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ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? について考えてみた

 少し前に上野の国立西洋美術館で「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」という企画展を見てきた。ふらっと入って、サクッと見ようと思ったが、これがかなり奇妙な展覧会に思えたので、メモがわりに感想を書いておきたい。副題は「国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」となっている。ちなみに見るのに三時間以上かかった。非常に文字の多い展覧会だ。


 感想の前に自分が日本の現代美術を見るときによく感じているポイントを二つ書いておく。

 一つ目は「現代美術は歴史の評価にさらされていない」という点だ。

 よく現代美術が好きではない人と話していて思うが「現代美術は歴史の評価にさらされていないので質が低いものが多い」という事を、ストレートに「現代美術は質が低い」と捉えている人が多いように思う。

 これは、まあ、仕方ないのだが、しかし、やはり、年代が新しければ新しいほど作品は歴史の評価に耐えていないので、いくら美術館展示が学芸員の目を通すとはいえ、そこに凡作や駄作が入り込む余地は多々あると思っている。もちろん、美術館レベルでなければ尚更だ。なので、昔の作品に比べて、現代美術が相対的に駄作が目につきやすい状況にあり、それで印象が悪くなってしまう面もあるように思う。この展覧会も個人的には「そういう面がある」ように思えた。とはいえ、今回は主に日本のトップ層の作家による展示なので、この直前に見たVOCA展より遥かにレベルは高かったが。

 二つ目は、そもそも「日本の現代美術」が「西洋のアート(ART)」と接続しているのか問題がある。

 これは音楽で言えば、「日本語ロック問題」に近いが、ロックが時代を経て、日本語でロックをやる事に疑問符をつける人がほとんどいなくなったのに対して、日本の現代美術はまだその点に対して疑問符をつけている人間が多いのではないかと思う。というより、自分はまだちょっとそう思っている。日本で独自に発展してきた現代美術のあり方が良いのかどうかイマイチ判別がつかないのだ(例えば、それはアートである事より地域振興が語られがちな地域アートのあり方などもそうだろう)

 今回は、国立西洋美術館の展示だけに、この点を精査する意味でも非常に良い展覧会になっているように思う。というより、その点に最も意味があるのではないか(これが褒め言葉になるのかどうかは分からないが)。

 以上を踏まえて、以下はネタバレもあるので、会場の写真を挟んでから感想を書いてみたい。

小田原のどかの展示より:考える人の台座


 まず、この企画展の中で良いと思った作品は、会場に散りばめられていたセザンヌ、ボナール、シニャック、ムンクの作品だった。このうち、セザンヌと内藤礼の作品は良い拮抗感を持っていたと思うが、それ以外は現代美術より過去作品の方が際立っているように見えた。何故だろう? 

 実際、知識や技巧的に言えば、今の方が優れているはずなので、昔の作品がなんでこんなに良いと思えるのかは改めて見てみるとよく分からない。特にセザンヌとか、いわゆる「良い絵」とも思えないので、なんでこれがこんなにも良いのか魔法としか思えず、その良さの本質は全く解析できないようにも思えた。
 いや、それも思い込みのせいかもしれないけど、やはり、歴史の評価にさらされて生き残った作品は風格が違うのかもしれない。

 こういう事を思わせる時点で国立西洋美術館の展示として良いのだろうとは思う。とはいえ、本来、今を生きる人間には現代美術の方が胸に響くような気がしないでもないから、この点に関しては不思議なようにも思える。いや、確かに「近さ」で言えば、現代美術の方が近くて見やすい面があるし。とりわけ今回のような企画展だと現代美術を中心に追って見ているわけだが、その上で途中途中に挟まれる古い絵画があまりにもより良く見えたので、正直それが意外だった。

 この事に対して面白かったブースもある。鷹野隆大のブースと小田原のどかのブースは過去作品をそれそのものとして自作(自説)の補強に使っていたのだ。他にもそういうブースがあったが、個人的にはこの二つが直接的に過去作品をうまく使っているように思えた。

 鷹野の作品は現代的な部屋の中に自身の作品と共にゴッホの作品などを置き、上記の疑問に直接答えるような形になっている。これが結構、面白かった。但し、面白いのだが個人的にはこれが展示があまりにも上手すぎて、リアルというよりは単なるシミュレーションにしかなっていないようにも感じられた。当たり前だが、ちょっと置き方が作為的なのだ。もちろん、それはそれでその感想を引き起こすので面白いのだが、これだったら、意図してそうなのかは分からないが、パープルーム周りの過去の名画の置き方の方が雑でゴミっぽくて現代の日本の美術の在り方に近いようにも見えた。いや、これが良いのかどうかは別として、この辺が一番、名画の価値の比較検討としては際立っていたのではないか(但し、それは端的に鷹野の展示の方がレベルが高かっただけな気がしないでもないので、これも褒め言葉になるのかすら分からない)

 個人的に一番面白かったのは、小田原のどかのブースだ。と言っても、面白いのはロダンの彫刻の置き方で、これが地震との関連で倒れた状態で置いてある。正直、そもそもこの企画展自体、これを知って、これを目当てに行ったのだが(というより、本当の目当ては常設のゴヤの版画の方で企画展がついでだったのだが)これが面白かった。

 ただし、発想は面白いが、ブースの作り自体には不満がある。まず部屋の色がピンクっぽいのも意図はあるのだろうが、特殊すぎてあんまり良くないと思った。もしかしたら赤系の色が地震の被災体験と関連づけられているのかもしれないが、全体的に一目見て意図がパッと分かるようになっていなくて、デカい五輪塔の模型も文章を読むと地震関連のオブジェだと分かるが読まないと全く意味が分からない。地震と関連づけるなら、もうちょっと方法はあったのではないか?

 そもそもロダンの彫刻が横になっているのも、壁に小さく貼ってある細かい文字を読まないと企画趣旨がよく分からなかった。これでは単に「横になっている彫刻がある! 面白いなぁ」が先走ってしまうだろう。しかも、文章に書かれている地震被害にあったロダンの像と今回置かれているロダンの像は別物らしく、それも(しょうがないとは思うが)ちょっと残念感がある。

 また、小田原はそもそも本の出版もしていて自分もいくつか本を持っているが、ブースの奥にその著書などの本が並んでいて、その中に今回の展覧会のカタログもあったので、じゃあ、壁に貼ってある文章はカタログで読めるのかなと思って中を開いたら、この本には掲示されている文章どころか作品自体の説明も載っていなかったので、それもちょっとがっかりした。

 というわけで、結局、文章は読みづらい壁添いに列を為して読まないといけなかったのだが、これが結構しんどい。今の時代、QRとか何とか並ばせなくても文章を読ませる方法は何かあると思うのだが、文章自体は面白かったけど、速読だとピンとこない部分もあって、正直、その残念感はあった。まあ、とにかく文字の多い展覧会で、しかも、文字が小さく、場所も狭い。

 全体的にそうなのだが、この展覧会、各ブースが余りにも文章が多く、作家の数も多く、余りにも内容を詰め込み過ぎていて、導線が悪い。これでお客さんがいっぱい入ったら、おそらく、まともに内容が頭に入ってこないだろう。この造りがそもそも良いのかどうなのか(自分の行った時はそこそこぐらいだったのでまだ良かったが、それでも後ろから来る人の圧を感じるので、やっぱり、ゆっくり鑑賞できなかった)

 というより、ここで「ブース」と書いたが、この企画展、全体が有機的に結合しているというより、各作家が個別にブースをもらって、そこで好き勝手に作品を作っている感じがするのも良いのか悪いのか評価が難しい。もちろん、最初に絵画群があって、中程に弓指寛治の絵画中心のインスタレーション(これもやたら文字が多い)があって、最後にも絵画群があるから、ざっと見ると絵画的な展示として満足かつスムーズに見られるのかもしれないけど、展示のメインは問いかけの方にあるように思うし。作家間で問いが連続しているわけではないので、やはり、バラバラ感もある。

 なので、実際、各作家のスペースを「ブース」と呼んで差し支えがあるのかどうかは分からないが、体感としては何となくデザフェスギャラリー、或いは、より近いテイストで言うと、新宿眼科画廊なんかが思い起こされる展示ではあった。
 というのが意図的なのかどうか、わざとそういう「日本の美術」のある意味のど真ん中をやっている感じもあるが、しかし、それが若干、国立西洋美術館でやるとかなり雑多に見える割に一部のアヴァンギャルドな展示と比べるとかなり大人しい感じにも見えて、その辺でもこの展覧会の評価は難しいと思った。面白い。ような気もするし。ダメな気もする。といった感じだ。

 おそらく結構な部分で、それは意図的なのだろう。それがある種の人間にとって(それはおそらく日本の現代美術に思う所ある人たちかもしれないが)この展覧会が見どころが恐ろしく多い展覧会でありつつ、しかし、いびつに感じられる所も出てくるように自分には感じられた。というより、自分はそう感じた。難しい展覧会だったと思う。そして、奇妙ですらある(これはムンク等の印象から来たのかもしれないが。ユアサエボシの絵とか)

 最後に、個人的な感想だが、結果、この展覧会で一番印象に残って一番面白かったのは田中功起による展示の一番最初というか、ほとんど会場外にあると言って良い保育園のドキュメンタリー映像だった。
 いや、これが現代美術なのかどうか、実際、置いてある場所も離れているので、企画趣旨と関係していると言えるのかどうかすらも定かではないが、広いロビーでの展示で見やすかったし。内容もNHKのドキュメンタリーよりよく出来ているんじゃないかというぐらい映像も綺麗でインタビューも的確で、正直、これが面白くて展覧会をじっくり見る気になった部分もあった。
 というわけで、個人的な導入としてはこれは非常に良かったような気もするが、その感想が最後まで残るのも自分としてはちょっと微妙な所ではある。これは企画趣旨にあってるのかどうなのか。まあ、そもそもこの映像、ロビーの端の方にあったので見てない人も結構、多かったような気がするけど、ちょっと浮いているといえば、浮いている展示で勿体無いなとは思った。(しかし、企画意図と本当に関係ない気がするので、あそこに置くのも分かる)

 というように、結論は特にないが、この展覧会、長いタイトルが「問い」でくくられているだけあって、とにかく一冊の論文を読んだような重い感覚になる展示だった。なので、「美術品」を見たい人にとってオススメの展覧会かと言われると微妙なものがあるが、美術系の論文をよく読むような人には考えさせられる所が多く、見るべき点が多々ある展覧会になっているだろう。というように、あまりにも語りたくなってしまう展覧会だったので、感想を書いてみた。

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