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「GAJYUMARU 沖縄をつなげる教育NPO」設立準備中です!

準備を始めるまでの経緯や想い

私たち「GAJYUMARU 沖縄をつなげる教育NPO」は、これまで実質的には半年間準備を重ねてきました。

その半年前まで、12歳で進学を機に沖縄を離れた私の中に様々な想いが蓄積されてきた経緯は、以下の通りです。

①首里城の焼失(2019年10月31日)
出張先で寝付けない夜にニュースを開くと、首里城が燃えているというニュースが入ってきました。意を決して動画を見ると、私が子どもの頃再建された建物が焼失していく様を目にしました。
ウチナーンチュである私にとって、首里城はやはり地元のシンボルというべき建造物の1つです。ここから、故郷に帰って何かできることはないかと自問する時間が増えました。

②コロナ禍(2020年~)

コロナ禍が長期化するという読みをした際に、これは沖縄の未来にとって大変なことになると直感しました。
移動制限が長期化することは、観光産業が主力である島に大きなダメージをもたらします。また、それによりほとんどの資本やエネルギーが目前の対策に投下されることは当然すべきでもあり、容易に想像がつきました。

しかし、教育はいわば未来への投資であり、将来の実りのために耕していくような営みです。目前の対策に集中するあまり、既に経済格差・情報格差・機会格差にさらされている沖縄の子どもを思うと、20年後・30年後の沖縄の未来にかなりの影響があるのではないかと危惧しました。

幸い、私は教育業界にいた経験と人脈、アイディアがあったためここが故郷に恩返しするタイミングだと判断しました。

この半年間の経緯

2021年(今年)1月、友人を頼り上記のような想いを伝えました。
そこからの紹介でまず3人で話し始めたのが2月25日。折しも音声SNSのclubhouseが盛り上がりを見せており、毎日ルームを開き皆さんに相談してみればよいのでは?と始めたのが2月26日でした。

毎平日ルームを開く中で、共鳴・共感してくださる仲間が増え、皆で議論していく中で「GAJYUMARU教育」というコンセプトが生まれました。
数えきれないほどの方々が関わり、これまでのコンセプト、具体方針、NPO化などの話に進んでいきました。

私にとって、信じられないくらいに嬉しかったのは、想定以上に私の提唱するビジョンに共鳴してくださる方が多かったということです。

そこで、3月19日に独立を決めました、実際、3週間ほどで判断ができたことは本当に幸せだったと思います。

そこからは、本当に皆さんに支えられた日々でした。
「GAJYUMARU教育」というコンセプトから、課題を突き詰める中で石垣・うるまという拠点が決まりました(明日以降、拠点を選んだ理由に関しては掘り下げていきます)。
そして活動方針など様々なことが決まる中で、より私たちが取り組んでいくことが結果として沖縄の未来を切り拓くことに確信を得るようになりました。

現在地

私は、8月末で会社員という立場を卒業しました。
いよいよ、自身の向き合いたいことに対して注力できる状況となりました。
向こう1ヵ月は、私たちがこれまでの半年議論し、作り上げてきたコンセプトや活動の方向性をアウトプットしつつNPOの設立準備に充てたいと考えています。

だからこそ、極力9月中は毎日に近いペースでnoteを書いていきたいと思います。
9月末まで、極力これまでの蓄積、今後の方向性などを整理し皆さんにご理解いただけるようにしていきたいと思います。

今回は、流れの概略を示しました。
できうる限り、プロセスそのものも皆さんと共有する中で活動準備を進めていきたいと考えています。
コメント欄で、何かご不明な点などあればおっしゃってください。
是非足りない部分などあれば、テーマにするなりコメントでご返信していきます。