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画文の人、太田三郎

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このマガジンで取り上げるのは、明治大正期にスケッチ画や絵物語で活躍した太田三郎という画家である。洋画家として名をなしたが、わたしが関心があるのは、スケッチ画の画集や、絵葉書、伝承…
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#ハガキ文学

太田三郎の写真:『ハガキ文学』明治43年1月号(第7巻第1号)「師の面かげ」

 太田三郎の肖像写真としては、過去記事「画文の人、太田三郎(5) 日本画について」で『沙夢楼画集』の口絵写真を紹介した。  花の中に立つという特色ある構図である。  今回、雑誌『ハガキ文学』明治43年1月号(第7巻第1号)の「師の面かげ」という口絵写真(折り込み2ページ)に太田の肖像があることがわかった。  オリジナルからのコピーより作成した図版であり、少し立体感が減衰しているが、人々の表情はよくわかる。『ハガキ文学』の投稿欄の選者たちの肖像写真である。「師」というのは

太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の3・最終回)

 今回が最終回である。  太田三郎の『欧洲婦人風俗』は、太田が渡欧した際に見聞した女性の衣装について、6枚の三色版による図版と、解説文によって示した小冊子である。  版元の婦女界社は、『婦女界』という女性雑誌を発行していた。雑誌『婦女界』の何らかの懸賞当選を記念する冊子であった可能性が高い。 1 カンパニアの野で  6枚目の絵の題は《ローマの夕》である。  解説文は次のように、まず、ローマのカンパニアの野について記している。  「鴎外さんの「即興詩人」」とあるが、

《新古小説十二題(二)》田山花袋『蒲団』:画文の人、太田三郎(11)

1 芳子の帰郷  『ハガキ文学』第4巻第2号(明治41年2月1日)の口絵木版、《新古小説十二題》の2回目は、田山花袋の『蒲団』を取り上げている。  『蒲団』は、雑誌『新小説』の明治40年9月号に発表された。太田はこれを読んで、《新古小説十二題》に取りあげたものと推測される。  中年にさしかかり人生に迷いを感じ始めている竹中時雄という小説家が『蒲団』の主人公であるが、文学を学びたいという希望を持つ横山芳子という若い女性を下宿させることから、単調な生活に波乱が起きることにな

《新古小説十二題(一)》森林太郎訳『即興詩人』:画文の人、太田三郎(10)

1 《俗謡十二題》と《新古小説十二題》  太田三郎は、文学と美術を交流させる試みを、雑誌『ハガキ文学』の木版口絵の2つのシリーズ連載で実践している。  1つは《俗謡十二題》といい、小唄・端唄など歌謡の一節に絵をつけたものである。歌謡の一節は、欄外に活字で示されることもあれば、絵の中に組み込まれていることもある。  第4巻第1号(明治40年1月1日)から、第4巻第13号(明治40年12月1日)まで12回連載された。ただし、第4巻第6号(明治40年5月15日)の増刊『静想熱語

太田三郎と『ハガキ文学』の関わり:補説

 さて、これまで調べつつ、太田三郎が雑誌『ハガキ文学』とどのように関わりがあったかを記してきた。  調べるうちに、新しいことがわかってきた。補説として記しておくことにする。 懸賞絵葉書当選  『ハガキ文学』第2巻第2号、(明治38年2月1日発行)の「社告」には、明治37年から投稿された絵葉書図案約千余点の中から優秀作を6作を選び、当選作が発表されている。  文字を起こすと、次のようになる。  次の頁には、四等4名が発表されており、受賞者は全6名となる。  応募した「

絵葉書作者として:画文の人、太田三郎 (9)

はじめに 今回は絵葉書作者としての太田三郎を取り上げる。  1万3千字を超えて少し長尺になったが、分割せずに一括で公開する。  わたしは絵葉書を幅広く蒐集しているわけではないので、太田の絵葉書の全容を明らかにする力はないが、なるべくオリジナルの図版を用いてその魅力を伝えたいと考えている。また、絵葉書流行の文化史的背景も視野に含めながら書き綴った。  ご一読くださればありがたい。 1 絵葉書作者としての太田三郎絵葉書の応募がきっかけ  美術雑誌『藝天』の1928年12月号に

雑誌『ハガキ文学』における活動 画文の人、太田三郎 (8)

太田三郎と絵葉書 さて、太田三郎と絵葉書の関係を考えるとき二つのアプローチが可能である。  まず一つ目は、絵葉書ブームに随伴する形で、博文館が日本葉書会を組織して刊行した雑誌『ハガキ文学』における記者としての活動である。  二つ目は、絵葉書の制作者としての活動である。  今回は、雑誌『ハガキ文学』と太田の関わりについて記すことにしたい。 『ハガキ文学』と太田三郎『ハガキ文学』について  雑誌『ハガキ文学』は日本葉書会が発行元であるが、実質は当時の大手出版社博文館が運営して

絵と文を響かせる 画文の人、太田三郎(7)

 回を重ねてきたので、分かりやすいように、今回からサブタイトルを前に置くことにした。  今回は太田三郎の、絵と文章を組み合わせる画文共鳴の試みについて紹介してみよう。  前回と同じく、太田三郎の熱烈なファンの寄稿の引用から始めることにしたい。 若き画家への賞賛 『ハガキ文学』第4巻第8号(明治40年7月1日、日本葉書会)の読者投稿欄「如是録」に日本橋住みの江原蘆村の「若き画家(大田三郎氏)」という熱烈な調子のファンレターが掲載されている。  蘆村という雅号を使っているが、

画文の人、太田三郎(6) ファンの声

 もともと、この連載は、ゆるゆるで調べていくプロセスも含めて書いていこうとしていたのだが、調査が進むと、もう少し深めてみようという欲が出てきて、掲載が遅れがちになる。  現在、絵葉書を扱う回はほぼ構想が固まっているが、太田のオリジナル絵葉書が1枚しかないので、もう少し集めたいという気持が出ている。  複製使用の許諾を得たところもあり、絵葉書の図版は複数あげることができるのだが、オリジナルを紹介したいという思いがある。  雜誌『ハガキ文学』の回も調べは進んでいるが、これも完全を