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今なぜ教育のアップデートが必要なのか?③『近代義務教育』の目的とは?

前回までのあらすじ

前々回、前回とシリーズでお届けしています。
このシリーズの目的は、以下を明らかにすることです。

①日本の近代教育の目的を解明する⇒その目的は今に合致しているのか?
②近代教育以前の日本の教育について知る⇒その教育は、今に取り込むべき要素を持っているのか?
③では改めて今、重要だと思われることは?

そのための参考資料として、汐見稔彦先生の「今とは違う学校が求められている 生き方と学びの多様化(おるたネット発行)」より引用します。

ちなみに、前回までの記事はこちら。

では、以下、引用開始します。
※見出しや私にて重要だと思った点を太字にしています。

近代国家としての『義務教育』

軍事政権だった国のしたこと

ちょっとついでに質問しときますと、明治の初めにたくさんそうやって、学校が村々にあるけども、当時の学校にはあまりなかった。つくられますけども、今は当たり前のようにあるものがあります。何だと思いますか…それは、運動場です。運動場というのはなくて、校庭っていうのがあったんです。校庭と運動場はいっしょにして使うことありますけど、校庭と運動場は実は違うもので、校庭は築山があったり、そこで何かみんなでお弁当食べたりなんかするようなお庭ですよね。で、明治の二十年代に日清戦争があって、まあ、大変な思いして戦争をやり始めたんです。

ちなみに日本はその後、七十年間で、世界で一番たくさん戦争をした国になります。なぜ戦争をたくさんやったかというと、日本は長く、侍が政権取った国だということと関係があると思っています。侍は、現代の日本語では軍人です。 つまり日本は鎌倉時代から長いことずっと軍事政権だったわけです。これは元とかもそうです。オランダとかは商売人ブルジョアが中心につくっていますね。フランスとかは貴族から商売人に替わった国です。歴史的には、政権は、貴族がやるか軍人がやるか人がやるかなんですが、日本では長く、実は軍人が政権を取っていたんです。それで、江戸時代は軍人が慣れない経営をずっとやっていかなきゃいけないということで、まぁ、 随分工夫するんですけれども、今度は逆に、「軍人としての魂が抜けてきた」って批判が出てくるわけです。それで、「あいつら、もう駄目だ。徳川、引っ込め!俺たちが、元の軍事政権の強さを取り返してやる!」とやったのが明治維新です。ですから、明治は半分以上軍事国家・軍事政権です。

だから、彼らが一番やらなきゃいけなかったことは、強い国家をつくることだったんです。その強さの中には軍事的強さだけじゃなくて、経済の強さだとかいろんなものがあるからということで、それまでの日本の文化の多くを投げ打って、西洋のものを取り入れていこうと、今考えるとお城を全部壊すとかお寺をなくすとか、無茶苦茶なことをたくさんやりました。次にやることは、「われわれは強い国なんだ」ということを示すことで、どんどん戦争を仕向けていくわけです。そして、最初に日清戦争をやって、これで勝利を得たいということで微兵制を敷きました。軍人、待だけで戦争をやる時代ではなくなったからです。

日清戦争で彼らが学んだことは、大人になってから軍人としての訓練を始めたら間に合わないということでした。農民は走ったことがないとか、走ってもナンバ走りしかしないとか、ほふく前進ができないとか、当時は本当に苦労したらしいんです。「右向け、右」と言っても、「何だ、右って?」という感じで。これは子どもから訓練したほうがいいということになって、学校で軍事教練的なことをやることになったわけです。「学校で軍事教練?どこでやるんですか」となり、「場所つくれ」ということで、校庭を壊して、運動場に変えさせていくわけです。それでその運動場で毎朝集まって、「休め。気をつけ。 右向け、右」っていう軍隊的な訓練を始めていくわけです。同じ時期に運動会が始まり、 騎馬戦だとか、分列行進だとかということを練習させていったわけです。こういう行事はヨーロッパの学校にはありません。中学校の制服なんかも、 セーラー服と陸軍の制服ですね。つまり、海軍と陸軍の制服を中学校の制服にしていきます。明治中期以降、学校とか教育に軍事的なものがワーと入ってくるわけです。

道衛・修身教育

それから同時に、貧しい環境の中で勉強する人間が立派な人間だって、これを教育していくわけです。それで「蛍の光、窓の雪」っ ていうのを歌わせるようになるわけです。 「蛍の光で勉強できる人間が」立派な人間だっていう道徳教育をやったのが、明治の中ごろです。

だから日本の学校っていうのは、ある面から見ると、ものすごく軍事というものと結び付いています。子どもを来させ、近代国家の担い手をつくる、ということが近代学校の務めで、それはもう「有無を言わずに来なさい」 ということで、コンペル強制にした。

強制的に国家のつくった学校に来させるという発想は昔からあるんです。一番最初の強制教育は、スパルタです。スパルタっていうのは子どものころから、二歳か三歳から 三十歳までをずーっと教育したんです。で、途中でいろいろ試されて、駄目だった子どもは捨てられて殺されるんですけど、最後まで兵士として訓練をされていくんです。三十歳まで。そういうのがいい教育だって、前の都知事なんか言ってました。スパルタ式教育だとか、そういうことに憧れる人がいる。それからプロシアなんかでも、そんな形じゃないんだけども、やっぱり強制的に来させて教育して、国民の読み書き能力とか知力を上げることによっていい国をつくりたいってやった。歴史にはそういうような国が何回も登場するんです。だからそういう意味では、強制教育的なものは初めてではありません。歴史の中にそれまでもあったんですが、近代国家はどこでもやっぱり、それとはちょっと違う意味で、強い国をつくるためには強い国民、それを自覚する国民に仕立てあげなきゃいけないからってことで、「来なさい」っていう形でやったというのが本音なんですね。

日本は戦争に突入していき、学校が間違ったことをやっぱり宣伝する場になってしまったっていうことから、アメリカをはじめとする国際世論が日本の武装解除をしなきゃいけないということになって、戦後が始まるわけです。教育は、戦前は納税·徴兵と並ぶ 国民の三大義務だったんですね。教育を受けるのは義務だった。義務教育、文字通り教育を義務にしたわけです。

まとめ

上記引用部分で最も端的にまとめてくれているのは、以下です。

日本の学校っていうのは、ある面から見ると、ものすごく軍事というものと結び付いています。子どもを来させ、近代国家の担い手をつくる、ということが近代学校の務めで、それはもう「有無を言わずに来なさい」 ということで、コンペル強制にした。

それを端的に表しているのが、
・軍事教練のための体育(運動場、運動会での騎馬戦・行進)
海外の方は、日本の運動会を見ると「軍隊みたい」と感じるようです
・制服(セーラー服=海軍、陸軍)
・「貧しい環境の中で勉強する人間が立派な人間」=過酷な環境での訓練にも耐えられる精神力をつける
※個人的には、二宮尊徳さんの像が各小学校に建てられていったイメージ

なのだと思われます。

この影響は、儒教の教えとも相まって「目上の方からの教えは絶対」であったり、「我慢や努力を重んじる」国民性として今の我々にも大きな影響を与えているのではないでしょうか?

次回~本シリーズのまとめ

改めて、本シリーズの狙いは以下です。

①日本の近代教育の目的を解明する⇒その目的は今に合致しているのか?
②近代教育以前の日本の教育について知る⇒その教育は、今に取り込むべき要素を持っているのか?
③では改めて今、重要だと思われることは?

ここまで①②を押さえるために、引用にて多くの事例を紹介しました。
明日は、これらをより概観として押さえ直した上で、③の「今」、ないし「これから」に向けて重要だと考えられることについて書きます。

その中で、GAJYUMARUが取り組むべきことをさらにクリアにしていきます。お楽しみに!

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