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外部人材として教育に関わる立場、そして伝統芸能の世代交代を考える立場から

感想を聞かせてくださいシリーズの一人目は、TERADA 3D WORKSの寺田天志(たかし)さん。
寺田さんは3Dモデリングの技術を生かした作品づくりをベースに、小学生向けのプログラムを開発したり、近年は伝統芸能である人形浄瑠璃の人形製作の技術継承にも取り組んでいます。

ちなみに、私が現在暮らしている家の元家主でもあります。寺田さんは結婚を機に活動拠点を移しましたが、いまもしばしば我が家を訪れてはDIYの進捗を楽しく見守ってくれています。

6月のある日、久々に現れた寺田さんは、「読みましたよ!」と言いながら折り目をたくさんつけた本を取り出しました。開くと赤線やメモがたくさん。こういう風に読んでくれるんだ!と感激し、絵本の読み聞かせをねだる子の如く、感想を欲しがってみました。

途中でカクテルタイムを挟みながら2時間ほど(!)喋っていたんですが、ここではショートバージョンで。教員とは異なる立場で教育に携わる立場、そしてご自身の仕事で世代交代を意識する立場から、考えたことを聞かせてくれました。

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森)わ、折ってくれてる! どのあたりに注目したか聞きたいです!

寺)お、そうですか。じゃあ・・・(本をパラパラめくる)

「高校からはじめる」ってくだり。自分の場合は小中学校に主に関わっているんですけど、高校へのアプローチは確かにすごい大事だなと思って。

自分は東京都立工芸高校っていう、デザインとか工芸技術とか、ものづくりをする高校に通ってて。いま考えると、STEAM教育とか言われる前から、割と当たり前にデジタルとアナログの技術を行き来して作品づくりに没頭できる学校で。高校時代からやってると、ものづくり体力が超つくんですよ。
うちの学校は実習課題にすごい厳しくて。建築や技術系の会社で働いてる社会人が来て、実際に本番の厳しさで授業をする。すると、「全然提案通んねぇ」みたいになる(笑)。で、みんな「誰だよ、あいつ」とか文句言いまくっちゃって。
でもやんなきゃいけない。それやんないと成績つかないから。で、徹夜するんすよね。アイデアづくりからはじまり、スケッチをたくさん書いてそれを現実的な数値の製図に落とし込んで3Dビジュアライゼーションして、丸太から製材して板にして、いろんな工作機械使ってカンナとノミで形状を整えて。塗装仕上げまで、全てやる。
よりによってその分野専門の先生の辛口な審査講評が入るのでなかなか進まず、その厳しさにやめていく人も多い。なので残った人はみんなものづくりが好きだから、大変だけどやってて。10代という早い段階で自分は向いている向いてないというのが分かるのも重要かなと。
ある美大を見学したときに、工芸高校の授業内容と同じことをやっていて驚いた思い出があります。ざっくりしたイメージだと、美大版高専みたいな感じなんじゃないかと。

自分の場合そういう感じだったんですけど、神山校もそうじゃないですかね。身の周りに課題があって、それを題材にして、 地域の人と一緒に、解決しようとするような行為を、何回も繰り返す。それが素晴らしいなと。

高校時代からというのが、自分はすごく共感できる感じで。小中はきっかけが大事かなと思ってて、高校ぐらいから結構真剣になってくる。そのタイミングで実践をするってのは大事なんじゃないかなと思いますね。

3Dモデリング×3Dプリンターでフリスビーづくりを小学校で行う寺田さん(神山町Youtubeより)


寺)最初の方で、 つなぐ公社内で「高校からじゃなくてもいいんじゃないか」みたいな感じがあったって書いてましたけど。

森)はい。

寺)でも、高校からやるんだと。なるほど、そこに意志を感じる。

森)ひねくれてました(笑)

寺)いやいや、意志あるところに道ができるっていう。自分なら諦めそうだなと。組織の中でやるとなると、流されたりとか、結構しちゃうじゃないですか。それがないってのがすげえなって思って。

森)地元の人たちが「中学校の方が…」みたいに言うのを、「いやいや」って。来たばっかの人間が(汗)。それを許してくれた公社のメンバーたちにはほんと感謝です。

寺)許してくれるというか、「やってみればいいじゃん」ってとりあえず言ってくれるのはほんと大事だなと思いますね。そんな風に言う人が多いから、神山校の子たちがいろんな体験ができるってことなんですかね。

森)そうだと思います。近年、探究的な学習が大事だと言われてるんですけど、その地域や学校の文化として「学びの土壌」と言われるものがあるかないかが、実際のところ生徒の成長に影響しているとデータでも示されたんです。
結局のところ、周囲の大人の寛容性とか「一緒に頑張る」みたいな雰囲気がないと、どんなに良いプログラムや教材があっても生徒は伸びないんだと。

寺)なんか断られたりとかすると、やる気なくなるしね。新しい取り組みを実践できる寛容性が地域社会に浸透してるというか、そういう性格の人が多いというか。そういう感じは神山町は確かにありますよね。

森)うん、うん。

(ここから夫が同席)

寺)ちょうど渡邉くん(元ブレイクダンサー)が来たところで。「テストの点数をもとにちょっと年上の先生に高校を決められる」って言ってた女の子の話がすごい印象に残ってて。

エクストリームスポーツ系の話とちょっと近いんですけど、競技の中で評価軸が少なすぎるというか。回転すればするほど得点が高いとか、遠くに飛べば飛ぶほど得点が高いとか、評価軸としてはとても分かりやすいけど、とても工業的というか。資本主義のスピード感の中だとそうならざるを得ないのは分かる。
ただそういうとこだけで評価しちゃうと技が固定化されてすごいつまんなくなるってことは、結構スポーツの競技でもそうだし、特にストリートカルチャーとか、カルチャーやってる中でめちゃくちゃ感じることなんですよ。それが女の子の話とすごいリンクして。

例えば、自分が通ってた高校はものづくりの高校だったから、普通科の勉強がほとんどできないレベルで。しなきゃいけないんだけど、自分はものづくりの機材や先生が大学レベルで揃ってる実践的な技術の授業のほうが圧倒的に楽しくて、途中で完全にものづくりに全振りしました。で、 最終的には総代で卒業できたんですけど普通科の勉強は全部捨てたから、大学とか行けなくて。自分は在学中から3D技術のバイトをしてたから、3Dモデラーとしてやっていこうと思ってそのまま就職したんですけど、何らかの進学を検討しているときに評価軸が少なかったことはすごく疑問には感じてはいて。結構頑張ったんだけどな…って。自分が探しきれなかっただけかもしれないけど、相談できる人も少なかった気がする。
この子のモヤモヤが超わかったんです。

森)聞かせてあげたい。

寺)学校ではこのモヤモヤがあまり理解されにくい。先生の労働自体が過多だったり人数が多くてじっくり相談できる時間が現実的にない。学校以外のコミュニティで相談できる人の幅広さや経験値がもう少し広がると、こういう子どもも報われるのかな。いわゆる「斜めの関係」というか。
自分が生まれ育った東京では、一部はストリートカルチャーやその他趣味の場がその「斜めの関係」の受け皿になってたりするような気がするけど、過疎地域は少人数で一対一のコミュニケーションに時間が取れつつ、伝統文化や芸能のコミュニティがあるので「斜めの関係」を都市部より築きやすいと思う。

評価軸って難しいですよね。まどかさんも「相対評価するべきなのか。絶対評価だと全部 100 点にしちゃいそう」みたいなこと書いてましたね。

森) そうそう。100 点でいいじゃん、みたいな。

寺)その辺の「差をつけなきゃいけない」ってのは、ゆとり教育からつながってくるんですかね? ゆとり教育ってのは、そもそも差をなくそうとしてた試みだったってことなんですかね。

森)いや、むしろゆとり教育が曲解されて、差をなくして「みんなでせーのでゴール」みたいな方に行っちゃって。ゆとり教育が本来目指した、 1 人 1 人の学びを豊かにしよう、詰め込むんじゃなくて、みたいなのがそっちの方向で理解されちゃって、ゆとり批判になって、また今度詰め込みになってる。振り子なんですよね。

寺) 1 人 1 人理解するのも相当厳しいのに、全体を理解させるってほんと厳しいですよ。日本の教育がやたら批判されたり、海外の教育はどうのこうのって聞くんすけど、日本の教育における平等性は世界トップレベルだと思うし、総合学習がフィンランドで取り上げられてあっちで有名になったりしてますよね。

自宅のカウンターテーブルにて

寺)最後、引き継ぎとは。

森)わー、そこ!(喜)

寺)これを読んで、人形浄瑠璃のことを思い出して。
自分は、人形浄瑠璃の人形をつくるのを、実際に引き継げるかはちょっとわかんないけど、やるだけやってみたいなって思ってて。アート方向に持ってくとかもできるだろうし。実際に今、ある大きなプロジェクトで使用する舞台の人形を制作しています。やりがいがあると同時に、3Dデジタル技術と伝統的な手法を完全にミックスした極めて挑戦的な人形製作で、暗中模索+試行錯誤の連続ですが、様々な業界のプロのご協力もあって、とても良いものができそうです。

今日も甘利さんのとこに行ってたんですけど。すっげえ大変で。やっぱあの人すげえな、と。 文化的な考察から入るんすよ。ここはなぜこの角度なのかとか。これはちょっと(引き継ぐのに)10 年ぐらいかかりそうだな、と…。

寺田さんが師事している徳島の木偶細工師・甘利洋一郎さん(公益財団法人ニッポンドットコムより)

寺)人形浄瑠璃って、日本文化が全部凝縮されてるんですよ。日本の紙だし、使われてる塗料は、日本画と一緒なんですよね。膠(にかわ)で胡粉(ごふん)を溶いて、塗りつけて。あと所作。人形の所作は、すごく日本的な控えめな表現で。ほかにも着物、 言葉遣い、三味線とか、全てが総合芸術として日本が全部入っている。

森)うんうん。

寺)「日本は観光立国としてやっていかなきゃいけない」みたいな話が結構言われてる中で、文化はものすごい重要な位置を占めてくるんだろうなと。そう考えると、日本の文化をそのまま継承するんじゃなくて、デジタルも含めて継承していくことで興味を持ってもらいつつも、違う表現をして日本文化をアレンジするというか。そういうことができたらいいなって思っているんです。自分はちょうど 40 歳だから、もうなんか引き継ぎの年齢に入ってきてる感じで。20 代だったらね、全然そんなこと考えてなかったですけどね。

森)引き継ぎを受ける側として。

寺)そう。甘利さんから受け取ってる。自分は今40歳で、ちょうど間の世代だなと思ってて。この 10 年やんないと、多分できる人いなくなるんだろうなと思って、結構真剣にやっているんです。いま自分は若い方かな、やってる中で。
木で制作する本物の人形の迫力はすごいんだけど、3Dプリント製の良さも実はいろいろあって、うまく使えば海外でも人形浄瑠璃の周知につなげることができると思うんです。海外のパペットの文化と比べてみると、その特異さというか、人形浄瑠璃の細部の仕上げの美しさはすごいなと感じることがある。
でも、びっくりしたのは、甘利さんが「自分は道具をつくってる」って言ってたんですよね。完全に美術品だと思っていたけど、「道具」って言い切るとこが超面白いと思って。実用品かつ美術品というものすごいバランスで成り立っている。

森)へえ。

寺)ここ 0.1 ミリ動かすことで表情が変わるとか、ほんと細かくて…これは自分にできるかなー(汗)とか思いながら。
それを実践で、体で覚えなくていかなきゃいけないなと思って、なるべく会うようにはしてるんですけど。でも距離が遠いから、なかなか…。
壊れないものをつくんなきゃいけないし、美術的なものも要求される。そのバランス感が難しくて、やってみると非常に高度なことしてるんですよね。そういう素晴らしい文化をやっぱり残していきたいなと思ってて。

甘利さんの寛容性は半端なくて。認めてもらえないかなと思ったんすけど、3Dモデラーでデジタル技術を扱う自分を、同じ「ものづくりの人」として見てくれるというか。その人間性を含めとても尊敬している方です。

森)厳しそうですけどね。

寺)見た目オールバックでね、すげえ目鋭いし。でもすんげえ優しいですよ。めちゃくちゃ笑う人だし、日本酒好きだし。徳島はそういう人多いんですかね。神山もですけど、なんかあまり変なプライドがないというか。
なんか外国人と遊んでる感じがしますよね。気分的に。なんて言うんすかね、ラテン系ですよね。変な嫉妬もないというか。

森)いやあ、ご自身と甘利さんとのことに照らしながらこの本を読めるってすごいです。

寺)いやいや、でも、そういう内容で。自分が思ってたことがあって、読んでたら想起される。この極めて平熱の文章で(笑)
逆に言うと、 それが入り込めるっていうか。それがすごいと思いますよ。自分だったらちょっと熱苦しく書いちゃう気がする。自制心って言うんですかね。 なかなかできることじゃないなと思いますね。

渡邉)自分は文章って熱量があった方がいい、熱い方がいいなって思ってたんですけど、そうではない?

寺)場合によるかもしれないですよね。この本は神山を、自分の話だけど第三者目線で見てるような感じなんですかね。他の人の活動もちゃんと書きつつ、その中にちょっと自分の意見を入れてる。その入れ具合がすごく絶妙な感じだから、スッと入ってくんすよね。
熱い文章って、すべてがキラーチューンみたいな感じ。疲れちゃうこともあるけど、これはテンポよくサクサク読める。その中で、自分の経験とも反芻しながら見れるというか。すげえチェックしちゃいました。これ、これ!みたいな。すげえ面白かったです。ほんとに。

あそこのサンルームで書いてたんですね。で、最後にこれ(あとがきの最後の一文を指して)。

森)最後、ちょっと自分出しました(笑)

寺)これ絶対スッキリしてんなって。よし、終わったー!飲むぞー!みたいな(笑)

森)ばれてる(笑)


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ものづくりの世界と本の内容とのクロスオーバー。読み手によってこうも広がっていくのか、と驚きながら話を聞かせてもらいました。

拙著を「平熱な文章」と表現してくれたのは面白くて気に入っています。それはプロジェクト自体の性格を反映しているのか、原稿の推敲に時間がかかりすぎたからなのか、多分その両者なんですが(汗)。でも確かに、多少のアップダウンはあれど、明確なゴールはないからこそ走れるペースで走ってきた感じなんですよね。

写真を見返すと、この日は5月30日。出版からほんの4日目だったんですね。
早々に読んでくださった寺田さん、ありがとうございました。


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