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大阪弁と大阪気質

大阪で生まれ育って、京都で数年、神戸にけっこう長く住み、関西の西の果てで十数年、と関西限定で生きてきている。話すことばは大阪弁のみである。昔、韓国語を学習していた時に釜山でタクシーの運転手に、大阪の人やろと言われてビックリしたことがある。その運転手さんが言うには釜山のなまりと大阪のなまりはよく似ているので、すぐわかるそうだ。
習っていた韓国語はもちろん標準韓国語であり、教わっていた先生はバリバリのソウルっこであった。これはイントネーションの問題だろう。私は無自覚に日本語を大阪なまりで話し、標準韓国語も大阪なまりで話すようだ。
コンユという韓国俳優のベッドタイムストリーという朗読を寝る前に聞くと非常に聴き心地がいいのは、彼が釜山出身でイントネーションが懐かしいからかもしれない。知らんけど。

ちゃうちゃうちゃう?(チャウチャウと違うやろか?)
ちゃうちゃうちゃうんちゃう(チャウチャウと違うと思う)
ちゃうちゃうちゃう!(チャウチャウと違う!)
ちゃうちゃうちゃうん(チャウチャウと違うんか)
関西人ならこれらをきちんとイントネーションで分別して話せるはずだ。
私は細かなニュアンスの差で、大阪人と京都や神戸の人を区別できる。
この三都市はけっこうプライドが高くて、言葉があまり混じりあわないのだ。私も神戸っ子の話し言葉はちょっと気に入らない、と思ってしまう。

でも広い世界でみれば、少々の差異なんてどうでもよくなる。
しかも関西人は地球上のいたるところで関西弁を使いまくっている。
神戸っ子は郷土愛が強いからあまり移住とかしないけど、大阪人はどこにでも気軽に移住してしまうようだ。沖縄の離島に、アフリカの砂漠にも。沖縄のあの独特の抑揚は大好きだが、それに混じって大阪弁が聞こえてきた時にはちょっとうれしかった。知り合いの編集者がノルウェーのフィヨルドで夜景を撮影してたら、「六甲山の夜景の方がなんぼかええわ!」的大阪弁が聞こえてきたそうだ。六甲山は神戸にあるが、これ言ったのは大阪人に違いない。

東京で大阪弁を話していると妙に浮いてしまう自覚はある。私だって地下鉄で江戸っ子2人が話してるのを聴いてケンカしてるのかと思ったことがある。でも方言は自らのアイデンティティだから、世界の果てで大阪弁を話すのは気持ちがいいだろうなと思う。しかし会社やお役所などに所属するとそうはいかないので、方言は自立した暮らしができる人の特権かもしれない。そういえば今住んでいる瀬戸内の隠れ里に移住してきたのは父であったが、死ぬまで大阪弁を話していた。

私の生まれ育った大阪郊外の街にはいまでは一人も知っている人がいない。みんな何処かへ行ってしまった。大阪人は郷土愛が足りないと思っていたが、どうもそれは違うようだ。大阪弁というアイデンティティを持っているから、世界の果てで暮らしていても大阪人なのだ。知らんけど。

こんなどうでもいい話を書いたのは、少し学習した言語学で、方言やイントネーションに触れている箇所があまりに少なかったので、欲求不満になったからです。ちなみに漫才などで話されている言葉は河内弁に分別されます。大阪弁の王道は『細雪』で4姉妹が使っていた船場ことばで、イントネーションが美しくやさしい言葉ですが死語になりつつあります。

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