春に目覚める【短編SFノベル】
『…蘇生進捗状況99.8%…心拍数、血圧、体温、異常なし…羊水温度正常…… 蘇生完了…』
微かな機械音が唸る無菌室の中、合成音声が無機質に鳴り響く。
「…ここは…どこ…?」
目が覚めたアキは、まだ朦朧とした意識の中で辺りを確認しようとした。わかったのは、幾つのものチューブに繋がれ、人工羊水が満たされたカプセルの中に横たわって浮かんでいる自分だった。
「…ああ…そうか…また…春が来たのね…」
無人のAIで管理されているこの生命維持カプセルは、一年の半分をコールドスリープ、いわゆる人工冬眠をすることで、老化を抑制し寿命を伸ばしてくれる装置なのだった。
「もう100回以上は春を迎えたわ。また秋が来るまで、この中で時が過ぎるのを待つだけなのね…」
アキは目覚める前に見た夢を思い出していた。
「家の庭先からどこまでも広がる菜の花畑。そしてその菜の花畑の中を線路が遠くまで伸びている… 庭先から故郷行きの汽車が出るんだけど、乗ろうとしても身体が動かない。そして汽車は行ってしまう… いつも同じ夢だわ。」
ため息をつくアキ。
「私がこの中にいるということは、あの人はまだそのままなのね…」
暖かな羊水の中で、アキはいつ来るともしれぬ、その時を待ち続けるのだった。
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アキの夫ケンジは資産家だった。二人は深く愛し合っていたし、なんの不満もない幸せな暮らしを送っていたが、そんな日々もある日突然終わりを告げた。ケンジが心筋梗塞で急死したのである。
ケンジは遺書を残していた。もしもの場合には、未来の医学科学の発展により蘇生されることを信じて、遺体を冷凍保存してほしいという内容だった。遺体は完全に血液を抜かれ、不凍液を注入された上で、マイナス196℃の液体窒素に漬けられた状態で保存されることになった。
愛する人を突然失ったアキは、悲しみのあまり後を追おうとしたが、思いとどまった。自分がいなくなったら、彼が蘇生を果たした時に、誰が彼を迎えてあげられるのか。彼女は当時開発されていた最新の延命技術であるコールドスリープに願いを託すことにした。これはケンジと生前、どちらかにもしもの事があった場合の処置として話し合っていたことでもあった。
そして彼女はカプセルの中で、静かに眠りについた…
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それからまた、いくつの春を迎えた事だろう。アキが目覚めた時、カプセルの脇に一人の男がいた。ケンジだった。
「…アキ、目が覚めたかい?僕だよ、ケンジだよ。」
「…ケンジ…さん?…本当に、ケンジさんなの?」
「ああ、ケンジだよ。やっとまた会う事ができたね。本当に長い間待たせてしまった…ありがとう。」
「よかった…よかったわ、これでまた二人一緒に暮らせるのね…」
顔を曇らせてケンジは言った。
「…いや、残念ながら、この時代の技術をもってしても、蘇生はできても長期間の生存は難しいようだ。自分も、もってあと24時間らしい…」
「…そんな…やっとまた会えたのに…!」
絶望的な表情のアキ。だがケンジは続けた。
「だけどね、ひとつだけ方法があるみたいだ。」
「…なんなの?」
「それはね…僕も君と同じカプセルの中で冬眠をする事なんだ。」
「…えっ…一緒にいられるってこと?」
「そうだよ、これからはずっと一緒さ、いつまでもね。」
「嬉しいわ…ケンジさん…」
「アキ…!」
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…どこまでも続く菜の花畑の中を走る汽車。その客車の座席には、仲睦まじく座る二人の姿があった。
「やっと…やっとこの汽車に乗れた…このままどこまでも行きたい。春はもう、来なくてもいいわ…」
汽笛とともに、汽車はどこまでも走り続ける…地平線のはるか先までも…
[了]
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創作サークル『シナリオ・ラボ』3月の参加作品です。お題は『春の愉しみ 〜 Joy Spring』。
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