ガモさんの好きな作家:「バーネット・ニューマン」

 こちらの文章は「ガモさんの好きな作家」と題して作ったコピー本の文章を加筆修正したものです。以前、販売していたもののため、文章は有料とさせて頂きます。あらかじめ、ご了承ください。


 バーネット・ニューマンは、主に1950年代から60年代頃に活躍したアメリカの作家である。現代美術の世界では最高レベルの巨匠であるが、一般には意外と知られてないので、ここで取り上げてみたい。

 千葉にDIC川村記念美術館という素晴らしい美術館があるが、そこにニューマンの「アンナの光」という大作がかつてあって、この作品は100億円超えで売られていって今は無いが、まだこの絵が存在していた当時、この絵を見て、大変感銘を受け、一気にファンになった。

 そして、同美術館では、バーネット・ニューマン展もかつて開催され、それを見て、こんなに素晴らしい作品群があるだろうか!?と虜になって以来、自分の好きな作家ベスト3に確実にランクインするほど好きな作家としてニューマンが存在している。

 これは関東の美術好きには、よくある(かもしれない)パターンでDIC川村記念美術館には日本には数少ないワールドクラスの作品が何点かあり、とりわけロスコルームと言うマーク・ロスコの作品で埋め尽くされた部屋は本当に素晴らしく、なかなか日本で、このクラスの作品を目にする機会というのは、あまり無い所で、必然的にロスコと(当時、「アンナの光」という超一級品があった)ニューマンのファンになってしまった。やはり、頂点近くにある作品というのは「ものが違う」のだろう。一発ノックアウトと言ったところだ。

 バーネット・ニューマンの良さは一口に言って「スマートさ」にある。絵が本当にスマートで、何しろ、絵の中に描かれてるのは、ZIPという線だけだから、シンプル!それのみ!これで素晴らしい絵になるのだから世紀の大発見では無いか!?と思った。

 「絵画」というものを考えたときに、その構成物というのは限られている。キャンバスに油彩、またはアクリル絵具という美術の世界で「一番良い!」とされている組み合わせだけを考えれば尚更だ。大体が、キャンバスだって、Fだの、Mだの比率も決まってるものが多く、そこに何を描いても絵なんて単なる染みであって、同じ絵の具という素材で描く限りにおいては、大差ないといえば、大差ないのである。なぜなら絵の具だって絵の具メーカーが良い発色を考えてるわけであり、それをそのまま塗ったって、それはそれなりには良いのだ。というより、むしろ、単純に人間はキャンバスに塗った絵の具に単にときめいてしまう性質があるのではないかと思うところがあるし。あまり意識する人はいないかもしれないが、絵の具を「絵」にせずに絵の具のまま(例えば下地などを)見た方が良いと思う場合だって数多くあるのである。少なくとも、自分はそうだ。具象になるほど、人の思念が入って、絵の具本来の良さは消えてしまう可能性がある。

 そこで絵の具の可能性というのが、それそのものとして追及されてしまったのが抽象画の世界(の一部)であろうが、その後はキャンバス を変形したり、インスタレーションを始めたり、大差ないから微差を気にしたり、色々なパターンをみんなで試す事になり、その微差も微差、非常に細かい所まで突き詰めて「何が一番良いか?」を試してるのが、バーネット・ニューマンだ!というのが自分の理解となる。(間違ってるかもしれないが、自分の問題意識に沿って見られるのも絵の良さだろう)

 個人的にニューマンの絵を見ると、いつも「詰め将棋のような絵だな」と思ってしまう。要するに、絵をZIPだけにすれば、構図や配色、立体などに変換した時の「違い」を分かりやすく単純に研究できるからだ。しかも、これはもう他の人にはできない(なぜなら真似になるから)。つまり、ニューマンは人類史上唯一1回だけのチャンスをものにした作家なのである。そして、ニューマンはそのチャンスを高いレベルで成功させて、初めて見たとき「これは天才では?」と感嘆した。

 この問題には「写真」が絡んでいるとも言えるかもしれない。少なくとも、自分はそう理解した。英国にディビッド・ホックニーという素晴らしい芸術家がいて、その作家が「秘密の知識 secret knowledge」という素晴らしい本を出しているのをご存知だろうか?

 今では、それを踏まえた「絵画の歴史」や、その簡易版の絵本の方が有名であるが、そこに描かれてるのは、要するにカラヴァッジョなどの昔の大家が「カメラ・ルシーダ」などの光学機器を使って絵を描いていたのではないか?という発見の記述だ。これには驚き!!巨匠の天才性だと思っていたものが、意外と(当時の)最新機器の影響にあったとなれば、絵に対する観念が変わってきてしまう。実際、自分も「秘密の知識」を読んで、結構、絵に対する観念が変わったのだが、しかし、言われてみると、確かにそうなのかも!と納得した。写真のない時代には「写真の代わり」が絵にとって非常に重要な要素だったはずで、当時の人たちが、いろいろな機器を試して、何を使ってもいいから現実を写し取ろうとしていたと考える方が自然だろう。そして、今ではフォトショップを使ったり、プロジェクター投影すれば、写実の絵を描く事こそが結構簡単にできる事になっている(もちろん訓練は必要だが、なぞればいいので)

 そもそも「絵」とは何なのか?

 絵は、はるかな太古から人間が行ってきたプリミティブな行為であるが、現在の美術の世界では、そこに優劣をつけて、高額に売り買いをしているものとして存在している。

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