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休暇届〜Vacation for My Life 【短編現代ファンタジーノベル】

 そこは小さな無人駅のホーム。降りたのは私一人だった。いつもより柔らかな風が、優しく髪を撫でていく。ピアスも外し、ヒールの靴はスニーカーに履き替えた。スマホも圏外になっている。

 私は福井郷子、27歳。大手の広告代理店で働いている。やりがいのある仕事だが、人間関係や将来の事、プライベートの事など、いろいろと思い悩む日々だった。行き詰まり、何もかも疲れた私は、全てをリセットするために旅に出たいと思った。思い切って休暇届を出して、やってきたのがここだったのだ。

 元々は生まれ育った土地だ。だけど今は実家も遠くに移り、過疎化が進んだここには、もう知り合いは誰もいない。久しぶりに懐かしい空気を吸って、気兼ねなく一人になれるはずだった。

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 少し辺りをぶらついてみようと無人の改札を出ようとしたら、ベンチに一人座っている少女に気がついた。何やら泣いているようだ。

「ねえ、どうしたの?」

 歳の頃は10歳くらいだろうか、ランドセルと大きな手提げ袋を持っている。

「レッスンに行きたくないの…」
「レッスン?」
「ピアノのレッスン。ぜんぜん練習できてないから、また先生に怒られる…」
「そうなんだ。」

 慰めてあげようと隣に座って気がついた。楽譜が入っていると思われる手作りの手提げ袋。そのアップリケの刺繍には、なぜか見覚えがあった。

「え…これ…」

 さらにその縫い付けられた名札の名前を見て、言葉を失った。

「あなた…わたし…⁈」

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「どうしたの?お姉ちゃん。」
「ん?ううん、なんでもないわ…」

 確かに私は小さな頃からピアノを習わされていた。ピアノを弾く事は決して嫌いではなかったけれど、教えてくれていた先生は、小さい私にはとても怖い先生だった。それにその頃の私には、ピアノよりも夢中になっていた事があった。

「ピアノの練習、好きじゃないの?」
「ううん、ピアノは好き。だけど、歌うのはもっと好き。」

 いつのまにか泣き止んだ彼女は、弾ける笑顔で言った。

「さとこ、将来は歌手になるんだ!」

 そう、私は当時アイドル歌手に憧れていた。歌にはちょっと自信があって、地元のカラオケ大会ではよく優勝していたのだ。

「そう…素敵ね。なれるといいわね。」
「うん、わたし、絶対になる!」

 嬉しそうな彼女の手を握りながら、諭すように私は言った。

「でもね、ピアノの練習もさぼっちゃダメよ。将来歌う時にも、ぜったい役に立つから。」

 怪訝そうな顔で頷く彼女。

「うん…わかった…。」
「えらいね。頑張ってね。」

 彼女の頭を撫でながら、思わず抱きしめていた。昔の自分が、とても愛おしく思えたのだ。その時、遠くに上り電車がやってくるのに気がついた。

「帰ろう…! 帰らなきゃ!」

 彼女に別れを告げ、上り電車に乗り込んだ。窓を開け手を振った。彼女も大きく手を振りかえしてくれる。電車が動き出し、その姿が見えなくなるまで手を振っていた。

「思い出したわ!あんな夢を持っていたことを。」

 初々しい夢をキラキラした眼で語る彼女を見て、自分の中の何かが変わる予感がした。そしてまたあの子、いえ、自分に会いに来よう、そう思わずにはいられなかった。

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 忙しくも充実した日々の合間、休暇を取り再びあの無人駅を訪れたのは一年後だった。ホームのベンチで出会った私は、なんと15歳になっていた。

 その時彼女は普通の地元の高校に行こうか、音楽大学の附属高校に行こうか迷っていた。私はやりたい道を選ぶよう、彼女の背中を押した。辛く必死だった受験生時代を思い出しながらも、あの時の選択は間違っていなかったと、改めて思い返していたからだ。もう一度、音楽を始めてみようかな。そう思うようにもなっていた。

 そして次に会った時、彼女は20歳になっていた。初めて交際した彼から別れを告げられたばかりだった。嘆き悲しむ彼女に私は言った。

「大丈夫よ。彼はあなたのことを本当に愛してる。距離を置こうとしてるのは、あなたの幸せを奪うことを恐れているから。あなたの事を想ってのことよ。いつかまた一緒になる日が来るわ。私が保証する。」

 そう、私が保証する。なぜならその彼とは、つい先日結婚したばかりの、私の夫だから。

 彼女と別れ、上りの電車に揺られながら、ふと、次に会う彼女は、いったいいくつになっているんだろうと思った。今の私を追い越してしまったら…? そんな事を考えているうちに、心地よい線路の響きに身を委ねて、いつしか深い眠りに落ちていた…

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 私は無人駅のベンチに座っている。

 私は待っている。次の電車で彼女が来るのを。

 いつの間にか私は彼女を追い越し、もう50歳になった。子育てもひと段落して、幸せに暮らしている。それなりに音楽活動も再開し、充実した日々だ。今では彼女の人生の節目節目にアドバイスを送り、背中を押してあげる役割になっている。

 つくづく思う。人は誰しも、人生のその時々を一生懸命生きている。経験した全ての事は一つとして無駄なことなどないし、自分で選んだ道は何一つ悔やむ事はないと。本当の自分がわからなくなった時、答えはそれまでの自分の中にあるのだと。

 ホームに滑り込んだ電車から、彼女が降りてくるのを遠目に見ながら、私はそっとつぶやいた。

「待っていたわよ。今日はなんの相談かしら?」

[了]

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創作サークル『シナリオ・ラボ』8月の参加作品です。お題は『旅』。
自作歌詞の曲の設定を元に、ストーリーを展開させています。よろしかったらお聴きください。


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