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小さなmy舞台探究 第3回

前回はダンボールや工作用紙を使ってmy舞台のイメージを形にしました。今回は本番(?)、ダンボールよりもしっかりした素材を使って形にしていきます。

材料はこんな感じで、用意しましたよ〜!私の一押し素材は人工芝と波板用のクッションテープ。それと草木染めしたハギレ!

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大人も子どもも、おもいおもいにものづくりを進めていきます。それぞれ別の物を作っているかと思いきや、コラボレーションが起きていたり、グループ分けをしたわけではないのに、気づいたらいくつかのチームになって相談しながらつくっていたり、自然発生していくものづくりの場はなんとも不思議。

なかでもこちらのふたり(ジェダイとパダワン)のコラボレーションは、なんの打ち合わせもしていないのに、気づいたら一緒につくっていて。一緒につくるやりかたも、つくってみることが言葉になってジャズセッションのように発展していって、Tinkeringの楽しさここに極まれりといった感じ。

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今回のプロジェクトはつくる過程をFabbleというサイトを使って記録しています。ふたりのフォースメイキングの様子は力さんがMemoに書いてくれたので、こちらをどうぞご覧ください。

3時間は本当に短い。次回4月11日が最終日の予定ではあるものの、作り終わっていないし、来られなかった人もいるので、3月中は土曜日に引き続き制作予定です。

Tinkeringを楽しむために

今回の活動を通して、私が個人的に気づいたことも書いておきます。大人と子どもが共にTinkeringを楽しむために、大事なポイントがたくさんあったように思うのです。

ものづくりスキルの差が悩ましい

私たちは千葉県柏市にあるVIVISTOP柏の葉でも活動しています。VIVISTOPがオープンしたのは3年前。子どもたちが自由にものづくりを中心に、好きなこと、やってみたいことを形にできる場所です。

ものづくりを活動の中心に据えた時、悩ましいのは「ものづくりスキルの差」。大人と子どもでは(大人どうしでも人によって)、ものをつくるスキルには差があります。その差をどうやってポジティブな方向に掛け算していけばいいか悩むことが多いのです。例えば、

子どもができない作業を大人がやる場合。やりかたを間違えると、その後もできないことはすべて大人にまかせるようになる。作業をまかせると同時に、つくりたい気持ちも手放してしまう。

作りたいもののイメージはあるけれど、形にしていくプロセスを子どもがイメージできない場合。大人は見通しがたてられてしまうからこそ、先まわりして工程を考えてそれを子どもに伝え、それを子どもにやらせようとしてしまう。しかしその工程は大人がたてた見通しなので、子どもが理解しながら自分でできるやりかたとは限らず、結局大人がつくるという謎の展開に。

子どもが自分で進められるやりかたでものづくりを進める場合「大人である私が楽しくない」という問題も少々ある気がします。レーザーカッターや3Dプリンター、安価なマイコン、直感的にプログラミングができる各種ツール。世の中にはアイデアを形にすることを助けてくれる多種多様な道具がどんどん生まれていて、これまでは専門性のある人・場所にお願いするしかなかったことが自分でできるように環境が変わってきています。それはすごくわくわくする。私がわくわくしている。その気持ちを共有したいというのは、エゴかしら。

ここにあげたシーンで起こっているのは、ネガティブな役割分担とコミュニケーション不全ではないかしら。「一緒につくりながら学ぶ」と言うのは簡単だけど、実現するのは難しいと思って日々過ごしていたのです。

一緒に企むモードのスイッチを入れる

「小さなmy舞台探究」では、大人も子どももフラットな関係の中で、Tinkeringを楽しみながら進めることができています。つくることが言葉になって、コミュニケーションとコラボレーションしながら、気の向くままに、でも確実に進んでいる。少しずつ形が見えてくる。その形は、あらかじめ決めておいたらきっと生まれない形。

やりかたによっては、夜になるとライトアップされる空飛ぶイカダが生まれる余地なんて、それをおもしろがれる余地なんて、きっとなかったはず。

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これまでの3回をふりかえってみると、キーになっていたのはやはり第1回の「feel℃ walk」。傍目に見たらwalkというわりに移動しないし、3時間池で遊んで終わって、ものづくりとなんの関連性も見えなかった第1回。でもそれぞれが自由にふるまって、それがゆるされる時間があったから、第2回目から「小さなmy舞台」というなんだかわからないものを一緒に見出していこうじゃないのという「一緒に企むモードのスイッチが入った」ように思うのです。

一緒に企むモードに入っていれば、難しい作業は大人にまかせても、つくりたい気持ちは手放さない。

一緒に企むモードに入っていると、完成形がだれにもわからないから、つくる工程を先まわりして押し付けたりしない。

一緒に企むモードに入っていると、アイデアやものづくりスキルの差が、できるようになりたいこと、やりたいことに変わっていく。

ぼうつきキャンディはゆっくり変わる

今回私は、事務局的な立ち位置なので、安全管理に気を配ったり(電動工具や刃物を出す日はまあまあ緊張する)、材料が足りなければ探しに行ったりしていて(探すとなにかしら出てくる)、自分の「my舞台」をつくることはなかなか難しいのですが「私もつくりたい!」という気持ちはずっとくすぶっています。

第2回のときに、なんとなくプロトタイプをつくったのだけど(光るワニをつくって、ももいろのぼうつきキャンディを配るための何か)、なんだかつまらない。

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ふとまわりのみなさんが作っているものを見てみると、私に足りないのは関わりたい気持ちの表現なのだということに気づく。おためしやさんは好きなペンで描いてもらう、とりかえっこ屋台は何かを交換する、ごろねやはのんびり空間をふるまう。コマ屋さんなんて、(おそらく)プレイパークにあるコマをお借りして遊ぶのだからわざわざ屋台にしなくていいけれど、あえてコマ屋さんを名乗ることでいつもと違う出会いが生まれそう。引き出しがたくさんついている屋台だなんて、外に持ち出すものに引き出しっていう発想はなかったぞ。引き出した時にわって気持ちが盛り上がりそう。それに何よりシーソーみたいな何かに拾ったものをのせて、曖昧なバランスを楽しむとか、そんな屋台、世界中どこ探してもないよね!

いやあ、かなわないなあ。私はついついつくりたい物に執着して視野がせまくなる。参加しているみなさんと、一緒に企むモードに入っていなかったら、私はきっと袋小路に陥っていた。というわけで、アイデアを練り直して今つくりたいものはこんな感じ。(まあ、なんていうか、相変わらずではありますが)。

桃子 がスケッチを共有しました

「小さなmy舞台探究」は月一度のペースで顔を合わせて進めるプロジェクト。ゆっくりペースだから引き出される変化もあるように思います。

みんなが集まるのはあと1日だけ。さみしいなあ。でもきっとその後もご縁は続くことでしょう。

(さとうももこ)


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