった山脈、普通これを中央アルプスと呼んでいる。(中略)その中の最高峰が駒ヶ岳で、それと相対して東のかた伊那谷を距(へだ)てて真向いにある南アルプスの駒ヶ岳と区別するため、前者を木曽駒(西駒)、後者を甲斐駒(東駒)と呼び慣わしている」(深田久弥著『日本百名山』より)
木曽駒ヶ岳(2956メートル)に登るのはもう3回目になる。1回目は2022年8月にソロで、2回目は2023年7月に登山仲間と訪れた。夏の姿は十分目に焼き付けたが、冬の姿はまだ知らない。ということで、雪の中央アルプスに初めて挑戦することにした。
2月16日夜に長野県伊那市内のホテルで前泊。到着が夜遅かったため、夕食はホテル近くの中華料理屋で、焼餃子と酢豚をつまみに軽くハイボールで1杯。翌17日午前6時半にJR伊那市駅前にて車でやってきた登山仲間にピックアップしてもらう。
午前7時ごろ、木曽駒ケ岳登山の起点となる菅の台バスターミナルに到着。夏に来た時は早朝にもかかわらず始発のバスを待つ登山客で駐車場が結構埋まっていた。だが厳冬期ということもあって、駐車場にはずいぶん余裕がある。臨時の増発便を1本見送り、始発の午前8時15分のバスに乗り込む。
バスに揺られること約30分。ロープウェイの山麓駅「しらび平駅」に到着。すぐにロープウェイに乗り換えて約7分、ロープウェイの中は山手線の満員電車並みの混雑具合だ。空中散歩を楽しむ余裕もなく、気づけば、ロープウェイの山頂駅「千畳敷駅」(せんじょうじきえき)(標高2608メートル)に到着した。
千畳敷カールは一面真っ白な雪化粧に包まれている。先を行く登山者たちはアリの行列にも見える。まずは八丁坂と呼ばれる急登だ。夏も険しく感じた急登は雪に覆われると、さらに傾斜を増したような気がする。すれ違った東南アジア風のグループは片手にスマホを持ってライブ配信をしながら登っている。それだけの余裕があるのがうらやましい。
息を切らしながら登り切ると乗越浄土(のっこしじょうど)にたどり着く。必死に登っている間に周囲の天気は悪化している。天気予報は良好だったのにすっかり霧に覆われている。
夏にトイレ休憩をした「宝険山荘」は冬季は閉鎖されているらしい。夏はここから宝険岳のピークを踏みに行ったが、冬季は上級者しかオススメされないということで、おとなしく木曽駒ケ岳の山頂をめざす。
途中、中岳を経由して山頂をめざすが、いよいよ周囲はホワイトアウトの様相だ。慎重にルートファインディングをしながら、進んでいく。午前11時半、山頂に到着。景色は望むべくもない。天候に恵まれれば素晴らしい眺望があるとわかっているだけに落胆も大きい。
山頂では即席麺を食べる余裕と場所もなく下山を開始。カロリー補給が足りず、引き返す途中の中岳山頂でパンを食べる。八丁坂の下りは怖かった。ポールだけで下りられるのか不安だったが、ピッケルなしでもなんとか下山できた。
千畳敷駅に帰還。よく見るとゲーターが破れていた。どうもアイゼンの爪で引っかけたらしい。疲労感が増す。ロープウェーの時間まで温かいコーヒーを飲んで一服する。
下山後は菅の台バスターミナルからほど近い温泉「早太郎温泉こまくさの湯」。広々とした浴場から見える峰は白い雪をかぶっている。なんとも美しい。
夕食は駒ケ根の名物という「ソースかつ丼」を食べに行くことにする。午後5時ごろ「明治亭 駒ケ根本店」に入店。看板によると、ソースかつ丼のルーツは、昭和3年ごろに駒ケ根の料理人が東京・浅草の洋食屋でカツレットを食べたことにあるらしい。注文したのはもちろんソースかつ丼。ごはん少なめにしたのにカツのボリュームにお腹はいっぱい。名物の馬刺しも食べられたので大満足だ。
馬と言えば、案内された座敷席には「人間万事塞翁が馬」の書がかかっている。なかなか晴れない雪山登山のうえにゲーターは破れてしまい、気持ちは落ち込んでいたが、少し励まされた気持ちにもなる。さて次の登山はウマくいくことを願いたい。(2024年2月17日)
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