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昭和天皇の実像(その2)

みなさんは昭和天皇の沖縄メッセージをご存知でしょうか?
昭和天皇の沖縄メッセージとは、国際政治学者進藤榮一さんが、アメリカの国立公文書館で発掘した電文のことです。
雑誌『世界』1979年4月号に論文「分割された領土」として、進藤さんは電文の内容を発表しました。
沖縄県公文書館のホームページで電文は閲覧できます。
進藤論文の詳細は、『分割された領土ーもうひとつの戦後史』で沖縄
メッセージに関わる論争も含めて確認が可能です。

1945年以降の日本の歴史を正確に理解するためには、昭和天皇の沖縄メッセージを知ることが必要不可欠です。
昭和天皇の沖縄メッセージは、不確かな伝聞情報ではありません。
昭和天皇は、1947年沖縄に対するアメリカの支配を積極的に肯定、助長する自分の考えを、連合国最高司令官政治顧問ウィリアム・ジョセフ・シーボルトに、側近の宮内庁御用掛寺崎英成を通して伝えました。
シーボルトは、昭和天皇の見解をメモとしてまとめ、連合国最高司令官とアメリカ国務長官に報告しました。

   1947年9月19日 「天皇メッセージ」伝えられる
1947年(昭和22)9月19日、宮内府御用掛寺崎英成は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問し、米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解を伝えました。シーボルトはその内容をまとめ、同月20日付で連合国最高司令官に、同月22日付で米国国務長官に報告しました。
 「General Records of the Department of State, Central File, 1945-49 Box No.7180 Folder No.1」(シーボルトから米国国務長官に宛てた文書)【0000017550】
内容は概ね以下の通りです。

(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。
1979年(昭和54)にこの文書が発見され、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。
参考文献:宮内庁『昭和天皇実録第十』2017年,千石雅仁発行.

沖縄県公文書館ホームページ

九月十九日、寺崎は、「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」としてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。
「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民がロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが“事件 ”を惹起し、それを口実に日本国内に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。
天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(要請があり次第他の諸島嶼)
の軍事占領は、日本に主権を残存(リテインド)させた形で、長期(ロングターム)のー二十五年から五十年以上ないしそれ以上のー貸与(リース)をするという擬制(フィクション)の上になされるべきである。

天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球諸島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴェト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差止めことになるだろう」。

進藤著『分割された領土ーもうひとつの戦後史』66ページ

まず、1947年9月19日という日付に注意してください。
日本国憲法は1947年5月3日に施行されています。
日本国憲法第1条により天皇は国の象徴になりました。
象徴天皇は日本国憲法第4条で国政に関する権能を有していません。
つまり、象徴たる天皇は国の政治に口出しできません。
昭和天皇の沖縄メッセージは、明々白々な憲法違反です。

ここで前回取り上げた昭和天皇の戦争責任について再確認します。
昭和天皇の戦争責任に関しては、このような言説で昭和天皇を擁護する考えが、日本では主流です。
曰く、「戦前の昭和天皇は立憲君主たった。したがって、東条内閣が1941年決定した開戦に対して従わざるを得なかった。簡単に言えば、政治的決断はできない存在だった」と。
それから6年後の1947年、昭和天皇は内閣を飛び越えて、政治への露骨な介入を行いました。
昭和天皇は、日本国憲法の規定により、自分には政治的な決定に関わる権限がないのを忘れてしまったのでしょうか?

少なくとも、昭和天皇は法的に整合性が取れない矛盾した行動を行った人物でした。立憲主義という原理原則を重んじた人ではありません。

昭和天皇の沖縄メッセージを寺崎から伝えられたシーボルトは、その見解を
「the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is based upon self-interest.」
だとしました。
日本語訳にすると、
「天皇陛下は、アメリカが沖縄やそれ以外の琉球の島々におけるアメリカの軍事占領を続けることを望んでいる。その希望とは天皇陛下の疑いようもない私利私欲に基づくものだ。」
と辛らつに評したのです。

シーボルトもびっくりしたと思いますよ。
つい最近まで自分たちと戦を交えた敵軍の総大将が、アメリカがこれから25年から50年以上沖縄を軍事占領するのが、あなたたちアメリカの利益になりますよと言ってきたのですから。

昭和天皇の名の下で行われた太平洋戦争で、沖縄では激しい陸上戦が行われ、15万人もの沖縄県民が命を落としました。
そして、沖縄は昭和天皇の希望どおり、27年に及ぶアメリカの軍事支配を受けました。
現在でも、国土面積に占める割合がたった約0.6%である沖縄県に、米軍専用施設の約7割が集中しています。
昭和天皇や日本のため、沖縄の同胞がこれまで払った犠牲の重みを考えてください。
昭和天皇が平和を愛し、国民と苦楽を共に歩んだ人物たったとは口が裂けても言えないでしょう。

さて、日本という国は、アメリカの属国あるいは植民地ではないかと考えている日本人がここ数年増えています。
対米従属という言葉がよく使われています。
宮台真司流の表現では米国ケツ舐めです。
その米国ケツ舐めの先駆者は昭和天皇でした。
昭和天皇の私利私欲により、沖縄はアメリカに差し出され、日米安保体制が構築されました。
昭和天皇が一番恐れた日本の共産化による天皇制廃止は阻止できました。
しかし、日本はアメリカの忠犬、ATMになり果て、現在に至っています。

そして、前回取り上げたように、昭和天皇は、戦争責任なんて言葉のアヤ程度のこと、広島原爆投下で市民が14万人亡くなったのは戦争中だからやむを得ないと発言しました。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」とかつてドイツの大統領だったヴァイツゼッカーは演説しました。
昭和天皇の沖縄メッセージ、言葉のあや発言、原爆投下はやむを得ない発言という3つの過去の歴史的事実に目を閉ざす日本人は、現在の日本にも盲目となります。

2023/7/19  追記

第2次世界大戦が終結した後、枢軸国のリーダーたちに何が起こったのか?
イタリア ムッソリーニは即時処刑された。
ドイツ ヒトラーは銃で自殺し、自分の遺体を焼却するよう命令を残した。
日本 裕仁はディズニーランドに行ってミッキーマウスとミニマウスに会った。

ミッキーマウスを見て、ご満悦の表情の昭和天皇夫妻。
天皇陛下万歳と叫びながらアメリカの軍艦に体当たりして太平洋の露と消えた神風特攻隊の若者たち、アメリカが投下した原爆の生け贄となった広島や長崎の名もなき人々、そしてアメリカとの激しい地上戦が行われ犠牲となった沖縄の同胞の命など、国体護持のためには当然の犠牲だった、とこの2人は思っていたのだろう。
そうでなければ、昭和天皇は沖縄をアメリカに差し出す政治介入を平然と行い、ミッキーマウスとアメリカ人に囲まれてこんなに上機嫌になるはずがない。
しかし、冷酷非情なマキャベリズムの実践者という視点で昭和天皇を考えると、彼はスターリンや毛沢東を凌駕する20世紀の最も非凡な統治者だったと手放しに評価できる。



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