小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実です~ルカの福音書16章~ゆっくり通読しよう
1.不正な管理人の話
無駄遣いが発覚した管理人は解雇されるまでの間に主人の債務者たちに証文を減らして書かせる。恩を売り、無職になった時によくしてもらうために。主人は管理人の抜け目なさを褒めた
債務者は土地の使用料を収穫物で物納する人たちと考えると、物の価値は変化するので借金そのものの減額とは多少意味合いが違ってみえました。減額された割合がそれぞれ違うのが不思議です。金銭に換算したらだいたい同じ額なのだそうですが。
♦︎神様から見ての不正か、人から見ての不正か
①神様の目に不正
*不正→正しくない→不信仰→ノンクリスチャン→この世の子ら
となり、行動そのものが不正なのではない。
・無駄遣いをしたが悪事を働いてはいない。
・証文の減額はしたがそれは管理人としての権限内でのことだった。
②人の目から見た不正なら
*行動そのものが不正だった。
・主人の財産を管理人が浪費して損をさせた。
・自分のために主人の債権まで勝手に減額して損をさせた。
・損をしたのに、抜け目ないと褒めるこの主人はありえないほどの大金持ちだった。
「小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実です。」
小さなこととされる不正な富とは『この世の富』という意味だそう。自分の持っているものは全て神様から任されているもの。①②どちらにしても、光の子クリスチャンはこの世の子らのやり方を見習って『権限、財産、能力、時間など全てのものを活用して有効(他人を助けるため)に使うなら、この世の命が終わった時に、神様が天国に迎えて入れてくださる。そして、神の国での働きに加えて下さる。〜『まことの富』の管理の働きとは、どんな仕事なのかな。
2.二人の主人
当時お金は神からの祝福の証拠だとして金銭に執着するパリサイ人たちを非難し、神の前では忌み嫌われるものだと言われた
「あなたがたは、神と富とに使えることはできません。」
富が悪いのではなくて、優先順位の第一に神をおくということ。
3.結婚と姦淫
当時パリサイ人は律法を都合よく解釈し、結婚を傘に女性に対して一方的に離縁と結婚を繰り返していたことを姦淫だと指摘された。
「律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びる方が易しいのです。」
律法による救いの時代は終わったけれども、モーセの律法に書かれていることは、なおも全て生きている。
4.金持ちとラザロ
金持ちはハデスの苦しみの中で兄弟たちがこんな目に合わないようにとアブラハムにラザロを送り警告してほしいと願った
『モーセと預言者たちに耳を傾けないなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない』
この金持ちは自分の兄弟たちに対しては愛情深かったのに、永遠に比べるとほんの一瞬の生きている間の不信仰のため、ずっと苦しまなくてはいけないと思うと、少し気の毒になる。
どうしても、永遠の滅びに対しては目を背けてしまいます。これは私にとって、一番怖くて信じ難い真実だからです。
信じない者の耳は、固く閉ざされている。実際、イエス様の復活も信じなかったのだからその通りだと思います。
一方、天国の片隅でほっこりとお風呂に座っているような幸せな顔のラザロを想像します。ラザロは金持ちの門前で瀕死の時、イエス様の福音に触れて信じ天に名前が記されたのでしょうね。
私も天国の片隅にほっこりと入れればそれでいいような気になりました。
というのは、語られるイエス様の口調が厳しくて自分に言われているような気になって読み進めていたからです。でも、神様はいつも私に対して愛あふれる方だったことを思い出しました。私のために命を捨てて下さった方です。
パリサイ人にも、イエス様は「あなた方は生きてるのだから時間がまだ残されているのだよ。」と教えておられるのだと思います。
そして、固く閉じた耳を開いて下さるのもやはり神様だと信じ、そのことについても祈りたいと思いました。
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参考---ルカの福音書16章(新改訳2017)---
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