ブラクタモリ

ゴーマニズム宣言スペシャル:差別論」という漫画の中で小林よしのりさんは「部落差別を完全に解消するためには被差別部落の場所や被差別部落民の出自を隠すのではなくて全て完全公開する方が解決しやすい」と主張していて、対談していた部落解放同盟の重鎮である組坂繁之さんも「僕もその考え方に賛成です」と賛同していました。

この名作が上梓されてから30年くらい経過しましたが、わたしはここで小林よしのりさんや組坂繁之さんが提案した「被差別部落の場所や被差別部落民の出自を全て完全公開する」という考え方は正しいと思うし、今こそ実行すべきと考えます。


わたしは中学生時代に同和教育を受けました。

当時は日本全国どこでも同和教育は義務教育に取り入れているのだと思ってましたが、大学に入って上京して日本全国津々浦々の学生と話をするようになって知りましたが、同和教育というのは日本全国でやっていたわけではなくて『被差別部落』がある地域限定だったみたいですね。東北地方(の一部)とか同和教育をしていない県の人は被差別部落問題とか同和教育のことを全く知らなかったので驚きました。

自分の地元の長野県には『テンホウ』というラーメンチェーン店があるのですが長野県民は『テンホウ』が全国チェーンだと勘違いしている人(特に子供)もいるので、それと似てますね。


ただ、自分の地元に被差別部落があるらしいことはなんとなく同和教育を受けていて感じましたが、じゃあ具体的にどこが被差別部落なのかというのは同和教育の授業内では教えてもらえませんでした。


実は被差別部落の場所を調べるのは簡単で、役所の「例規」に記載されデータベース化されているので

インターネットに繋げる環境にある人なら誰でもすぐに調べられます。

お役所も、ことさらに被差別部落を貶める目的で例規に記載しているわけでは当然なくて、同和対策施設みたいな近代化施設を設置することには国民の税金が使われているので、自治体も税金の使途を納税者に周知させる目的で公開しているのでしょう。


今回は上田市の被差別部落を調べてみました。


同和対策集会所は被差別部落関連の施設なのでこういう施設のある周辺は70%くらいの確率で被差別部落です。

被差別部落の地区内に土地が確保できなくて被差別部落外に同和対策集会所が建設されているケースもあるので同和対策集会所や隣保館がある地区が100%被差別部落であるとは限りませんが、

同和対策集会所(同和教育集会所)や隣保館がある都市内には100%被差別部落があります。

上掲の例規に記載されている長野県上田市上田市緑が丘三丁目に緑が丘西同和地区集会所があります。

掲示物を見てみると「差別反対」とか「平等」とか書いてあるので、同和関連の施設であることが分かりますね。


マッポン!で検索してみるとこの界隈は「成沢」「成澤」とならんで「砥石」という名字の人が多いです。


近くの小諸市柏木部落にも「砥石」姓が集中している地区がありますが、こちらの「砥石」氏は被差別部落民なので、上田市緑が丘地区に居住している「砥石」姓も小諸市柏木部落の「砥石」さんといくらか関係があるのかもしれません。


総合研究大学院大学の研究者である岡田あさ子先生の学術論文「近世関東における長吏の生業と市商い」を読むと

「埼玉県の川越市で「砥石」を扱う職業が賎業扱いされている」という記述がありました。

皮革を扱う人が差別されたという話しは聞いたことがありますし、猿まわしが被差別職業扱いされた歴史があるのも知ってましたが、

砥石なんて別に殺生するわけでもないのに、何故被差別職業扱いされてしまったのか?

と疑問に思いましたが、これは隣接業だから、らしいです。

 長吏自身は斃牛馬の取得から離れ、非人に権利を移譲していたという説明がなされてます。

 動物の解体に関わる非人の頭目が長吏(穢多)という関係があり、特権的に解体するときに使う刃物を研ぐ砥石が長吏の専売となっていた。 

 砥石自体に賤業扱いされる要因があるわけではなく、そういう市場形成がされていたということらしいですね。

上記の学術論文では、栃木県足利市や茨城県結城市では「砥石」を扱う事を賎民の専業にしていたという記述もありました。

これ以外に砥石が被差別職業扱いされた理由として、砥石業等が「石切」であり「土木行為」に属するため、 「土木行為」や「土木従事者に対する「汚い」といった否定的意識、 中世においては被差別が,近世においては,河原者などの被差別民を源 流とする黒鍬が土木事業に携わっていた歴史、 土木従事者は,異人視され,妖怪として常民から差別視されていたという民俗的事実、 「土木に対するケガレ意識」が,上記の民俗的事実・歴史的事実と整合する形で,日本人の潜在意識の中に存在してきた可能性 などが、考えられるようです。

ちなみに砥石業が被差別職業扱いされるのは関東だけの現象のようです。 

後北条氏の下で長吏頭を務めていた太郎左衛門が、領内での砥石専売権を認められていました。 

江戸時代になると、関東の長吏頭は浅草の弾左衛門になり、小田原の太郎左衛門はその配下となりました。そして、太郎左衛門が持っていた専売特権を弾左衛門が引き継ぎ、砥石や灯心、機織り機の筬などの専売権も弾左衛門に移っています。


 西日本ではそういうのが無いようで、大坂の町では被差別民の居住地ではない町場に砥石問屋が店を構えていました。

京都大学の工学部の学術論文「日本における土木を巡る心意現象に関する歴史民俗研究 」にも似たような指摘がなされているので、おそらく事実なんでしょう。

「川元は,五郎兵衛用水の土木工事に関わった技術者として,金堀を挙げているが,その他にも石切(石工)の存在を指摘している. というのも,五郎兵衛用水を計画した市川五郎兵衛の本家市川家が,上州砥沢村で砥石山の経営 をし,砥石を生産していた事実があり, そこで働いていた石切(石工)が用水路開削という土木工事に導入されていた可能性が推測できるからである. この石切は,石臼の制作だけでなく,石垣造りなどの一種の土木工事にも関わった人々であり,武田氏の治水事業に参加していた131). また,石切は,1400 年代に制作されたとされる『三十二番職人歌合』において賎業者として描かれており,金堀と同様に,中世において一種の差別を受けていた人々であることが考えられる. 斎藤130 )もまた,五郎兵衛用水を掘削したのは,「金堀ないしは石切だったことはまちがいないのではないか」(p.64)と推察しており, 「それらの人々が,中世において「賎民」ないしはそれに類するとされた人々だった」 (p.64)と述べている」


もちろんこういう学術論文の研究報告があるからといって「砥石」という名字の日本人が全員被差別部落民というわけではないと思いますが、可能性はある、ということだと思います。






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