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大人の「良かれ」発か、1人ひとりの子ども発か?

周囲の大人の「良かれ」は、必ずしも子どものためではない

私が塾講師をしていた時代から、保護者の方と話していてよく感じていたことがあります。

それは、周囲の大人の「良かれ」が、必ずしも子どものためになっているわけではないということです。

進路についての「こうした方がいいんじゃない?」、もしくは日々の「宿題終わった?」「勉強した?」という声掛け。様々な刺激を受けて欲しいと用意した習い事。

もちろん、それら全ては「子ども(の将来)のため」です。
しかし、それで本当に子どもの意欲が上がったのか、結果として子どもの未来の可能性を広げたのかとなると、非常に難しい問題です。

これは近年「教育虐待」と呼ばれる問題となっています。

私は、これら「良かれ」が裏目に出てしまうことに対して批判するつもりはありません。むしろ、「良かれ」=親の愛だからこそ本当に残念だと思っています。

どうすればいいのでしょうか?

「大人の良かれ発」の対義語は、「放置」なのか?

よく、保護者面談でも、こう聞かれました。

「『やれやれ』って言っても子どものためになってないのは自覚してるんです。でも、じゃあ『放置すればいいの?』っていうのも違う気がして。。。」

この気持ちも、非常によくわかりました。
※やっぱり、多くの保護者の方が様々な悩みを抱えてらっしゃるのだろうと思います。それをもっと共有し、みんなで可能性を共有していきたい。
だからこそ、「Coparenting Space」が必要なのだと思います。

では、「良かれ」の対義語は「放置」なのでしょうか?

「子どもの中に答えがある」

GAJYUMARUは、「子どもの中に答えがある」と考えています。

子どもには、様々な資質、才能、興味・関心があります。
生まれつき個性は違いますし、育っていく環境の中で得られる影響も、当然個々人で違います。

そして、以下の認識も非常に重要だと考えています。

戦後、工業生産が中心の社会では「同じことを同じように」できる人材が多くいることが質の高い工場労働者を生む上で重要でした。
そして、その時代に非常に適応的だったのが日本人であり、日本の教育でした。実際、日本は1980年ごろは「Japan as No.1」と呼ばれるに至ります。

しかし、今は「同じことを同じように」ではなく、「いかに人と違う発想ができるか?」「『妄想』を形にできるか?」が求められています。
言い換えれば、「1人ひとり違う資質や才能、興味・関心をいかに開花させられるか?」

「1人ひとり違う資質や才能、興味・関心をいかに開花させられるか?」が重要な社会においては、いかに子どもの中に眠る資質や才能、興味・関心を後押しするかがより重要となってくるのではないでしょうか?

すなわち、「放置」ではなく、「子どもの中にこそ答えがある」。
その姿勢が重要なのではないでしょうか?

どんな状況を、「強制」と呼ぶのか?

もう1点、上記に関連して重要だと考えていることがあります。

大人の基準からの「良かれ」が子どもにとって「強制」となる場合と、当然ならない場合があります。

その違いは、「納得感」の有無にあるのではないでしょうか?

大人から子どもに対して、「~がいいと思う」の根拠に対して子どもが真に納得していれば、当然子どもはその方針に対するモチベーションは下がらないはずです。その状態は、「強制」とはなりません。

その納得感なしに物事が進んでいく状況を、私たちは「強制」と感じるのではないでしょうか?
それは夫婦間や企業内に置き換えても同様だと考えています。

ただし、そこで大人の物差しから判断したことを「説得しよう」ではないことは、前段の「1人ひとり違う資質や才能、興味・関心をいかに開花させられるか?」から望ましくないことはお分かりいただけると思います。

対話と試行錯誤

そこで、重要となってくるのは「対話と試行錯誤」ではないでしょうか?

①子どもの中から答えを探す(何をしたいのか、どんな資質や才能があるのか)上で、それが本当に子どものためになるかどうかは当然わかりません(そして結果論的に、「こうだったんだね」という答え合わせしかできない類の問いです)。

②探った結果、子どもと対話(言葉だけでなく、反応など含め)し、お互いの認識をすり合わせながら子どもが自分を確立していく上で必要と思われるサポートや関わり方を試行錯誤する。
※書いていると難しいですが、そこに「100点」も「0点」もありません。試行錯誤の過程を楽しむということが何よりも重要だと考えています。

の繰り返しではないでしょうか?

「孤育て」から、「Coparenting(Co育て)」へ

そして、その過程を楽しむこと、ヒントを得る上でも現代の「孤」育てはかなりネックだと思います。

「孤」育て状況では、時間的・精神的余裕がないことも多く、楽しんだりする余裕はありません。
その状況から脱し、周囲の大人や地域など、共同/協働で子育てに取り組む。それをGAJYUMARUは「Coworking」という言葉に込めました。

※「Coworking Space」に関しては、上記の記事をご覧いただけると幸いです。

そうやって、私たちは環境も整えつつ、大人と子どもの関わりに関してもお力になっていきたいと考えています。

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9月は極力毎日noteを書いて、GAJYUMARUについて皆さんによくご理解いただけるようにしていきたいと考えています。
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どうぞよろしくお願いいたします。