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「もっと自由になりたい」ではなくて「何を体験したいか」で選択肢を選んだらイイ

「自由」って何だろうなあ


「海外旅行に好きなだけ行ける自由」
「美味しいものを沢山食べられる自由」
 
「経済的自由」や「時間的自由」をうたう「複業ビジネス」の宣伝ってたくさんある。別にいいと思うんだけど、一見すると確かに幸せそうに見えるし実際とても良いことだし。ただ、


人から羨まれるような『自由』

 
として追求していて体現しようとしていると、いつまでたっても人の目がないと自分を満たせないと思うんですよね。

違うのかな。


【 人より所有している自分】じゃないと、
幸せになれないと思ってしまっているから。

「自由になる時間」を【所有している】。
「自由になるお金」を【所有している】。

「自由」を【所有】しているという感覚になる。


その時、果たして「心は自由なのか」


【所有】していると思ってるものは必ずなくなるから、
手からどんどんこぼれ落ちていってしまう気がします。


「自由になりたい!」を追っかけてて「やっぱり自由になれない!」を余計に作ってしまってることにならないのかなあと思うわけです。


何を体験したいのか?を自問自答する。

ある尊敬する上場企業社長に直接教えていただいた。


何にお金を使うのか、どんな仕事の内容ややり方をするのか、それは結局『自分が何を【体験】したいのか』で決めればいいんだよ」って。
 

まさにその通りだと思います。
 
 
自分は今日、 
すごく楽しい体験をしたいのか。
すごく悩む体験をしたいのか。
 
自分は今日、
大冒険のような体験をしてみたいのか。
そこそこの学びになるような体験をしてみたいのか。

それを自問自答する。


 
時間を使う、お金を使う、
それにあたって「どんな体験をしたいのかは、自分で選ぶんだ」っていう話。
 

一生記憶に残るくらい楽しい体験でもイイ。くっそみたいにつまらない毛体験でもイイ。ポジティブだっていいしネガディブだっていい。
それを「体験してみたい」なら


こころにきざまれるから。
  

  
 
世の中的に何が正解なのかとか、
トレンドにマッチしているのかとか、
流行ってるのかとか、
そういう判断軸でお金の使い方とか仕事の内容を先に決めるのではなくて、
 
自分がすごく楽しい体験をするためにトレンドにマッチしていないことをやる必要があるならそれをやればいいし、
悩んでもいいからチャレンジして乗り越えていくような体験をしたいなら逆境的な道を選んでやればいいし、
 
 
自分はこの人生を何を体験して終わりたいか
に、話は帰着するんだってこと。
 
 
ニコニコしてたっていい。
ふてくされて心の部屋に閉じこもってたっていい。
 
 
今日という日で、
この目の前の仕事で、
何を「体験」したいと思って生きているのか、
 
あなたは何を選びますか
っていう話。

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