なりたくない、の話。

嘘くさいほどの春の陽気が身に纏わりつく。
キャンパスの中庭は、プラカードを持ち、奇妙奇天烈、魑魅魍魎な服装をした諸先輩方で溢れかえっている。妙に皆、笑っていた。

僕が大学に入った2011年は、あの大き過ぎる地震の騒ぎが冷めやらず、入学して最初の4月が丸々モラトリアムな時間になった。大学そのものが動いていないのだ。
特にやる事のない、人生を蔵の中で寝かせるしか無い様な時間だった。
その醸造が終わり、発酵した炭酸が溜まった頃、コルクを抜くと勢いよく中身が吹き出す。反動、とでも言うのか。5月から動き出した大学には、それ自体に興奮の様なうねりがあった。

中学時代から既にベースを弾いて居た。やはり探すべきは軽音楽のサークルか。いやいや、せっかく映像を大学で学ぶのだ、サークルも映画系にすべきか。やった事無いが、ジャズも知ってみたいな。
たかが4年間。されど4年間の自分をどこに置くか。楽しい迷いの時間が過ぎる。

演劇サークルが新勧公演を行っていた。
今でこそこんな仕事をしている僕だが、当時は全く演劇を観た事が無かった。せいぜいお笑い芸人の単独ライブコント止まり。
それでも何か、気になる存在ではあった。
漠然と「脚本を書いてみたい」とは思っていたのだ。
なるほどコレも何かの縁と、学内ホールの椅子に座った。

1時間程度の公演だった筈だ。
しかし、これがとてつもなく長く感じた。
永遠だ。
そう、つまらなかったのだ。
苦痛だ。地獄だ。苦行だ。
途中で立ち上がるか迷ったが、それはそれで負けな気すらした。サウナのそれに似ている。負けられない。
目の前で”熱演”を繰り広げていた先輩達には本当に申し訳ないが、何1つ入ってこなかった。知らない世界の、知らないの人の、知らない悩みを永遠聞かされる感覚。占い師だってうんざりする筈だ。

落胆と共にホールを後にした。
なんだよ、演劇。お前、そんなもんかよ。
もうちょい良い奴かと思ってたよ。
その時、出口のすぐ脇に演劇サークルのTシャツを着た何人かの先輩を見つけた。この日は新歓公演の最終日。想う処があったのだろう。
先輩達は、泣いていた。

「あぁ、絶対にこうなりたくない」

そう思った。
何1つの才能も、何1つの勉強も出来ていない若輩の自分が言うのも烏滸がましいのかも知れない。けれど、確実に思ったのだ。
僕は、プロになりたい。
そしてこの大学は、大なり小なりプロを目指してる人間が居る。
お金が全てとは、思わない。
だけど、まだ泣くのは早いだろう。
無料カンパ制の、学生同士でしか観ていないこの公演に酔ってる場合ではない。多少乱暴だが、そう思った。

結局、4年間、どのサークルにも僕は所属しなかった。

「つまりお芝居ってのはさ」と飲み会で偉そうに演劇論を語る先輩にも、「ノリだから」という理由で他人が嫌がる事をして笑いを取る輩も、「あの映画を観てないなんて」と相手を見下す愚か者も、「ギャラは無いけど経験になるから」と言ったあの木偶坊も。

全部、そうなりたくないと思ってきた。

なりたい者になるのは難しい。
けれど、なりたくない者にならない様にするのは簡単だ。
車で道を真っ直ぐ走るより、ガードレールにぶつからないように進む方が遥かに楽だ。何となく、この「なりたくない者」による消去法によって自分の人生が作られている気がするのだ。

先日、ACT HOUSEというワークショップの卒業公演『タイムマシンで行けたら行くわ』が無事幕を閉じた。
延期の経緯や想いは前回のコラムにしたためたので割愛。
今はとにかく無事に終えた事の安堵で胸がいっぱいである。

お世辞にも大きいと言える劇場ではない。
お世辞にも豪華と言えるセットでもない。
まだまだ稚拙な脚本を抱えている。
「小劇場」。まさに其の物。
舞台上には沢山の初心者が並ぶ。
中には平日に会社員として働き、将来プロの俳優を目指している訳では無い者も多い。
そんな彼らは、なぜこの舞台に立ってくれたのだろうか。

おそらく全員、
「俳優になりたい」から来たのでは無い。
「挑戦しない人になりたくない」から来たのではないだろうか。
そしてその生き様に、表現に、抵抗に、僕らは何かの感銘を受信したのだろう。「自分はなりたくない人間に、なっていないだろうか」という自問自答をポケットに忍ばせ劇場を後にしたのだ。そのお土産は今でも熱を帯びている。

ご来場頂いたお客様、ならびに配信でご覧になった方も、誠にありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。お話が、お口に合ったなら幸いです。

6期生の皆、卒業おめでとう!
いい加減泣くのはやめなさい。何もまだ終わっちゃいないよ。

最後に1つだけ、種明かしを。
「どうして『タイムマシンで行けたら行くわ』のキャラクターの名前が温泉地ばかりだったのか」。

温泉はその高温を孕みながら、真っ暗で深い地中の奥底で眠る。
それを誰かが掘り当てる事で吹き上がり、その熱は誰かを温め、笑顔さえ生み出す。
その様が、あの作品のキャラクター達に、ひいては6期生の皆と重なったのだ。

ちなみにだが、温泉は基本的にどこでも掘れるらしい。
ただ地形や地層、岩盤によって掘りやすいかどうかの問題があるだけなのだ。
なんだ、簡単ではないか。
どんな固い岩も、掘り続ければいつか湧く。
やめないで掘る。それだけで良い。

あぁ、早く風呂に入りたい。

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