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僕が株式会社アオイエで活動する理由(前編) - アオイエに入るまで -

最近、人の前に立つことで、自分の過去を振り返ることが増えてきた。
改めて、自分自身の整理と、僕の想いを多くの人に知ってもらいたいことから、今回はアオイエに関わることになったきっかけと、今の活動、それの元になった過去を記そうと思う。

目次

・原田 岳/ガク
・人生初の仕事はメキシコ
・そして、アオイエとREVorg

原田 岳/ガク

大学1年次に、ファッションショーやクラブイベント等のイベント事業を個人で運営。その後メキシコへ留学し、”在メキシコ法人向け総合情報メディアamiga”の編集長に就任。同時期に日本貿易振興機構(JETRO)と共同で「写真で見る世界のライフスタイル メキシコシティスタイル」の製作を行う。帰国後、Cafe&Bar ENcounter Shibuyaの経営に携わる。アオイエに入居し、2017年10月に代表青木の誘いを受け、CCO兼関西責任者に就任。

僕のプロフィールには
アオイエに関わるキッカケになった事は詳しく書かれていない。

キッカケはメキシコまで遡る。

人生初の仕事はメキシコ

僕の生まれは福岡県。大学で上京し、1、2年生の時は「和敬塾」という寮生活、クラブイベントやファッションショーに明け暮れていた。ただモテたいが為に活動していた。

そろそろ真面目に将来の事を考えなければと思い、3年のときに、大学を休学して入ったのが、当時働いていたBAR「ENcounter Shibuya」のオーナーが運営していた会社だった。

会社名は株式会社Tokyo Divertido。
元双日の西側 赳史 が26か27歳くらいで立ち上げたメキシコのコンサル事業や留学支援などを行う会社だった。(今はENcounter Japanという会社に事業移行した。)

初のインターン(会社も自分も)だった。
当初は3人。始まって直ぐに1人が居なくなり、もう1人は留学で遠隔で関わっていたため、インターンはあっという間に僕1人になった。
留学支援のイベントを開催したり、LP(ランディングページ)をど素人ながら作ったり、TABIPPOで記事を書いてもらったりもした。
(西側さんとTABIPPO代表のしみなおさんは旅先で出会ったらしい。)

休学から半年たち、残りの半年は海外に行こうと考えていた。
いっそのこと海外で仕事をしようと思い、なけなしのお金(親からも少し借りた)で航空券を買い、準備と送別会で貯めて来たほどんどのお金を無くし、現金1万円だけを握りしめてメキシコに飛んだ。
(ちなみに海外保険に入るお金も、クレジットカードすらも、メキシコで使える口座すらも持っていなかった。)

向こうではあっという間に時間が過ぎた。
amigaというメディアの編集長(といっても当時は僕ほぼ1人)として、取材に駆け回った。

駆け回る中で、僕の顔にはシワとシミが増え、急速に老化現象が始まった。

「何故ここに来たのだろう」
無理矢理休息を作り、
近所の公園を5時間も延々と答えを探しつつ歩き回る日々が続くも、
その問いはついに答えが出る事はなかった。

そして、ちょんまげスタイルになった。

3ヶ月が過ぎた頃、JETROから依頼を受け、「写真で見る世界のライフスタイル メキシコシティスタイル」の制作を開始。
まだ21歳の仕事を初めて3ヶ月の若造がプロマネとか狂気の沙汰だな、と今になって思う。
メキシコ中を駆け回り、終わる頃には日本にいた。


そして、更に老けた。しかし、あの問いの事は忙しさから忘れていた。
今も、メキシコで培ったタフネスさと、度胸は忘れない様に、メキシコの硬貨で作られたペンダントを常に身に着けるようにしている。


また、仕事とは関係無く、向こうにいた時に衝撃的な人物と出会った。

それは、ソーシャルヒッピーという名で活動されてる鯉谷ヨシヒロだ。

ホースキャラバンといわれる馬で中南米を旅して周る話や、7万人もの人間が1週間限定で都市を作るバーニングマンの話、レインボーギャザリングと呼ばれる世界中からヒッピーが集まる祭典。

彼は、僕の知らない世界に生きていた。

日本に帰った僕はその世界に思いがあったのか、ENcounter-Shibuyaのマネージャーの傍ら、彼らと関わるようになった。

そして、アオイエとREVorg

この時、僕はすでに当時のアオイエの住人、地球少年こと篠原 祐太に出会い、2軒目のアオイエに住人として入居していた。

出会いは当時マネージャーをさせてもらっていた、BAR、ENcounter-Shibuyaだ。バーテンダーは計4年間ほど経験した。
BARはその他の飲食店とは違い。人と人が出逢うことが日常だ。
男でも女でも関係無く、人間として出逢い、それが新たな人生の1歩となる様を見るのが好きだった。

アオイエはまだ走り始めたばかり、軽く運営に来ないか?と声をかけられた。MTGに顔を出してみると、当時から本気で日本の将来や世界をギラギラとした目付きで見据えていた。
「こいつらとなら変えれそう。」と思い、便乗し始めたのがキッカケだった。

でも、本格的に関わろうとはしなかった。
当時の僕はまだ他にやることがあると思い、関係はあくまで仕事だけでの付き合いだった。


アオイエとは別でお手伝いさせてもらっていたのは株式会社REVorgという会社だった。

なんかもう、よくわからない、よく説明できないので、とりあえず界隈の人に会いに行ってみることをおススメする。
ここは先程の鯉谷さん含む4名がCEOを同時に行うという会社だった。

CEO 鯉谷ヨシヒロ Chief Enlightnment Officer
CEO 山下悠一 Chief Enterprise Officer
CEO 河村和紀 Chief Education Officer
CEO 工藤真工 Chief Entertainment Officer

本当にわけがわからない。
けれど、日本中どこを探しても見つからないくらい飛び抜けて面白い人々ばかりだった。

色々とお手伝いをしつつ、僕の人生の大きな転機となったのが
REVorgがオーガナイズを務めるイベント。

Co-Re!Retreat

グアテマラにある世界一美しいと呼ばれる ”アティトラン湖” にて、自分と未来を見つめる「リトリート」、そして、マヤ先住民の儀式とエレクトロニックが融合したコミュニティギャザリング 「コズミックコンバージェンス」と二つの体験ができる【Co-Re!Retreat】を開催します。

これに僕の人生は大きく変えられた。
今まで23年間生きてきた中で、最大級の衝撃だった。

過去にも未来にも、
これを超える衝撃はほぼ存在しないと言い切れるだろう。


・・・・
【後編はこちら】
僕が株式会社アオイエで活動する理由(後編) 
- ただのバカが「死」から学ぶモノ -


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