友達はついてきますか?【終末京大生日記83】

 私は日ごろから、この連載のためのネタ帳をスマホのメモで作成している。ネタ帳と言っても、日々あった出来事を一言で書き留めておくだけだが私は人よりも昔あった出来事を覚えているほうなので一言だけ書き留めておけば十分だったりする。今回のテーマも以前から考えていたことだ。

 この文章を読んでいる人に限らず、現代人はテレビやネットなどで様々な商品の広告を見るが、そんな広告について考えるきっかけになったエピソードを今回は書く。

 以前、ニンテンドーSwitchのソフトのCM集をニコニコ動画で見ていた時のことだ。ゲームのCMはニコニコユーザの中でも人気で、この時も、いつも通りCMのプレイ映像に対して「面白そう」といった期待を寄せるコメントが多く流れていた。そんな中あるCMで、3, 4人の子供たちがリビングで楽しそうに新発売のソフトをプレイしてる映像が流れた。ワイワイガヤガヤリビングでゲームをプレイする子供たちの姿に、自分にもそんなときがあったなーとか、楽しそうだなーなどと思っていると、CM動画の上に「友達はついてきますか?」というコメントが流れてきた。「自分は友達がいないので複数人ゲームをプレイできないw」という自虐を込めたボケで、面白かったが、私はふと本質的なことに気が付いた。

 CMというのは「この商品を買えばこんな未来が待っています」というメッセージを消費者に訴えることで購入をすすめるものだが、もちろんゲームを買うだけでは友達はできない。つまり、あのCMの好印象の中には、ゲームの魅力だけではなく、集まってゲームをするくらい仲のいい友達がいることも当然含まれている。そのため、ゲームが持つ魅力以上のものをCMは宣伝しているのだ。

 「友達はついてきますか?」という一つのコメントにより私はその事実に目を向けることになり、私はゲームがしたいのではなくゲームを集まってやるくらい仲のいい友達が欲しいという自信の願いに気が付いた。

 私は小学生のころ、放課後も土日も毎日友達と放課後に集まってはゲームをしたり公園で遊んだりしていた。しかし、高校・大学・大学院・就職と、人生のステップを進むにつれて私は友達とあまり遊ばなくなってしまった。そして、仮に遊ぶとしてもたいていは飲み会で、私は小学生の時のように何も考えずに集まってゲームをする友達を求めるようになっていた。

 この問題は、当然ゲームを買うだけでは解決できない。私は大学、就職と居住地を変えるたびに友達を失ってきた。東京で、しかも就職した後で友達を作れる気が全然しないのでこんな感じで文章を書いて人に読んでもらうことで楽しみを得ているがマジで友達がいるところに引っ越したい気持である。

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