生産性の低さと日本らしさ
生産性を高める事が企業には求められる。
同じ時間でいかに稼ぐか、、、
一人当たりの労働生産性については日本は先進7か国の中(今でも日本を先進国といえるのかはさておき)で1970年からずっと最低らしい。
なぜ、日本はここまで生産性が低いのか。
高度成長期の日本は終身雇用・年功序列といった日本型経営で、経済は右肩上がりだった。その働き方の中にはサービス残業当たり前、休日出勤当たり前で身を粉にして働く代わりに、定年までの雇用と昇給、退職金が約束されていた。そこに生産性という概念はほとんど無かったと思われる。
絶妙なバランスで労使が依存しあい、企業価値を高めながら欧米列強に追いつき追い越していった。1990年の企業の時価総額ランキングを見ると、驚くべきことに世界のトップ5を日本企業が独占し、トップ50社のうち32社は日本企業であった。それから30年。2019年にはトップ50社のうち日本企業はトヨタ1社のみという。
リーマンショック以降のアメリカ企業の復活からの成長などを見ていると、バブル崩壊の煽りを受けたとはいえ、舵取り如何ではここまでの衰退は避けられたのではないかとは思う。
一方で、いつからか欧米流の経営手法に舵を切り、欧米と同じ土俵で勝負をするようになったことで、日本企業の良さが消え、次々と企業価値を落としていったとも考えられる。
無駄な仕事を削り、付加価値を生むことに直結することだけに取り組む。そうすることで生産性はあげられるのだが、果たして日本企業にとってそれが良いことかというと、一概にそうとは言い切れない。
コロナ前のインバウンド景気、オリンピック誘致での「おもてなし」といったことは生産性の低さ故の産物ではないかと思うのである。
日本に旅行で訪れる外国人が口をそろえて称賛することに、日本人の気遣いとサービスの質の高さがあげられる。それらは裏を返せば、諸外国と比べてサービスの質と価格のバランスが取れていないという事だろう。そこに生産性を持ち込んでしまうと、そのような過剰ともいえるサービスは姿を消すことになる。
結果論だが、バブル崩壊以降も生産性を高める事を捨て、日本らしさを突き詰めていくことができていれば、日本らしいオンリーワンの企業が世界と戦えていたのかもしれない。
ブータンが「幸せの国」といわれるように、世界中の人々が同じ価値観で同じような結果を求める必要はない。日本企業にとってグローバル企業の価値観で売上げや給料を上げていくことを求めるのは、この先ますます難しくなるだろう。
そのような中で日本が生き残っていく道は、日本らしさを追求していくことしかないような気がする。