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YOUは何しに学習センターへ?#4

こんにちは。倉恒です。学習センターで働き始めて3年目になりました。

そして前回の竹内さんからバトンを受け取ってから3週間くらいになりました(笑)ごめんなさい!この3週間、まず3年生のだんだんトークが再開して、3年生が塾に通い始めて、1年生には体験入塾ガイダンスをし、さらに22時まで開塾&全学年通塾という激動の3週間でしたね。学習センターに日常が訪れようとしています。

さてさて、#3の竹内さんの質問に対する答えですが、最近食べておいしかったものは、手作りパイです。最近パイづくりにハマっています。バターをどのくらいの大きさでとどめておくかとか、生地を何回折るかとか、どのくらいの薄さにするかとか、いろいろ試して遊んでいます。中身はチョコとかマーマレード&クリームチーズとかミートソースとか、何を入れてもおいしいです!

なんでも手づくりすることが好き!

自分好みのパイを作れるようになりたいと思って自分でパイを焼き始めたのですが、実は中に入れたマーマレードも手づくり。最近はケチャップも市販のものではなく手づくりのものに変えました。

「なぜ私は買えるものを敢えて作るのか…?」と考えてみると、母と祖母の影響が強いような気がします。

子どものころ、リカちゃん人形の洋服をたくさん持っている友だちが羨ましくて、おもちゃ屋さんに行くたびに服をねだったけれど、買ってもらえるのは良いときで1着。ほとんどの場合は買ってもらえませんでした。今思うとリカちゃん人形の洋服一着分のお金で、夕飯作れますもんね。買ってもらえなくて当然です。

そんな時に私の前に出てきたのは、祖母がフェルトで作ったリカちゃんサイズの真っ赤なコートでした。これがなんともレトロでかわいいのです。祖母が作るリカちゃんの服はすべて膝が隠れる長さの古風なもの。次々と祖母が服を作っていくのを見て、私も裁縫に挑戦したり、ティッシュをつなぎ合わせてドレスを作ったりしました。

その祖母に育てられた母も手づくりの天才!裁縫や料理はもちろんのこと、新しいものを生み出すことが得意でした。目的のない「前年度踏襲」が嫌いな母。町内の子ども会のイベントを、本当に価値のあるものにするために何をすべきか一緒に考えたのを覚えています。私のルーツはそこにあるのかもと思うと、なんだか不思議な気持ちです。

懐かしいなぁ、が羨ましい!

そんな発想力溢れる母はときどき昔のことを思い出しながら「懐かしいなぁ」と笑います。

私が生まれ育った町 鳥取県倉吉市は、市の北の方に駅がひとつ。日本海沿いを東西に走る山陰本線の倉吉駅です。市内・県内の移動は基本的には車。田舎あるあるですね。そんな倉吉も35年前までは市内を南北に走る「倉吉線」なるものがありました。倉吉線の「打吹駅」を降りたあたり、「白壁土蔵群」という観光名所の近くなのですが、そこに昔は「銀座通り」という、いわば倉吉のメインストリート的なものがあったんだとか。銀座通りからさらに西に行くとアーケードのついた商店街もあって、母曰く、雨が降るとみんなアーケードの中に入ってきて、袖が触れ合うほどだったんですって…!

しかし35年前倉吉線は廃線になり、今その場所はバス通りになっていて、昔からあるお店は次々とシャッターを下ろしています。母が懐かしがっている情景なんて、私には想像もつかないくらいです。

単純に「羨ましいな」と思いました。娘に自慢できるような若い頃の倉吉での思い出が母にはあるということが。私も倉吉での思い出はもちろんあるのだけど、なんとなく引け目を感じているというか、「何もないところなんだけど~」という枕詞をつけたくなるというか、なんだか倉吉を本当に誇りには思っていないような気がするのです。なんかそれって格好悪いな、と。そんなことを思ったのが、倉吉で浪人していたときだったかな。

「倉吉は終わったよ」

私は高校を卒業後、鳥取県立倉吉東高等学校の「専攻科」という科で浪人していました。4年間高校に通った感じです。そもそも選べる予備校が少ない倉吉。また予備校に行くとなるとお金もかかります。でもだからといって浪人という選択肢を生徒たちが消してしまうことがないように、専攻科は存在していたのだと思っています(その解釈で正しいかどうかは不明)。大学受験をしてみるとわかると思うのですが、浪人できる(金銭的にも精神的にも)かどうかで、大学受験の質って全然違うと思います。もし私に浪人という選択肢がなかったら、受かる大学を受けていて、行きたい大学を受けるなんて発想はなかったかも。そのくらい私にとって「専攻科」という存在は大きなものでした。

その「専攻科」は、実はもうありません。NPOが立ち上がって専攻科の機能は果たしていますが、公立の「専攻科」ではなくなってしまいました。専攻科廃止が決定したのは、実は私たちが専攻科生だったとき。決定した会議のあと、恩師は「倉吉は終わったよ」と言いました。専攻科の廃止は、単なる専攻科廃止ではなく、鳥取県は(高いレベルの)教育にお金をかけなくなったということを意味していたからこそのこの言葉だったのだと思います。


まちづくりの前にひとづくり

ではなぜ教育にお金をかけなければならないのか。恩師の言葉を理解したのは大学に入ってからでした。その頃の私は「倉吉市役所で働いて町おこしがしたい!」なんて思いながら、心理学に興味があって心理学の授業をポツポツと取っていました(なんと最終的には日本の近代文学を研究することになるのだけどその話はまた今度)。倉吉の友だちに「私、将来は倉吉に帰りたいんだよね」と話してみると、返ってくる答えは「へぇ!いいね!」という他人事タイプか「自分は大阪で働くよ!」というそもそも倉恒の話には興味ないタイプか「お前もういちどよく考えろ。浪人までして大学入って倉吉に帰る?何になるの?役場?教員?銀行員?本当にそんなことしたい?」という大きなお世話タイプか。自分の生まれ育った町を守りたいと思う人って、意外と少ないことに気がついたのです。まちづくり云々の前に、そもそも倉吉に対して若者があまり期待していないこの感じをどうにかしなくては…!そこで急浮上したのが「教員になって、倉吉のまちを誇りに思う仲間を増やそう!」という夢でした。地域に対するマイナスの感情をきっかけにプラスをつくろうとする町おこしではなく、すでに住民が地域に対してプラスの感情を持っていて、そのソフト面のプラスがハード面もプラスにしていくような町おこしって実現できないのかしら、と思い始めたのです。

教育の場に入って考えたこと

その後私は高校で国語の先生をすることになるのですが、それが楽しいのなんのって!!!毎日が研究のような生活で、「次は授業でこんなことをやってみよう!」とか「こう伝えるとわかりやすいかも!」とか「メッセージをそのまま伝えるんじゃつまらないから、体感型授業にしよう!」とか。まさに冒頭のパイづくりと一緒ですね(笑)教科書には指導書というものが必ずついていて、なんと、何時間かけてこの題材について学ぶのが妥当かとか、この時間はこういう進行にすると良いというような指導案までついているのです。一応参考にはするのですが、「こんな無難な授業誰がおもろいねん!」となり、最終的には、画用紙で私の机の上がいっぱいになったり、模造紙を職員室の床に広げて他の先生が座れなくなったり、おもしろい授業を手づくりするために手を替え品を替えアイデアを形にしていました。私のひらめき手づくりタイムが始まると「お、倉恒さんがまたなんか始めたぞ」「家内制手工業みたいだなぁ」とまわりの先生に愛のある茶々を入れられ、前に座っていた非常勤講師の先生(実は高校の先輩)なんて「手伝いますよ!」と一緒にカードゲームを作ってくれました。本当に良い環境にいたな、と思います。毎日とてもわくわくしました。でもその一方で、本来目的があって入ってきた場所なのに、毎日があまりに楽しくて、長期的な視点を失っているような気もしました。また、自分にはあまりにも知識やノウハウがないし、まわりからもそう思われていることも実感していました。「地域探究」という授業に取り組んでいる高校にたまたま赴任できたのに、ほとんど関わることができなかったのです。


私は何しに学習センターに?

#じぶんと勝負をしに  (笑)

最近自分はサバイバルを好んでいることに気がついたのですが、常に何かと戦っていたり、生きるか死ぬかの瀬戸際にいたり、そんな自分はなんか嫌なのですが、結局これだなと思ってしまいます(笑)「勝負」ではなく「挑戦」の方がなんかスマートだし、今までは「挑戦」という言葉を結構使っていたのですが、なんか違うんだよなー、なんかぬるいんだよなー、やっぱり「勝負」なんだよなー(笑)長期的な視点も忘れずに、じぶんのやりたいことと勝負する場所が学習センター、という感じでしょうか。

もっと長期的な視点で言うと、

#どんなものであれじぶんのルーツや今いる環境に誇りを持ち 、社会や環境にじぶんを変えられてしまわぬよう頭を使える生き方を体現するため

長っ!!!!(笑)

私自身、私の生い立ちなんて誇れるものじゃなくて(ここには誇れるものしか書いてないし、誇れない部分は家族以外知らない)、高校生のときには悲劇のヒロインぶって「誰にも私の気持ちなんてわかるわけない!」とか思っていました。当時の私は「もう諦めたよ」って言い聞かせてたけど、こんだけ自分の力で何かをしたい人間がそう簡単にじぶんの環境を諦められるわけないですよね(笑)諦めずに頭を使い続ける生き方が伝播していくと嬉しいな、なんて思っています。「諦めない」も私の人生の中では大きなテーマだなぁ…、とか言っているといつまで経っても書き上がらないので、今日はこのくらいまで!!!

このnoteを書いたことが、自分の人生をふりかえる良い機会になりました。学習センターnoteを立ち上げてくれた村上ちゃんありがとう!!


そしてお次は、総務担当の石田なつ子さん!私が学習センターの中で最も尊敬する女性です。お母さんをしながら働くってきっと大変なはずなのに、その大変さを周りに全く感じさせない人。

質問は、「最近作った料理で、自分でもおいしい!と思えたものは何ですか?(よろしければレシピも教えてください!笑)」

いつも場の空気をパッと変えるようなウィットに富んだ発言をしてくださるなっちゃん。なっちゃんの半生、楽しみにしています!

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