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人生劇場 ゲスト:市川力さん (前編)

「人生劇場」
隠岐國学習センターで開催したオンライン企画。
どんな人にもそれぞれの人生があり、
大人が大人になるには様々なドラマがあります。
そのドラマに迫りつつ、ざっくばらんにお悩みを相談できる時間です。

今回は7月15日にゲストとしてお呼びした、市川力さんの人生劇場の様子を紹介します!

市川さんは、「人が本来持つ好奇心を開く学びをいかに生み出すか、探究することを止められない面白がり屋」です。

今回は初のリアル開催ということで、聞いている側の反応も楽しめるように掛け合いや反応を盛り込んでおります。 ※《》をつけて表記しています。

私もその場にいてお話を伺いましたが、内容は勿論、話し方にも市川さんらしさがたくさん詰まっていました。

まるで子供のようなきらきらした目をされたり、声色を変えてどこかドラマチックにお話しされたり、聞いててこちらもわくわくして身を乗り出しているような。その様子が少しでも伝わっていたら幸いです!

では、人生劇場の幕開けです!

(聞き手:澤正輝)

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子供たちと共に湖に漕ぎ出してゆく市川さん。富士山の麓にて。


人生劇場、初のリアル開催です。遠路はるばる、隠岐に来島していただいて。市川力さんです。拍手。 《拍手》
僕と力さんって、最初に会ったのは僕が島に来て大体1年目ぐらいの、2017年ですね。東京にちょっと出かけて、力さんは登壇者でしたね。お話を聞いて、自分の中で「あ、これは大事な出会いだな」っていう感じがして、声をかけさせてもらって。

しばらくして、多分聞きなれない言葉だと思うんですけど、ジェネレーターをテーマにした講座が去年の5月に京都であったんですよ。力さんや他のメンバーと一緒にジェネレーターとはまず何か、ってひたすら話していく中で、この出会いは大事だなと改めて思って、その2か月後に隠岐に初めて来ていただいて。高校で授業してもらったり、西ノ島を回って、焼火神社まで歩いて登ったり。

そのあと何回も会ったりしながら、2度目の来島。今回は高校だけじゃなくて中学に行ったりとかしましたね。そして、こうやって学習センターでも、力さんと改めて、探究ってなんだろうなぁとか考えたいなぁと思って、今回はお呼びしているということです。来てくれている人の中には、今日の高校1年生の授業で、一緒に冒険した仲間も何人かいますね。

市川
どうもみなさん、改めましてこんばんは。
名前は市川力で、ちからって名前なんだけど、誰もちからって呼んでくれなくて。っていうか呼びにくいんだよね、なんかちょっと違和感あるでしょ。子供のときからりきさんりきさんって呼ばれてて、みんなそう呼ぶようになりました。

経歴とか、何年に生まれて何をして、みたいなことを語る部分もあるのかもしれないけど、そういうのだけ語ってたら時間がすぐ過ぎちゃうんで、凄く手短に自分の経歴とかをまとめると、僕自身は、教育に全く興味がない。

どうしてかって言ったら、これは僕のひとりごとだと思って聞いてね。教育に興味がないって聞いて何を考える? 僕は、人は教え育てられて育つもんじゃないんじゃないか、っていう、自分に対しての問いがあるわけ。僕は、なぜか知らないけど人って学んじゃってるじゃん? ってところに凄い興味があって。で、実は昆虫とかさ魚とかさ、そういうものと人の学びってあまり差がないんじゃないかっていう仮説を立ててて。ある意味、ダンゴムシの方が賢い学習の仕方をすることもあるわけで。
逆に言うと人間の場合は、脳があることによって、余計なことを考えちゃって。「どうせこんなことやってもうまくいかないよな…」とか「君って、頭の出来悪いんじゃないの」とか、そういう囁きにすぐ、負けてしまって。

赤ちゃんの頃、勉強したんすかね、言葉。人工知能だと簡単じゃん? 例えば一万語を二十歳になったら使う、ってなったらマシンラーニングさせちゃえばいいんだ。
けど、どうしてさ、色が区別できるんだ。赤は赤、緑は緑って言えるんだろうって。凄くない? それも何が凄いってさ、なんか人間って不思議なんだけど、青っぽい色だなーとか青じゃないよなとか、線引きしてないでしょ。隣にどんな色が来るかでも、全然変わってくる。

なんかね、なんでそういう曖昧な形で学びが起こるのかっていうことが、僕にとっての興味だから、去年の高1も今年の高1も、「『何となく気になるものを探してこい』ってなんだその指示は」みたいなさ。もっとはっきり何かを探してきてくださいとか、面白いものを見つけてきてくださいとか、言ってくれればいいのに、面白いって言ったって何が面白いかわかんないし、なんとなくって言ったけどそれがどこからなんとなくなのかよくわからないし。

さっきの授業、俺本気で感動してる。だってさ、なんとなく気になった、お墓がどこから多くなり、そのお墓の数と島の人の数ってどういう関係性になってるのか、って、凄い問いじゃない?
多分ずーっとね、歩いてないの。虎視眈々と。「よし市川先生に言われたから、少しでもいいものを見つけよう、これも違う、これも違う、あ、お墓のことだ、お墓はこうこうこうで」って意識的にやらないで、なんとなく「ん~この道行ったらなんかお墓あんじゃん。ってここもお墓じゃん、あれどこまでお墓?」ってなって、「なんでお墓があるんだろう。こんなにお墓があるってことは、この島人口少ないって聞いたんだけど、こんなに死んだ人がいたってこと?」とかいうことを気づいちゃってるわけよね。そこから色々考えが始まったり。

あるいは、どっちに進んでいくかっていうのがわからないときに、じゃあ棒に決めてもらおうと思って棒を立てましたと。で、そのときになるべく色んな方向に倒れる棒は何か、みたいなことを探究して「やっぱり傘ですね! 折り畳み傘は色んな方向に倒れるので」 ……それってさぁ、それを商品開発することってできるよね? 傘型おみくじ。って言ったら売れるかもしれないんです、だから馬鹿にできないでしょう?

でも一般的にはさ、そんな発表したところでさ、「何くだらないもの見つけてるんだ」と。「お前、なんとなく面白いだけじゃなくて、役に立ちそうなモノとかもっと意味のありそうなものをみつけて来いよ」っていう指示が俺教育ってものに付きまとってるイメージみたいな。でもこれ前置きにもあるけど僕の意見なので。そうじゃなくて、これ面白いなというところからスタートしていく学びは、どういうものか。っていうのに対して興味持ったのが俺、高校三年かな。だから道を踏み外したんだね。まともな道を歩めなくなりますよみなさん。


既に高校三年生の段階で道を踏み外してるんですね。

市川
踏み外しました。大学の進学先も誤りましたよね。文学部とか選んじゃいましたよ。大変ですねぇ~。でも、気づいたら還暦カウントダウンって感じに、なっちゃった。


ある意味道を踏み外し続けてる人生。

市川
そうですね! ……って力を入れて言うところじゃないですね! 《笑》

「たまたま」アメリカへ


今高校から大学の話をしましたけど、アメリカに行ったりもされてるじゃないですか。

市川
しましたねぇ。


あれはどういう経緯だったんですか。

市川
あれも、僕ね、もう一つのテーマに繋がってくると思うんだけど、教育と学びの違いっていうの考えた時に、よくさ、なんのために勉強するんですかとか、宿題ってやる意味ありますかっていう問いあるじゃん。でもそれって、最もだよなって思うの。そりゃ宿題ってやっても意味ないものあるよなとか、勉強ってつまんないよなって僕も思うわけ。でも、知らない間に学んじゃってるっていうことは勉強って言わないと思うんだよ。

僕の場合全て、例えば隠岐に来るっていうのも自分で決めてない、ほんとに主体性がない人間なんですよ。それこそ数週間前にさ、このご時世にさ、「ちょっと来れますか?」とか言われて。普通の人なら「いやちょっと…お金いくらもらえんの」とか「来たらどんな得ありますか」。
でももう、澤君がそう言ってるんだったら、去年も面白かったし、今年も行ってみようかな。って思って、それで行く。みたいな人生だったから、アメリカも同じで。

大学卒業したあとに、人の学びを研究したかったんだけど、先生になれなかったわけですよ。だって、学校でそういう人絶対排除されるもん。俺の入る余地ないじゃん。それこそ21くらいの俺が言ってごらんよ、おっさんたちが猛烈につぶしにかかるじゃん。自分としてはそういう人の気持ちもわかる。

僕は別に教育を批判したいわけじゃなくて、教育って言うことを考えない方から学びを考えたい、っていうような立場はじゃあ自分で作んなきゃいけないんだなって思ったときに、日本がまだ偉そうにしてる時代なんで、1990年代です。80年代末から90年代。ベルリンの壁とかが壊れた、って俺歴史を語ってるね!? 俺そんな年になっちゃったよぉ!(笑) こんな若い子たちを前に(笑) 《笑》


ベルリンの壁の時に生まれてない世代ですからね。

市川
全然生まれてない、影も形もない!
そんなときに、日本の駐在員たちがいっぱいアメリカに進出して、でも日本の学校がないじゃん。日本語の学校が。普段アメリカの学校行ってるから。だから夕方きて、日本語を学ぶ、っていうところの仕事をやらないかって言われて、それに乗っかってアメリカに行った。だからそういう意味じゃ、多分俺が20代だったらきっとここにいたんじゃないの。


ですよね、たまたま、アメリカであって。

市川
多分澤君みたいな人に「海士に学習センターっていうのがあるんだけどそこに来ないか」っていう風に1990年に言われてたら多分行った。それがアメリカだった。


そうかぁ……20代の力さんに出会ってたら学習センタースタッフだったかもしれない。

市川
そういうことですよほんと。冗談じゃなくて。

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当日の様子。生徒から地域の大人まで、多くの人が集まった。

「探究」との出会い


探究っていう言葉に出会ったのは、そのときですか?

市川
探究はね、2005年。


2005年。15年前。それはどういう経緯ですか。

市川
アメリカから帰ってきて、それも全然主体的な理由じゃなくて、疲れちゃったから。

40になってたんだけど、俺戻った時に、絶対もう東京で食えないなと思ったわけ。だって別に仕事ないもん。当時なんか今よりもっとさ、40過ぎて履歴書書いて普通に会社とかっていかないから。知り合いが長野県で畑をやってるから、ずーっと手伝いに行ってました。田んぼで田植えもしてました。

でも僕は、百姓経験もない非常に使い物にならない都会人なんでいっつも叱られる。「てめぇのやり方が悪いからこんなことになっちまったじゃねえか」「すいません、すいません…」みたいに。

塩尻市ってとこにいたんですよ。今みたいに有名になる前の塩尻市ね。そこでやってる中で、たまたま田植えをしてたら、都会からいい車、ベンツとかそういうのに乗った家族が来たんですよ。子供を連れてね。
「嫌ぁドロドロになる、泥んこになっちゃう!」「汚い!」とか「虫とか触れない!」みたいなそういう都会っこが来ててね。「しょうがないやつがきたな」みたいな。

そのとき結構、人生失敗したかなと思ってるから、「いいなぁベンツとか乗りやがって、俺は本気でここで米を育てないと飯食えねぇんだよ」みたいな非常にやくざっぽい気持ちでいたときに、その子供たちがあまりに元気がないから、「じゃあ一緒に遊ぼうか」って遊んだんですよ。別に何したわけじゃなくね、くだらない遊びをしただけですよ。

そしたらその子供の親が、「すいませんが、なんか教育とかに関わってる人なんですか」って僕に言っちゃいけないNGワードを言うから。 《笑》

「いや僕は教育に関わってません!」
「でも、うちの子小学3年生で、学校に行きたくないって言ってたんですけど。なんか今日みたいな生き生きした顔とか、久しぶりに見たんですけど」
「そういうこともあるんじゃないですかね」
それで終わったわけ。そのときは。

しばらくしてから、東京で学校っていうか、新しい子供たちのフリースクールを作ることになったから、そのフリースクールの校長先生をしてください、ってその人たちに言われて。じゃあそこで僕はこういうことをしたい、ってさっき言った偉そうなことを言ったわけよ。こっちだって強気だから。やる気ないから。「僕は教育そもそも興味が無くてですね、学び方がどうのこうの」みたいな。でも言ったら、「それがいいんです!」って。あっちゃ~~! 《笑》

「ええ? 真に受けないでくださいよ、やったことが無い、Just Ideaですからこれ」
「やってみてください」
「そうですか……、じゃあ、やります」
って、いろいろ始めたときに、俺がやろうとしてることは探究ってことかもしれないな、って感じで、そこから探究って言葉を使うようになった

明日の授業でやることとつながってくるんだけど、僕やっぱり、どうやったら物事を創造できるか、新しいアイディアをどうしたら出せるかっていうことに興味があるのね。そのときに、方法って必ずあるはずなのよ。

あのさ、目が合っちゃったんだけど、そう、君です。

「新しいものを発明してください」って仮に言われちゃったとしたら、どんな風な考え方を君だったらする?

・・・

力さんのこの質問が、その場を探究に巻きこむきっかけでした。
次回の記事では、力さんによる探究の実践の様子をお送りします!

[この記事を書いた人]
長岡未紗
隠岐島前高校OG。好きなことは読む・書く・聞く・話す・人を構うこと。
遊び道具を増やすために生きています。


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島根県の離島・隠岐島の島前地域にある、隠岐島前高校と連携した公立塾です。HPはこちら→http://www.oki-learningcenter.jp/