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創作は模倣
自分ではオリジナル(コンセプトやアイデアやフィロソフィーが)な作品と思いきや以前どこかでインプットしたもののが深遠記憶に残っておりそれが表層に浮かび上がって来てるのかも知れない。
いや思想の大半がそうであろう。
模倣しないと創造は生まれない。
ゼロから産まれるというのは錯覚で、もしあるとしたら錬金術のようないかがわしいものを疑わないといけない。
言葉も全て親を中心に周りの人間が発する音を聴くうちに文脈、状況/シチュエーションから読み取り、親の言葉を模倣し、最初はアーとかウーとかおぼつかないがそのうち、マンマとか喋り出す。
それらの言葉は赤ちゃんが無から創造したものではなく、模倣や遺伝子の中に組み込まれている太古の記憶の呼び覚ましなのである。
そして言語の卵を獲得したら、一気に自らのアレンジ力を駆使して言語と文節、文章的長さの概念を獲得していく。
大人になり、何かこのようにアウトプットしているのもどこかで仕入れたインプットの掘り起こしとアレンジに過ぎない。
たしかこれと同じ文脈のエッセイ/コラムをmixiでも記した記憶がある。
そのときもこの発想自体がオリジナルでなく、例えば養老孟司先生の著作等で仕入れた知識の掘り起こしかも知れないと結んでいた記憶がある。
mixi記事みつかったら、あとで加筆で添付しておこう。
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