飲み会じゃなくて宴会

会社の上司(42)が、どこだったか広い場所を見つけた時に「ここなら宴会ができますな」と言ったのがなんだか印象的だった。なんか宴会ってあんまり言わなくないですか?

グーグルトレンドで比較したら、飲み会のほうが2倍使われているが思ったほど差はなかった。
異常に高くなっているのは2020年の4月なので、コロナ禍の始まりに関するものだと思う。ただこのタイミングで「宴会」は全然検索されていないので、人々がパッと頭に出てくる言葉としては宴会よりも飲み会のほうがポピュラーなんじゃないだろうか。

あ、別にそういう定量的な確認がしたいわけではなく、ここで言いたかったのは「なんかわざわざ宴会って言うところがいいな」ということである。

上司にとっては単に飲み会よりも宴会のほうがしっくりくる表現だったということだけだと思うのだけど、改めて考えてみると宴会には飲み会には無い要素がある気がする。

高揚した心の触れ合う機会

いくつか辞書的な定義を見てみたところ、「酒や歌舞などを伴う高揚した心の触れ合う機会」という説明はグッときた。酒や歌舞はあくまでサブであって、メインは高揚した心の触れ合いであるというのが大事だと思う。
酒飲みたいだけの集いはただの飲み会。飲みながら悪口言っているのは宴会にあらず。まあ悪口言って団結するのも心の高揚かもしれないが、宴会の秩序と尊さを保つためには、そういうのを含めてはいけない。

歌い、舞う

しかし、他人の心と触れ合う機会を作るのは大変なので、おいそれと宴会を開くことはできないだろう。主催者は「参加者の心を高揚させて触れ合わせるぞ」という覚悟を持たなければならない。おもてなしに心を砕く。酒をふるまい、歌舞を披露する(歌舞ってなんだ?)。酒はともかく、歌舞の披露は主催者の文化が問われるよな。ピーターパンがインディアンの集落にやってきて焚火を囲んで楽しんでいるシーンがあったが、ああいうのがまさに宴会で、インディアンたちが歌ったり舞ったりしていた。自分たちが誇っている伝統の歌舞を見せるのがいい。

会社の忘年会で若い社員になんか芸をやらせるのってだいたいただの辱めだと思うんだけど、それってやっぱり無理やりやらせているし、別に日ごろから身につけた歌舞ではないからなんだろうな。
そんなことやらせるぐらいだったら若手社員に社訓言わせたり社歌をうたわせたりして、それを見ておじさんたちが「お見事!」とか言っていればいいんじゃないか。
あるいは、我々はいつ何時宴会が開かれてもいいように日ごろから歌舞を練習しておく必要があるのではないか。ソーラン節とか東京音頭とか。

そういえば去年、会社の出張でフィリピンに行った際、パーティーでマツケンサンバを踊った。フェルトのハッピみたいなのを着て。役員はちょんまげのヅラも被った。これが喜ばれた。まあマツケンサンバって楽しい曲だしな。
事前に練習するように言われていて、実際みんな練習したから良かったんだろう。他にもフィリピン人が歌を歌ったり、プロのバンドがやってきて80年代のヒットソングを歌ったりして、会場は賑わった。
これは社会貢献プロジェクトの15周年パーティーだったのだが、宴会と言ってさしつかえないと思う。高揚した心の触れ合いが出来ていた。


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