(65)スピリチュアルとの付き合い方

私は今、オンライン講座を受講しています。
「人を癒す」をテーマにした、呼吸法の実践です。

息子たちの不登校をきっかけに、私は呼吸法を学びました。これは一種の瞑想だと思います。無意識へのアプローチ、第三の目松果体の活性化、それを目的としています。

実際、本当に助けられました。
自分を俯瞰して、いらない習慣を捨てていく。
一時期「ホ・オポノポノ」にハマったことがありまして(私はよくハマるの笑)、それと似ているなと思います。
呼吸法はもっと実践的というか、自分に厳しい感じ。

動揺してもすぐに復活できるし、「これしかない」という思い込みから脱することが出来ました。子供達が学校に通えないのなら、きっと他の道があると信じることができています。

だからこの「人を癒す」というテーマに惹かれ、受講することにしたんです。

でも、少し心がもやもやする。
なんでかというと、よりスピリチュアル的な視点が強くなったからです。

受け入れられない自分がいます。占いは好きだし、宇宙はエネルギーに満ちているし、その他もろもろ目に見えないけれど、存在するものはあると信じてはいますが、

それでも受け入れられないことがある。

その講座で「予言」の話が出たんです。
これから起こる日本の大災害や、危機的状況。
それを乗り越えるために、この呼吸法は必要だ、という論調でした。

それってカルト信仰とどう違うんだろうなあって。
恐怖を煽って信じさせる実行させることを、私は受け入れられない。
だって私にはわからないじゃないですか!
地震が起こるとか、富士山が噴火するとか、
そんなの私は知らん、って話なんです。
そりゃいつかはあるかもね、ぐらいですよ。

長い長い時間をかけてここまで残ってきた宗教、おそらく最初の教えはとても素晴らしかったはず。たくさんの人を助けてきた。
でもそこに「恐怖」というエッセンスを入れたのは、

人間の思考・感情

じゃないかなあ。
期待していた講座は、私のスピリチュアルを受け入れるための絶対的安全ラインを破ってきました。

じゃあどうするか。

私は本当に深く長く考えました。
考えすぎだと講師に言われました。ただ信じろ、ただ受け入れろ、と。
もちろんそうかもな、と思う自分もいますが、
でも私はそんなバカにもなれなくて←失礼を承知で、ゴメンナサイ。

それでですね、思い至りました。
そうだ「悔いなき選択」だ!と。

『進撃の巨人』をご覧になっている方ならピンときますよね。
「お前は正しい、せいぜい後悔しない方を自分で選べ」ですよ。

自分で決める。
これが最適解。
信じるも、信じないも、自分で。

講師は「感じよう」って言うんですよ。
確かに何かぞわぞわと体を上るものがあるけれど、気のせいといったら気のせい?ぐらいの僅かなものだし、無視しようとすればできるような感じ。
「これは地球のエネルギー!」と、決めるのは自分なんだと。
「これは気のせい!」と決めてもいいのだと。

そう考えたらふっと心が軽くなって、
この呼吸法のいいとこ取りだけしようぜ、っていう気になりました。
確かに脳内麻薬はでているし、気持ちは楽になる。
それは自分で確信しているので。
全部信じなくちゃいけないっていう、アレはないですよね。

まあ、完全に講座内では異端者ではありますけれど、
これからもずうずうしく受講していこうと思います。

結果。
進撃の巨人って名作だね、って話。

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