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ほうこちゃん

私の数少ない友達、絶世の美女ほうこちゃん。
ほうこちゃんは若くしてこの世を去った。
美人だしそのうえスタイルだって抜群だったし、とても可愛らしい声の持ち主で、性格だって竹を割ったような人だった。

最後の誕生日は入院中で私はおめでとうメールを送った。
確か大きな地震があって病院も揺れて怖いと返事が来た。
その27日後彼女は旅立った。


ほうこちゃんは高校のひとつ上の先輩で、目立たない私にはその当時なら絶対に友達にはしてもらえなかったであろうタイプの人。
いわゆるちょっと“やんちゃ”の部類の人だった。(自分的予想)


後々偶然同じ職場になり仲良くなった。
いろんな話をいっぱいした。


時が過ぎ仕事も別々になり、たまにしか会わなくなってしまった。


病気のことはもう一人の友達から聞いた。
電話で二人しておいおい泣いて話した。
疎遠になっていたけれど病気の事があって、また集結しもう一人の友達と3人で手術前に遊びに出掛けた。

ほうこちゃんはシングルマザーで一人で子供を大きくした。
頑張って働いて貯めたお金を頭金に援助して長男夫婦と念願のマイホームを建てて間もなくの事だった。

彼女の人生は波乱万丈で私の人生の何倍も濃く濃く生きたように思う。
彼氏も何人か知っている。
もし彼女の欠点をあげるとしたら男運のなさだったように思う。
「人を好きになった事がない」
「人を好きになる事がどういうことか分からない」と話してくれた。
駆け落ちも執拗な親の反対から反発でしてしまったと話してくれた。


体調の変化を感じ病院へ行ったら、即大きな病院で診てもらうように言われ
自分で病院にも通ったし、手術も2度も受けたし、抗がん剤も最後まで受けたし…
でも辛くて抗がん剤は泣き言を言ったけれど
頑張った。


けれど、病には勝てなかった。
出来るだけ迷惑をかけないようにと自分でお葬式の予約までしていた。
着物だって用意していた。可愛い着物だった。良く似合っていた。
笑顔でなかったけれど今までで一番美しいと思えるような表情で眠っていた。

親の反対を押し切って駆け落ちしたし、そのうえ離婚もしてしまったので実家は敷居が高くて
最後に親身になってくれた元夫が病室でプロポーズをしてくれて復縁し、夫の実家のお墓に入れてもらう話までちゃんとつけていた。
彼はほうこちゃんの事が大好きなまま仕方なく別れたみたいだった。


ほうこちゃんは駆け落ちし親に心配をかけたけど、親不孝を重ねずに父親を見送ってから
わずかな日数で、お父さんを追いかけるように逝ってしまった。

病気が分かって、自分がその病気になったのは自分が過去に犯した過ちのせいだと、罰が当たったのだと私に話してくれた。
私は泣きながら首を横に振るしか出来なかった。『違うよ、違う❗』そう心で言いながら何も言葉に出来ずにいた。
なんで何も言ってあげられなかったのか悔しかった。
そうやって自分が病気になったことを受け入れることしか出来なかったのかも自分が悪い、自分の行いのせいだと。
違う違う私だって邪気の塊だよ。みんな100%胸張れる人ばかりじゃないよ、みんななんか抱えているよと言えば良かった。
言わなくてはいけなかった。
けれど胸がいっぱいになってはち切れそうで結局言えなかった。その日が彼女とちゃんと話を出来た最後だった。


何も言ってあげられないまま彼女は薬のおかげで穏やかに息を引き取った。
彼女がいてくれたらと何度も何度も思ったし、もっとたくさん話しもしたかった。
気楽な身になったら旅行だって行きたかった。


彼女を見舞った駐車場にはボタン桜が満開だった。
今は閉院となった病院の駐車場には季節がめぐるとあの桜は咲いているだろうから今年は見に行ってみるかな。

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ほうこちゃん、私も罰あたったかも