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ボイス+パレルモ展


 埼玉県立近代美術館で「ボイス+パレルモ」展を見てきた。前に豊田市美術館でやってた時にパレルモのシンポジウムみたいなビデオを見て、ちょっと気になっていたからだ。

 というわけで、どちらかというと、パレルモを目当てに行ったのだが、圧倒的にボイスの方が良かった。一般的な評価通りという感じだろうが、それはしょうがない。巨匠だけあって、ボイスの作品群はちょっと位相が違うように感じた。

 とはいえ、今の目で見て、ボイスの作品が面白いかというと、そんなでもない。もはや見飽きたテイストな感じがするし。特にビデオは全然面白くなかった。「私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」だけは、コヨーテが出てたので結構見てしまったけど、他は全部そこそこに脱落した(ちなみに、コヨーテというのは映像では分からず、後から調べた。そして、このパフォーマンスには当然のようにいろいろな逸話があった<ググるとすぐ出てくる)

 では、ボイスのどこが良いかというと、まず総体としてのパッケージングが巧い。どういうことかというと、これをやってあれをやってこれもやるみたいな作家としての幅の見せ方が圧倒的に広くて、漠然とつながりも感じさせる。そして、年代も考えると、ああ、今のいろいろな作家に大きな影響を与えてるんだなという事がすぐに分かる。というより、現代美術という手法が発掘されて以降、何をやっても(というわけでもないだろうけど、結構な部分が)目新しかったであろう時代の中で色々な分野をごそっと持っていってる感じだ。例えば、今の作家でいうと、バンクシーとかも、なんとなく通ずる所があるのかなとちょっと思った。(特に検討せずにパッと思いついただけだけど)

 いずれにせよ、ボイスが社会に対して挑発的だったんだろう事は、なんとなく分かる。多分、同時代で見ていたら、もうちょっとちゃんと何やってるか分かったのかもしれない。

 オブジェの質も高い。最重要作品であるらしい「ユーラシアの杖」は、なるほど巧い構成だと唸ってしまった。「ジョッキー帽」も良い。というか、こう書いて明らかなように美術ファンでありながら、ボイスの作品の事を恐ろしく知らなかったと今回、今更ながらに気づいた。まあ、全然好きなタイプの作家ではないからしょうがないけど、抜け落ちてるところは抜け落ちてるんだなと改めて良い機会になった。この作家の作品は一つ二つ見ただけでは、ほとんど分からないだろうし。パレルモに引っかからなければ、見に行っていたかどうかも分からない。

 反対にパレルモは好きなタイプの作家だ。60年代から70年代あたりの抽象画の匂いがぷんぷんする感じで単純に見てて気持ちが良い。配色に妙があり、多くに単品での良さがある。今見ると、こっちの方が好きだという人も多いのではないか。

 布絵画とかも「なんで布絵画という名称?」と思ったら、単純に布を貼りあわせただけらしい。それでこんなにちゃんとしたものになるんだから、頭いいなと思った。素材の選定が本当に巧いし。オブジェクトとしても良いものが多い。壁画の展示だけはよく分からなかったけど、それ以外ほとんどが良かった。若くして亡くなったそうだが、もうちょっと長生きしていたら、また違う方向性にも行っていたのではないか。

 と、見てる間はパレルモの方が良かった気がするんだけど、頭に残るのはボイスの事ばかり。アートにとって何が良いのか?二つを見比べる事でむしろ対比的に示されていた気がする。


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