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心の傷と、バンソウコウ。

私は教員を辞めた。
あまりに呆気ない、教員生活の最後を迎えた。

今まで教員しか目指してこなかった私。
まさか5年で辞めるとは、おそらく教員を志した頃の中学生の私は想像もしていなかっただろう。

毎年年度始めにワクワクしながら見る桜も、今年はなぜか桜を見ても何も感じない。

あまり仕事の暗い話はこのような場ではしたくない。しかし、思うところがあり私の戯言をここに刻むことにした。

ことの始まりは大学生の頃。「先生になれたらなぁ」と思って教職課程を取ることにした私。

でも、履修を辞めたくなり、途中で他の公務員の受験を考えたり就活めいたものも経験した。

「教員に絶対なりたい。」
そう思ったきっかけは教育実習に行ったことだった。授業も指導案作成も、全然うまくいかない劣等生。授業をしていただけなのに生徒から「こいつムカつくから殺していい?」と暴言を吐かれる始末。
(注:めちゃめちゃ荒れている学校だった)

それなのに、教員になって「しまった」。
こんな奴が講師とはいえ教員になってしまったのだ。

それから時は経ち、4月。
授業では先輩方に助けていただき、アドバイスを頂きながら必死だった。

講師には、新規採用の者と違って初任研がない。
研修ゼロ、完全OJTだけで仕事である。
カッコよく言えば、「叩き上げのスキルとライセンス」でのし上がるってやつ。

当然ながら、うまくいくはずはなかった。
授業は成り立たず、「担当を変えてほしい」と何度言われたことか。

それでも悔しくて悔しくて、先輩方に教えを乞うたり、先輩方にアドバイスをいただきながら必死で喰らい付いた。

特別支援学級配属になったときも、必死だった。専門の知識もない中、全力だった。
部活動だってそう。必死で取り組んでいた。

しかしそういう生活を送っていると、どこかで歪みも生まれてくるのだ。

うまく仕事を回せない。どう頑張ってもうまくいかない。
聞こえてくるのは同僚の先輩からの悪口。
悪者に仕立て上げられたこともあった。

どれだけ頑張ったって報われないことを知ったのも、5年間の教員生活だった。

頑張れば頑張るほど、どんどん削られていく。
心の傷も深くなっていく。

以前の記事にも書いたが、線路に飛び込もうと思ったこともあった。
(読者の皆様はそうなる前に然るべきところに相談してね!)

新しい自治体で働いた1年間。最後の学校も荒れていた。
悔しい思いもたくさんしたが、子どもたちが可愛かった。これは紛うことない事実である。
本当は子どもたちとともに教員生活を、もっとたくさん過ごしたかった。
どれだけ同僚に恵まれなくても、子どもたちの笑顔に救われることばかりだった。

いわば、笑顔が私にとってのバンソウコウだった。


でも、私は今思う。

辞めたことは後悔していない。胸を張って今、幸せだと言える。
辛いことも多く経験したが、大切な人たちの存在に助けられた。私は幸せ者である。

4月からは転職し、民間から教育に関わりながら教育について考え発信すると決意している。

並行して、教員免許の新たなものの取得にも挑戦している。

いつかまた、学校現場に戻ることがあれば、私は心の傷に貼ってあげられるバンソウコウ(=笑顔)をたくさん生み出せる人でありたい。

子どもたちの、苦しんでいる同僚の心の傷を癒せる人になりたい。

これからも真摯にまっすぐ、学びをやめずに生きて行こうと誓った。

来年の桜はどんな風に目に映るのだろう。

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