関東学生探検連盟設立のきっかけ ~1976年全国学生探検会議(3)~

第二分科会のテーマは「探検部という組織の問題点」であった。

 当時の探検部では活動実施の方法にはパート制と企画制があった。パート制は活動ジャンルを山登り、川下り、ケイビングなどようにいくつかのパートに分類し、部員を各パートに分けて、自分のパートの活動を自らのメインの活動とする方法である。企画制はパート制と違い、部員全員がそれぞれやりたい企画を持参し、その活動の参加者を部内から募る方法である。前者はそれぞれのジャンルの活動の基礎技術がしっかりと受け継がれやすく、それぞれの活動の水準を高く維持できることがメリットであるが、パートに所属している分、他のパートの活動に参加しにくい。また、自分のパートの活動を行うことが目的となってしまい、探検志向が低くなる場合がある。後者は、部員が各々のやりたいことを自由に活動にできるため、枠にとらわれず探検志向を保持しやすいが、卒業・入学などの人の出入りによって、その部の活動傾向が変わる場合があり、基礎技術が継承されにくい。

 探検部の存在意義は、部員が探検を行うことができる場を提供することにある。探検をしないのであれば探検部に存在意義はない。即刻潰すか名前を変えるべきである。またクラブを存続させていくために探検をするようでは本末転倒だろう。自主的に探検を行おうと志す者が集まり、運営していくものである。部で探検志向の者が少数派なために退部して探検活動を行っている者もいるが、これは非常にもったいない事例である。

 女子を探検部に入れるべきだろうかという問題も出た。女子は男子よりも身体能力が低い場合が多く、活動中に行動が制限されかねないというのがその根拠だ。しかしそれはあくまで傾向であって、男勝りな屈強な女子もいれば、女子より体力がない男子もいる。男女に関係なく、その人個人の能力を精確に判断し、活動に参加可否を検討したり、参加隊員の能力に合わせて役割を割り振ったり行動内容を変更したりすべきではないだろうか。

 活動時における組織の問題について議題は移る
 活動時における組織としての問題点は何だろうか。まずは遭難対策であろう。探検部では過去に国外・海外問わず、遭難事故が起きている。遭難を防ぐために組織として行っていることは以下のようなことだ。計画段階で起こりうる危険を考慮して安全対策を練る。また、緊急時の連絡体制やフローチャートを構築しておく。さらに海外に隊を出す場合には、日本にいる部員で事務局を作り、現地隊員との定期連絡、緊急時の対応を担っている所が多いようだ。また、現役部員だけでは対応できない場合を想定し、OB会を加えて事務局としている例もある。
 次に、長期計画の場合、隊員は部との関わり合いが薄れることがある。その計画の参加隊員は活動の間、部の審議会に参加することはできないし、部で毎年行っている訓練活動などに参加できない。さらに隊員が部の主将や副将などの執行部であった場合、部の運営への関与はできず、長期活動中にその他の活動で事故が起こった際の対応も遅れてしまう。探検を目的とする組織なのだから、活動中の審議や訓練よりも探検活動を優先するべきであるが、それによって部の運営、緊急時の対応ができない状態にしてはならないだろう。

 最後に分科会のテーマとはやや脱線するが、活動を行うフィールドについて話し合われた。
 探検部内では、地球上において未踏の地はもはやなくなったと言われることがある。実際に学生探検部員が行っている活動は、誰かが過去に行っているものの繰り返しが多い。登山においても沢登りにおいても川下りにおいてもそうだ(洞窟は未発見のものがまだ多くあるので、見つけてしまえば、未踏の洞窟調査をすることはできる)。国内において未踏ルートはないわけではないが、それは誰も登れない超難関ルートか、誰もそのルートを登る価値を見出せないものかのどちらかである。大抵の探検部員は経験も技術も乏しいため、超難関ルートを登ることはできない。しかし、価値のないルートに登る意味はない。そこで探検部員が取れる方法は二つだ。開き直り、すでに誰かに登られたルートを登って自己満足をすることと、地理的未踏とは異なる、違う視点でのパイオニアワークをすることである。

 元来、多くの探検部は垂直方向のパイオニアワークを目指す山岳部から分離して生まれた。その創部理念には、垂直方向のパイオニアワークから視野を広げて、学術的価値を持ったパイオニアワークを目指すという所があった。地理的未踏を目的とするのではなく、自らで何らかの学術的価値を見出したテーマを探求するのが探検部のもともとの姿である。それは国内でも海外でも同じである。どこに行くかではなく、どのようなテーマを持って活動するかが重要なのである。

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