見出し画像

日本のイラスト史についての雑感


「ネット絵史」という本を読んだ。インターネット以降の日本のイラスト史がまとめられた本だ。


自分は、ほとんどリアルタイムで見てきたような世代だが、どっぷり浸かっていたわけではなく横目で見ていただけなので、知らない事が多く、大変勉強になった。

日本のイラストレーションには、大まかに言って、2つの流れがある。マンガ由来のイラストの流れと欧米由来のデザイン的なイラストレーションの流れだ。日本のイラスト史を語る際には、この2つの乖離を踏まえる必要があると思うが、この2つを両方語ると(どちらかの知識が薄く)話が散漫になってしまいがちなので、その事について書いてみたい。

マンガ由来のイラストの流れというのは前述の通り「ネット絵史」のような流れだ。イラストとしては、ほとんどネット(またはデジタルツール)以降の話なので、近年の歴史でしかないが、もはや、日本のイラスト市場においては、こちらが主流と言っても差し支えないように思う。というより、「ネット絵史」を読んでもそうだが、今の大半の人たちが「イラストレーター」と言った時、普通は、このジャンルのイラストレーターを思い起こすのではないか。

しかし、本来の日本のイラストの正史は、欧米由来のデザイン的な流れの方にある。これは、美術出版社刊の「日本イラストレーション史」に書かれてあるような流れだ。

この本は、その名の通り、日本のイラストレーションの歴史が網羅されている。と言いたい所だが、この本には、ほとんどネット以降の絵師文化に対する言及がない。つまり、2010年刊で一昔前の本とは言え、現在の主流のイラストの流れがほとんど言及されてないものが日本のイラストレーション史を形成してきたとも言える(もちろん、全てが網羅できてない事に関しては冒頭の文章で言及されてはいる。ちなみに同様の事は「ネット絵史」の方でも冒頭に言及があったのが興味深い)。

では、そもそも日本のイラストレーションとは、どのような流れを辿って、今に至るのか?

まず出自をいうと、日本の「イラストレーション」という言葉は、ざっくり言って、50年代の日宣美などを中心に広がった概念らしく、64年にTIS(東京イラストレーターズクラブ)が設立されるなど、その頃から言葉として「イラストレーション」が自覚的に使われ始めたようだ。自分が生きていない時代なので、ほとんど書物などで見たり読んだりしただけだが、和田誠さんがベン・シャーンに影響を受けたことなどを筆頭に、全般的に欧米的なセンスがデザインに入ってきたことが「挿絵」が「イラストレーション」になる最初の動きになるのかなと思う。「イラストレーション」という言葉も、もちろん輸入されたものであるが、黎明期の作家たちが自覚的に使うことによって、日本のお茶の間にも定着してきた側面があるのだろう。

という、この辺の流れは「日本イラストレーション史」により詳しく書かれているので、そちらを読んで頂きたいのだが(と思ったら既に入手難なようだが)、自分は、この本の監修者の一人である都築潤さんのイラストレーション史の授業を幸運にもパレットクラブスクールで一度受けた事がある。もう十年以上前(パレットクラブでいうと10期の時)の出来事になるが、この話を聞いて、いろいろ調べ始めたのが、自分がイラスト史に興味を持つようになったきっかけだ。

パレットクラブはオサムグッズで有名な原田治さんの設立した社会人学校(塾)のようなもので、週に一回ほど、毎回プロのイラストレーターやデザイナー、編集者などの講義を受けられる。

都築潤さんのイラストレーション史の講義も主にパレットクラブ周辺にいるような方たちからヒアリングして作ったもののようで、当然、そちらの流れを主軸としている。と言うより、「イラストレーション」と言う言葉の発生上、こちらの流れが正史だと思うが、前述の通り、現在の市場性から言うと、ネット絵史的な流れを無視できない状況が訪れており、しかし、和田誠さんや原田治さんたちは、そこには接続されないだろうと言うのが現在の状況というか、授業を受けた時から思って来た日本のイラスト史のたゆたっている部分だと思う。逆にいうと、ネット絵史系の話が日宣美やTISにどれほど接続するのか?というと、それほど接続しないのではないかとも思う。それよりはアニメ、漫画系の絵の流れの方が色濃いだろう。

そんなわけで、この二つの流れはそれぞれに詳しい人がそれぞれに語った方が分かりやすいという事になっている程、乖離していると思うが、今回、「ネット絵史」を読んで、ようやく日本のイラストレーション史を広く語る土台が出来て来そうだなと言う実感を持った。

ちなみに、都築さんの授業を受けて以降、興味を持って色々調べていく中で、自分が持った雑感がいくつかあるので、それを書いておく。

一つは「イラストレーション」以前にも当然、挿絵の世界はあり、とりわけ、竹久夢二から中原淳一などに連なる「抒情画」の世界は、かなり黎明期のイラストレーター(例えば、灘本唯人さんや宇野亜喜良さんなど)にも影響を与えて来た部分があるように思う。そして、この流れは、おそらく今のネット絵師的な文化にもかなり直接的な影響を与えており、ルーツとして、イラストレーション以前に遡れば、その両者の流れが説明がつきやすいのではないか?という事。

(というのも、そもそも竹久夢二が日本のデザインの黎明期の存在であり、日本のデザインに大きな影響を与えているのだが、その流れを汲む抒情画の流れの中に(少女漫画の最初期の存在とも言える)松本かつぢなどもいて、その後、高橋真琴、内藤ルネなど日本の少女漫画絵の形成の流れなどもあり、そうした「目が大きい」などの人間描写の様式をベースに萌え絵などが出来上がったのでは?という雑感があるので。ついでに言うと、松本かつぢのイラストグッズ的な展開は、オサムグッズの在り方などにも似ていると思う。影響があったかどうか定かではないが。あと、サンリオとかにもこの流れは連なっていくはず。)

またネット絵師以前の文化として、ゲームイラストの流れなどがあり、ゲームブックやライトノベルなども含め、天野喜孝、米田仁士、いのまたむつみなどは「日本イラストレーション史」に取り上げられて良いのではないかと思った。この辺の流れを丹念に追っていくと、ネット以前のネット絵史系に至る流れ(今に近いイラスト需要の在り方)の説明にもなる気がする(<他にも多数いると思うが、パッと思いついた作家だけ、とりあえず書いてみた)。

もう一つ、ネット絵史以前の漫画、アニメの絵柄の変遷に関しては、それはそれでイラスト以上に大変な言及になりそうではある。ただ、ネット絵史をイラストの流れに組込む際は、そこも重要だろう。そして、逆に漫画史的に言うと、イラストレーションの世界の大御所(例えば、安西水丸さんや林静一さんなど)がガロ系の流れで現れたりするので、昔から市場的な認知として、日本のイラストの世界には、その二軸関係が存在しているのだろうとも思う。(ある時期からの描き手は、ほとんど漫画・アニメで育ってるはずというのもある)

あと、本当の雑感として、最近(LINEやインスタ以降な気がする)は、デザイン系のイラストレーションと漫画アニメ系のイラストの中間点を探る作家が増えて来たようにも思う。具体的にパッと思いつくのは、高橋由季さんとか、モニョチタポミチさんとか。もちろん、その両方の流れは、どの時代でも意識されて来たと思うが、もうちょっと今後、画風的な面での統合が始まって、歴史も相互に連なっていく可能性もあるような気がする。ついでに言うと、最近、わたせせいぞうさんや江口寿史さんに注目が集まってるのもこの2つの流れに横断的な作家であるからかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?