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高野 秀行「謎スランプと「インナーネット」」【全文公開】

高野 秀行(たかの・ひでゆき)——ノンフィクション作家。
1966年、東京都生まれ。『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞。近著に『語学の天才まで1億光年』『イラク水滸伝』など。

「高野さんは謎をどうやって見つけているんですか?」
 こういう質問を最近、頻繁に受ける。読者の人たちからすると、私のように三十五年以上にわたってひたすら謎を探し続けているのは驚異なのだろう。大学探検部在籍時に探しに行った「謎の怪獣(未知動物)モケーレムベンベ」を皮切りに、「謎のアヘン王国」「謎の西南シルクロード」「謎の独立国家ソマリランド」「謎のアジア・アフリカ納豆」「謎のイラク巨大湿地帯」などなど、場所もテーマも異なり、ほとんどの日本人が存在すら知らないような謎を見つけて、現地で探索しているのだ。しかもその間、時代はどんどん高度情報化とグローバリゼーションが進み、世界から謎や未知が急速に減っていると思われるからなおさらだ。
 「どうやって」には二種類の質問が含まれている。一つは「情報源は何なのか」。これに対する答えは簡単だ。私は特別な情報網を駆使しているわけでは全然ない。ごく普通に本、雑誌、新聞、インターネット、口コミから面白そうな情報を得ている。
 例えば、イラクの巨大湿地帯のときは朝日新聞の国際面に大きな写真入りの記事が載っており、それで知った。朝日新聞は公称約二百万部だというから、少なくとも数十万人がその記事を目にしたはずだが、圧倒的多数の人は「へえ」とちょっと感心しだけですぐ次のページをめくって忘れてしまったにちがいない。読んだ瞬間に「これはすごい!」と興奮し、朝日新聞に電話をかけて、二日後には記事を書いた記者に詳しい話を聞いていたのは私ひとりだけだろう。そして、記者の人は湿地帯へ二泊三日で訪れただけだと知り、「これは俺が本格的に調べるしかない!」と決心した(まさかそれを取材して『イラク水滸伝』という本に結実させるために六年も悪戦苦闘するとは思わなかったのだが)。
 「どうやって」のもう一つの質問(と答え)がここにある。それは「なぜそれが謎であり面白いと気づけるのか」ということだ。私は「日頃から無意識的にアンテナを張っているから」などと得意げに答えてきた。
 とはいうもののアンテナを張って自動的に謎をキャッチし続けたのかというとそんなことはない。よくよく考えれば、これまでの人生で二回、「謎スランプ」に陥ったことがあった。そんなスランプは聞いたことがないと思うが、「どうやってもうまく謎が見つからない」という状態だからそう呼ぶしかない。
 最初の謎スランプは大学を卒業し、フリーのライターになったあと。それまでは学生だったから自分の好きなことをやってきた。ところがライターになると、それでお金を稼がなければいけなくなる。「企画」を立て、「ネタ探し」をするようになった。これがつまずきの元だった。
 自分が面白いというより「これを探したら受けるんじゃないか」と思ってしまうのだ。当時私は中国の辺境をよく旅していた。中国の辺境には不思議なものや変な話がたくさんあった。でもそれが謎かというと微妙であった。今でもよく憶えているのは雲南省の西双版納シーサンパンナにある「茶樹王」を探しに行ったことだ。なんでも、世界でいちばん大きなお茶の木が森の中に生えているという。私は地元の人たちに聞き込みを重ね、バイクタクシーを雇って、途中で民家の納屋に泊まったりしてやっと茶樹王を発見した。そして途方に暮れた。何をすればいいか全然わからなかったのだ。
 茶樹王は高さ十メートルぐらいで、日本の茶畑を見慣れた私の目にはとてもお茶の木に見えなかったが、かといって、他の樹木、たとえばそこらの雑木林に生えているナラとかカシとかクヌギとさして変わりないように見える。これを写真に撮っても何もインパクトがない。なにより私は茶樹王について無知すぎた。樹木やお茶に対する知識もまるで欠けていた。もしこの木が植物学の常識をひっくり返すとか、この木からとれるお茶が特別美味しいとか、これまで何百人もの人が探し求めていたがその木を見た人は全て死んでしまったという伝説があるとかいうのであれば発見の意味がある。でも私には茶樹王の発見にどんな意味が見出せるのかまるでわからなかった。茶樹王の価値すら不明だった。意味や価値がわからないと不思議なものや珍しそうなものでも「謎」にならないわけだ。
 この最初の謎スランプは二、三年続いたが、最終的には私が前からずっと熱望していた「謎のアヘン王国」に住み込んで自分で実際にケシ栽培とアヘン生産を行うことで解消された。人に受けようがどうしようが自分がその謎を解き明かしたいと思えばいいとわかったのだった(とはいえ、その後もずっと私の本は売れず普通に不遇であったが)。
 二回目の謎スランプは四十代半ばにやってきた。私の本がだんだん認知され、仕事量が増えてきたのと比例するかのように、謎が見つからなくなってきた。自分の「謎感知能力」が枯渇したんじゃないかという恐ろしさを感じたものだ。内的な好奇心といっても私という一個人の視野や知識には限りがある。年齢を重ねればどんどん自分のスタイルが確立していき、柔軟性が失われることにも関係があるかもしれないなどと思ったりもした。この時代は試行錯誤しながら、『腰痛探検家』なる腰痛体験記を書いたり『メモリークエスト』という謎を一般募集するという極めてユニークな本を作ったりした。それから中東イスラム圏に興味をもち、片っ端から旅して回りながら、関連書籍も読みまくった。だがなかなか謎を見出せずにいた。
 今から思えば、当時の私はまだ「アンテナ」の数が限られていたのだと思う。
 どうやって謎を見つけるのかという質問に「いつも無意識的にアンテナを張っている」と答えていると前に書いたが、アンテナはただ適当に立てればいいというものではない。携帯やテレビのアンテナだってそうだろう。目的を考え、その土地の地形や電力や電波の特性に応じて、最も効率のよい方法でアンテナを立てるわけだ。そのためには物理学や化学、地理学、工学などさまざまなジャンルの知識と経験が必要となる。
 「謎」を見つけるのも同じだ。特に私は完全に一人でやっているから短期間にたくさんのアンテナを立てることは難しい。
 それまではコンゴや東南アジアから中国といった限られた地域を対象に仕事をしていたから少ないアンテナでもやっていけたが、急に仕事が増えたためフィールドを広げざるを得なくなり、アンテナの数が足りなくなったんじゃないかと思う。携帯のアンテナだって、東京都だけなら少なくても済むだろうが、全国をカバーするためにはその何十倍ものアンテナが必要になるはずだ。
 やがて、第二の謎スランプから脱出するきっかけになると同時に私にとって大きなブレイクスルーになったのが『謎の独立国家ソマリランド』の取材執筆だ。長らく内戦中であるアフリカのソマリア共和国内に出現したソマリランドなる地域は実際に行ってみると、ちゃんと国家として機能していた。ではなぜそこだけ内戦が終結して平和になったのかとか、どのような国家体制になっているのかとか、あるいはそもそも国家とは何かという疑問が芋づる式に出てきた。
 この頃、私自身のアンテナはようやく充実してきた。ブータンへ行って人工的な国家造りを目にしたので「国家とは何か」を考える素地ができていたし、中東イスラム圏をせっせと旅していたから、イスラム的な感覚が身につき、中東イスラム圏に普遍的なこととソマリ人に特殊なことの見分けがつくようになってきた。だからソマリ人の社会を「謎」と感知できた。
 ソマリランドに取り組んでいるうちに自分の中で培ってきた体験や知識が急速に繋がりだした。インターネットならぬ「インナーネット」とでも言おうか。私はようやく「自分の内的な好奇心を芋づる式にたぐっていく」という手法を体得したように思う。
 最近出した『イラク水滸伝』でもそうである。なぜ私だけがイラクの巨大湿地帯の記事に反応できたかと言えば、(一)九〇年代から謎めいたフセイン独裁国家に住み込んでみたいと思っていた、(二)中東イスラム圏の歴史、文化、政治、宗教などを一通り把握していた、(三)世界の大河を舟で旅したいと思っていて、湿地帯のあるティグリス=ユーフラテス川にも前から注目していた、(四)マイノリティの逃げ込む場所は山か森か湿地帯だということも学んでいた……といくつもの角度のちがうアンテナが自分の中に立っており、記事を読んだときそれらのアンテナが一斉に反応してたちまちインナーネットが機能したのだと思われる。
 かくして、五十歳をすぎてから私はますます「謎」を見つけるのが得意になってしまった。歯止めのきかない設置業者が脳内にいるかのように、アンテナが自分の中にどんどん立てられていく。私の「インナーネット」は超高速時代に入ったかのようだ。おかげで最近は解明したい「謎」が次から次へと見つかってしまい、とても取材と執筆が追いつかない。
 謎スランプとは真逆の「謎過多」に悩まされている今日この頃なのである。

―『學鐙』2024年春号 特集「いまそこにある問いと謎」より―

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