母が息子をたずねて母島へ〜その7
見出しの写真は母島観光協会の脇にあるクジラのモニュメントです。ホエールウォッチングのシーズンは冬なので、残念ながら今回の旅ではクジラを見ることができませんでした。
そして母島3日目の朝は、ものすごい雨と風で始まりました。月曜日なので息子は今日から一日仕事です。
「食事はどうするの?」
と聞くと
「母ちゃんがいる間は朝・昼を食堂で食べて夜ご飯を家で食べる」
と、いつもながら気が利く息子。台風の中、出かけて行きました。
さぁ、では私は朝ごはんでも食べようかなとコーヒーメーカーをセットしてボタンを押したとたん、家の中が真っ暗に!(台風で雨戸を閉めていました)
「えっ??なんかやっちゃった??」
そそっかしい私は自分が何かをしたかと思いました。次にブレーカーかな?と思って見にいくと問題なし。どうやら停電になった様子。私が何かしたのではなくてよかったのだけど、停電だといつ復旧するかわかりません。母島は気温が高いだけでなく湿度もほぼ100%なので24時間エアコンをかけっぱなしで洗濯物は部屋干し生活。エアコンが使えないとどうなってしまうのだろうとドキドキしました。幸いなことに20分ほどで復活。あとから父島で同じホテルに泊まった方とこの停電のことを話すと、復旧に4時間かかったと言っていたので、大変な思いをした人達もいたようでした。
雨で外に出られないし何をしようかなと部屋を見回すと、整理収納アドバイザーの血が騒ぎ始めました。
けれど本人がいない中、勝手に片づけてはいけません。私も同じことをされたら絶対イヤなので、がまん、がまん。
そこで掃除をすることにしました。
息子の家に着いた時、予想以上に綺麗に暮らしていて「がんばってるなぁ」と思ったのですが、築年数がそれなりに経っている建物で、お手入れが必要な箇所がありました。
「そんなに掃除したら、家が削れてなくなるよ」
息子がまだ一緒に住んでいた頃、私にそう言ったことを思い出しながら、部屋がなくならない程度にお掃除しました。
台風のおかげで泊めさせてもらっているお礼ができました、よかったです。
掃除の目処がついた頃、雨も上がりました。明日、観光したいロース記念館や月ヶ岡神社、清美が岡鍾乳洞などの下見をしに散歩に出発。全て歩いていける距離にあり観光にとても便利だなと思いました。歩いていると学校を見つけました。母島は小学校と中学校が同じ敷地に入っています。また、給食がないのでお昼休みに一旦帰宅して再び登校する形をとっていると息子が教えてくれました。そして小・中学校が同じ校舎なのは、子ども達がチリにいた時に通った日本人学校と一緒で生徒数も似たような人数なので、どんな学校生活なのかが想像しやすく、そして懐かしく感じました。母島には高校はないので進学するのに島を離れないといけないそう。父島にある小笠原高校は母島出身の生徒向けの寮がありました。
歩いていると初日に連れて行ってもらった展望台へも行けそうだったので、もう一度行ってみることに。
最初に行った時は遠く感じましたが、だんだん私の頭の中に母島の地図ができてきて島の様子がわかってきました。そして歩きだと周りの景色をゆっくり見ることができ、見ていたガイドブックに載っていなかったcafeを発見〜
母島は数軒、食事ができるお店があり散歩中にどこにあるか確認できましたが、その後も何度かお店の前を通っても、いつ開いているのか分かりにくく、入りにくい感じがありました。このカフェは営業時間が入り口に貼り出されていたので気軽に入れそう〜こちらも明日の予定に加えました。
散歩を終える頃、夕方になりました。
母島や父島は午後5時になると島内放送で『レモン林』の曲が流れます。(おが丸、はは丸の船内でも流れた記憶があります)
島の夕暮れに雰囲気ピッタリの曲で、聴いているとせつなくて胸がキュンとなっていました。今も時々鼻歌で歌っている、思い出の曲となりました。
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