誰とご飯を食べるか【終末京大生日記72】

 今日は食事の話をしようと思う。私が昔から考えていたことだ。私は中高生のころ、一人でごはんを食べるのは寂しいことだと思っていた。そう考えている人はおそらく少なくないはずであり、だからこそ便所飯という言葉が生まれるのだろう。(便所飯ってほんとにやっているひといたのかな。少なくとも私の通っていた学校では見たこともないし噂も聞いたことがない。)しかし、私のその考えはコロナ禍で跡形もなく消え去った。

 コロナ禍の時に、私は一緒にご飯を食べる人を選べなかった。当時は大学はオンライン授業で私の中の良かった実家暮らしの友人は大学に来ることはなく、私は大学院に入学したあともサークルに通い詰めることになるうっとうしい先輩とご飯を食べざるを得ない状況が続いた。そのせいで私は生まれて初めて「ごはんって一人で食べるよりまずくなる状況があるんだな」と知った。

 当然、一緒にご飯を食べると楽しい人もいる。先ほど述べた大学時代の友人と食べるご飯はおいしかったし、週末に行った高校の同窓会もご飯を食べながら昔と未来の話をするのは楽しかった。そして、デートで異性と食べたご飯もまた私にとっては思い出だったりする。

 誰と一緒にご飯を食べるか?というテーマは私にとっては極めて重要であり、一緒にご飯を食べるということは、私にとって、この人は私にとってどのような存在かを判断する決定的な材料である。振り返ってみてもこの基準で判断して大きな誤りを生んだことがない。一緒にご飯を食べて楽しい人を増やしたい。意外とそんなことが人生を幸せにする秘訣なのだろう。


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