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企画を通す学芸員のコミュニケーション術

ふだん私たちは日本語で会話をしています。日本に暮らしている限り、日本語が使えればどんなシチュエーションでもコミュニケーションがとれます。でも、言葉が通じるからと言って、必ずしもきちんと意思疎通ができているとは限りません。

とりあえず私の仕事を例にしてみます。
美術館では展覧会を実際に企画する役割の学芸員と、美術館運営のために必要な事務作業を行う職員(美術館によって色々な呼び方があるので、とりあえず雑に「事務方」と言います)とがいます。企業などではフロントオフィスとバックオフィスとで役割が異なりますが、まぁそれと同じようなものでしょう(ちょっと違うか)。
で、何が言いたいかというと、学芸員が使う言葉と事務方が使う言葉は同じ日本語でも実は同じじゃない、ということです。人は言語を使って思考します。つまり学芸員と事務方では思考回路も異なるのです。

展覧会をするとなった時に学芸員の頭に浮かぶのは「どんな企画テーマにする?」「作品は集まるか?」などですが、事務方は「予定外の支出はあるのか?」「受付、監視の人員はいつも通りでいいのか?」などです。両者で全然違うわけです。あくまで一例ですが。
それぞれの集団で、前提とする常識、いうなれば文脈(コンテクスト)が異なるということですね。集団の構成員が固定され、流動化しなくなるほど、コンテクストを共有していることを前提としたコミュニケーションがなされるようになっていきます。ハイコンテクストなコミュニケーションと言えばいいのでしょうか。
長年連れ添った老夫婦が「おい、あれ」「はいはい、これですね」と会話が通じちゃうあれです(まぁ、ステレオタイプな前時代の夫婦像ですが)。

怖いのは、閉ざされた集団内でこのハイコンテクストなコミュニケーションに慣れてしまうと、それ以外のコンテクストを共有しない他者との意思疎通がおっくうになることです。
学芸員と事務方の間の衝突もそういったところから生じます。特に学芸員は専門職なので基本的に人事異動がありませんから、メンバーが固定してしまいたこつぼに入りがちです。往々にして学芸員の方が「事務方は理解してくれない!」と不満を貯めていくものですが、それは相手が自分たちとは異なるコンテクストの上で思考し、会話していることを念頭に置いていないからだと思います。

色々な学芸員を見ていて思うのは、企画を通すのがうまい人というのは、相手の思考の前提になっているコンテクストを理解して相手に合わせた説明ができる人、もしくはお互い土台となっているコンテクストが違うのだから、そこから一歩離れたフラットな場で話すことができる人なのでしょう。
簡単にいえば「相手が理解できる言葉で話す」ということですね。当たり前といえば当たり前のことなのですが、案外これができる人って少ないものなのです。

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