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部分と全体

「この20年で変らなかったのは、本への思い入れを読者に伝えようとし続けた書店員たちの存在である。彼ら、彼女たちがこれからも書店を支え続けるのである。・・・」 学芸出版社営業部の名物社員・藤原がお送りする、本と書店をめぐる四方山話。

部分はそれぞれ個という全体であるが、部分の集合体としての全体とは・・、何だかハイゼンベルクの「部分と全体」みたいな。でも今から言うのはそんなに難しい話ではない。

書店でよくある会話だが、「建築書がこのところ売れないよね。棚を縮小して他の本を置いた方が、売り上げが上がると思うのだけど・・」
こんな会話を「部分と全体」で捉えてみたい。全体を指しているのは「建築書棚」で、売れないと指されている部分は建築書棚を構成している本である。

こうした会話を成り立たせるにはデータが必要で、建築書棚で売れない商品をリストアップすることになる。売上が悪い訳だから、売れない商品、回転ゼロ商品をコンピュータに抽出させる。この売れない商品を排除すれば全体としての建築書の売上効率が上がるだろうということである。

ここで挙げられる回転ゼロの商品が本当に建築書の売上を下げているのだろうか。建築書棚を構成している1冊1冊の本にはそれぞれの特徴がある。たまたまそれを必要とするお客さんが存在しなかっただけ、ということもある。
重要なのはその建築書棚がお客さんにアピールするだけの全体を持っているかということであり、建築を学ぶ人にとって必要な本が揃っているかということだ。
リンゴの腐った部分を切り取れば、それはもう本来のリンゴではなく、腐った部分を切り取ったリンゴなのである。

書店の棚は商品を陳列するためのものではない。棚全体が一つの世界を作り上げていなければならない。売れる本と売れない本が混在し、本を選ぼうとする人に、その世界の中から1冊を選ばせるだけの誘惑的魅力がなければならないのだ。

僕は誘惑に弱い。誘惑してくるものは魅力的だ。魅力があるから誘惑される。そして何より誘惑するものは完全なものではなく、不完全から完全へと向かうものであることが多い。

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