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変わらずそこにあり続けることの難しさ

今日1つのお別れがありました。

娘の保育園近くの小僧寿しが、今日をもって閉店とのこと。

以前から前を通るたび「なんか張り紙してあるな」くらいに気が付いていたのですが、今日たまたま雨だったのでベビーカーで前を通りかかり、張り紙を読んだら、まさかの今日で閉店。

私は以前、twitterで「保育園近くのお寿司屋さんでいつも娘が声かけてもらって元気になれた」と書いていたことがあって。私にとって娘の保育園入園に合わせて買ったマンション周辺は地元でもなく、ワーママのため地域の交流も一切ない、マンションの住人でさえ知り合いが全然いない状況。そのなかフルタイムで、夜、毎日の送り迎えを徒歩20分かけて帰る道のりは辛いものがありました。

そんな時、もう夕飯作りに疲れてたまたま寄った小僧寿しで、パートのおばちゃんと仲良くなりました。その時は精神的にも参っていた時期で、「可愛いね、いくつ?」と聞かれるだけでも拒否反応してしまう様な感じだったのですが、疲れ果てていたのかおばちゃんの不意の優しさにホッとしたのを覚えています。

それから毎週水曜日の巻き寿司100円の時だけ、ちょくちょく寄らせてもらう様になりました。

毎回、おばちゃんでなくても、店員さんにはよくしていただいて、お寿司の形をした飴をいただいたり、お寿司ができるまでの間、ちょっとした気分転換にお話をさせていただいたり、、、私としては大事な「地域との関わり」だったのです。

変わらずそこにあることで、誰かの支えになっていることもある

張り紙を読んだ瞬間、一旦は通り過ぎた道を戻り、足は店舗に向いていました。尋ねるとそこには片付けをしている店員さん。もちろんもうすでに冷蔵庫は空っぽ。商品もなくあとは店じまいするだけ、という状況でした。
(私が訪ねた時点で19時30分くらいだったので)

「もう終わっちゃったんですよ〜商品ないですよ」と言い終わると同時くらいに「あの!いつも帰りに寄らせていただいていて!娘によくしていただき本当にありがとうございました!」と、つい声に出ていました。

店員さんも一瞬びっくりしていましたが、笑顔で「まぁまぁそれは、こちらこそたくさんきていただいてありがとうございました」と言っていただき、一気に和気藹々に。バックヤードからもおじちゃん出て来るし。

つい、泣きそうになってしまいました。

ぐっとこらえながら「本当に、ありがとうございました、結構支えになっていて...」とお辞儀する私に、おじちゃんとおばちゃんは、最後だからと、いつも子供達に配っていた折り紙や紙のおもちゃを、「持っていきな!」と娘にたくさん持たせてくれました。閉店準備の中だったのでちょっとしか要られませんでしたが、もし今日が雨でなくていつもの様に自転車で通り過ぎていたら、きっと挨拶は叶わなかったな、と思うと、雨でよかったなぁと思ったのです。

「いつもそこにある」だけで、どれだけ救われていたんだろう。と、帰り道感謝の気持ちでいっぱいでした。ありがとう、小僧寿しのおばちゃん。

自分のしていることが、誰かの支えになっているかもしれない

本当にたまたま、こんな記事を読みまして。

言葉で世界をデザインする。「自分のミッションの見つけ方」

「『場所が決まれば修行が決まる』という先人の言葉があるように、どの場所に根を下ろすかはとても大切なんです」

先日、コーチングを受けました。
「20年後どうありたいか」という、未来の自分にフォーカスしてこれからのライフプランを考える、という体験をしました。

20年後、私はどこかの地域で誰かに優しくして、そこに生きる人の人生を、
ちょっとでも良い方向に向けるお手伝いができているんだろうか。

私がnoteを始めたきっかけは、単純に会社の採用のためでした。

会社に今後増えていくデザイナーが、先人として働く私の人となりを知りたいときに、noteを読んでもらえば少しは理解してもらえるんじゃないかな、と。本当はもうちょっとデザイン系のエントリー増やしたいんですけどね。

「連続投稿チャレンジ」も、今日で17日目になります。

「継続を一番続けるコツは、習慣にしてしまうこと」とよく言いますが、私の場合だいたい1ヶ月くらいしたら、習慣になる様な気がするので、もうちょっと頑張ってみます。思えば最初よりも抵抗無くなってきたな。

「僕はまだ「好きを仕事に」とか「好きなことをやる」という表現には抵抗がある。だが「好きな自分でいられることをやる」という表現だと、しっくりくる。ヨガもこのnoteも、やっていると好きな自分でいられる。」

これはなんとなく今ならわかる気がします。noteもデザインもそう。

続けることで、誰かの目に触れる。私がたった1つの飴で元気をもらい続けて、地域とのつながりを感じた様に、日本のどこかで、ワーママとしてやっている私が考えていることが、誰かの勇気になっているかもしれない。

いつか、いつの日か、娘が大きくなったときに、ママがこんな風に思って育児をしていたことを知ってくれるかもしれない。

そう思うと、noteに書く1行1行が私であり、すべてなのだということ。

noteを覗けば、いつも私がそこにいる様な存在として。

自分が書きたいから書いて、それで誰かに元気を与えられたら嬉しい。

〜「もし誰も来なくてもそれをやるか?」答えが「やる」ならもう大丈夫だ。〜

私は毎日、あのお寿司屋さんのパートのおばちゃんのような、ちょっとだけ日常を彩ることができるのならと、今日もまたつらつらとnoteを書くのです。

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noteでよかったこと

株式会社Beeworks→Fringe81(広告代理店)に在籍中。女性ファッション誌やDM、webデザインをやっています。小さい頃の口癖は「私強い子だから泣かないもん」