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ジーザス・クライスト=スーパースター

初めましての投稿から、舞台のお話を失礼します。

この作品のように、
想いが溢れすぎてどうにもならないもの、
あるいは考察を残しておきたいもの、
作品でなくとも日々の気づきで留めておきたいことなどをnoteに綴っていきたいなあ、と思います*
※ネタバレですので、未見の方はご注意下さい

幼少期、RPGの世界に魅了されたのが始まりで
ゲームは卒業してもなお、フィクションの世界が
好きなまま大人になりました。
舞台は、個人的にゲームや本でいうフィクションの感じとひとくくりにするのとは感覚が違っていて。
虚構を現実世界に起こすこと、かつ
その虚構を貫くべく、徹底的に世界観も人物も
掘って掘って、掘りまくる。
そうして創り上げられることに、ただ感動して
とてつもなく好きだなあ、と思う。
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この劇団四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』の舞台は、今回で2度目の観劇でした。
人間の本当は隠しておきたいような生々しさや
綺麗ではないところをさらけ出すような、
そういう作品に惹かれる傾向があります。

本当に心に刺さる舞台は、幕開けの時点で涙が出る。
舞台奥から歩いてきたジーザスはただそれだけで神々しくて。
民衆と変わらない格好をしている者を
ジーザスだ!とわからせるような個人のオーラと
周りの画に浮きすぎないくらいには、明るく照らすフォロースポットがここでは大事なんだろうと思う。

ジーザスに救いを求め、弾圧からの解放への希望を求める群衆。
その一方的で多大な期待が観客から恐ろしく感じるようにあの『手の表現』があるのかなあと。
この時脇にいるユダの苦悩の表現が、
前回見た時は終盤で鞭に打たれるときのオマージュのような感じ。
今回は、胸が苦しくうまく息ができないような感じ。
配役の方によって変わるんだなあと思いました。
ジーザスやユダは特に、この役を生きられる方っていうのは本当に一握りなんじゃないかと思う。
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『自分で治せ、わたしは無力だ』
病気を治して下さい、そう群がる人々を
ジーザスは一蹴する。
ここの彼の気持ちは『非力で不甲斐ない』とは
また違うものなんじゃないかと悶々と考えているところ。
こんなにも人に囲まれるジーザスなのに、孤独。
心安らぐのは、マグダラのマリアの前くらいか。
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一見全く解せないユダの行動は、
太宰治著者『駆け込み訴え』を読むと
少しずつ紐解けるようだった。まだ噛み砕いてる途中だけれど。
ずっと苦しげな表情のユダが
別人のように晴れやかな顔に見えるのは、最後にソウルガールと歌うナンバーくらい。
なぜあのロック調な格好になるのか、
私が思うには
その時代のユダとは、また別次元のユダで
テレビなんかが存在する時代のユダが
歌ってるんじゃないかと。
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どのナンバーも捨てがたく大好きだけれど
ゲッセマネの園は、痺れる。
魂の叫びですら、澄んで見えるのは
配役の方の力量、天性もあるだろう
ジーザスは人間なんだと、改めて思う。
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忘れられないくらい好きな、ラストシーンの照明について。
他が暗くなっても、身体の立体感が美しく見えるように横からのライトが残り、
じくじく、余韻を残しながらフェードアウトしていく。
そのシーンだけのために星球を仕込んであるというのも良いなと思う。
(もっと裏方思考でいくと、カーテンコールでジーザスを回収するために中央にカーテン降りるんだな、と、、)

もっと作品の解釈を深めたくて、
遠藤周作著者『イエスの生涯』も読んでいるところです。
ひとまず、今回思うことの綴りはここまでに。
また書きたいことが増えれば記事にします。

読んで下さり、ありがとうございました*

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