見出し画像

言語習得と台湾人の友人ができない話

今回は少し言語習得と友人関係について自分の雑感を書いていこうと思います。

第二言語とは

前提としてまず、第二言語というものが何をもって第二言語とするかは人によって異なるでしょうし、第二外国語が第二言語なのか第三言語なのか、そもそも第三言語は第二言語なのかみたいな話もありますが、今回は私にとって母語であり母国語である日本語を第一言語として、それ以降に学んだ言語を第二言語と定義します。

中学高校と英語を第二言語かつ第一外国語として6年間学んできた日本人ですが、習得なんて言うレベルには遠く及ばず基礎もあるかどうか怪しいというのが自分の認識です。


一方、2年前に勉強を始めて日常の生活や授業で使うことになる中国語はそこそこのレベルというところでしょうか。
0から勉強し始めて2年で大学で講義を受けていると考えれば、まあ頑張っていると言えますが決して満足の行くものではないなと思っています。
なのでそこそこのレベルと評しています、正規留学なので単位と卒業が掛かってますから。


中国語は自分にとって第一外国語として学んだ英語以上に使える&使わないといけない言語という意味では第一外国語の英語を越えて重要な言語になったといえます。
私のようなタイプの人間は嫌でも使わないといけないような環境に行かないと全くできないというのは英語の学習を通した学んだことであり、それを中国語の学習において行かせていると考えています。

中国語を学ぶ上での課題

第二言語中国語を習得するうえで、日本人の得意分野とされるのが読み書きの2分野です。
また1人でもできるのが聞く分野になります。
そしてどうしても相手が必要となり、なかなか1人では難しいのが話す分野になります。
自分の学ぶ言語を第一言語とする者や第二言語であっても第一言語並みに話せる者との会話(※)と、自分と同様に第二言語としている者との会話を比較するとやはり差があります。
(※フィリピンやインドの場合、母語=第一言語とすると母国語である英語が第二言語となって必ずしも母語=母国語とは限らないため、日本人の多くは母語と母国語が一致するため第二言語が外国語になることが多い(例外も多い)

言語習得とメンタリティの関係

言語習得において重要なのはその言語をネイティブとして話す人とのメンタリティをどれだけ寄せられるのかだなと最近感じています。
特に話すということは、相手に対して興味を持ちこちらから自分の意見を伝えるという意思がないとできません、あとは必要に迫られるか。
必要に迫られることでの会話というのは一定程度の効果は見られますし、実際に自分はそれである程度のレベルには達しましたが、それ以上となると能動的なモチベーションが必要だなと感じるようになりました。
というのも、自分が極めて典型的な日本人タイプである日本人であるために、なかなか台湾人とのメンタリティが合わせられず、一人で物事を考える進めるなるべく関わらないという選択肢を取りがちである事に気づいたからです。
これは同じ日本人でも個人差はあるでしょうし、どの国の人かによっても差があります。


実際、欧米系の国と台湾では日本人が感じるメンタリティの差は台湾のほうがはるかに小さいはずで、少なくとも自分はそれで中国語を0の段階から比較的早いペースで学んできました。
これは同じ漢字文化圏であるという恩恵もありますが、風習や宗教、言語などの比較的近い文化的なベースがあるとともに見た目という点でも心理的なハードルは大きく下がると考えています。

台湾人の友達ができない理由

台湾で中国語を学びながら大学で専門分野学ぶという二正面作戦をやってるわけですが、それでも最近は特に話すことに関して成長を感じなくなっており、その一因が台湾人とのメンタリティの近似ができていないこと、心理的なハードルがどうしても残っていることなどがあるのかなと考えるようになったわけです。

話すことを迫られる場面として、大学では上台報告が挙げられます。
ここで話す能力を発揮することを求められますが、話すことは自分にとってかなり厳しいといえます、とんでもない中国語がアウトプットされます。


この話す能力を向上させるのであれば、友達を作るというのが手っ取り早い話になりますし、言語習得ではよくおすすめされる話でもあります。
しかしながら、友人関係を何をもって定義するのかと考える面倒なタイプの人間である私であると、別に日本語を学ぼうと思っていない台湾人が中国語をうまく出力できない日本人と友人関係であるメリットを思いつくことができません。


友人関係がなにも利害のみに終始するとは考えていませんが、「give and take」が全くない友人関係というものもないだろうというのが持論です。
それこそ私が得るものはいくらでもあるけれど、中国語という媒体をうまく使いこなせない自分は何かを与えることもできず、友人間関係が築きにくいので中国語という媒体を使いこなすレベルまで上げにくい、という延々ループにはまっているという訳であります、あと友達ができないという話です、簡単に言えば。

友達が欲しいのか、欲しくないのか

友達が欲しいのか、それとも言語能力を向上させるための相手が欲しいのか、分からなくなっているというのもあり、学科の同級生たちが友達ではないなんてことは言いませんが、かといて深い仲でもない、言語という壁を越えられないという自分の状況を打破する術が思いつかないという話を小難しく自分の考えの整理を兼ねてアウトプットしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?