めんどりがひなを翼の下に集めるように〜ルカの福音書13章〜ゆっくり通読しよう
1.悔い改めないなら、みな同じように滅びます
📖ガリラヤ人とシロアムの十八人の災難
神殿でいけにえを捧げてる時にピラトに殺されてしまったガリラヤ人やシロアムの塔の下敷きになった十八人。誰かに災難が起こった時に、『どうしてこんなことが?』って疑問がわくことがあります。
イエス様は「ほかの人より、罪深いから災難にあって死んだ」なんて答えはあっさり否定されて、それとは全く次元の違う話をされているように、感じました。
「悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
『死にます』ではなく、『滅びます』と言われているのをみると、この人たちは、生きている間にイエス様を、救い主と認めなかった人たちなのではないかと思いました。
『死ぬこと』でなくて『滅びること』が、本当の、そして自らが招く災難なんだと思いました。
それにしても、こんなところであのイエス様を十字架につけたピラトの名前を見つけてしまった!
📖ぶどう園に植えられたいちじくの木
収穫のための土地を三年間いちじくの木に割いているのに、実がならない。ぶどう園の番人のとりなしによって、いちじくの木は知るか知らずか、残された猶予はあと一年。その猶予期間に十分すぎる肥料(愛、関心、語りかけ、招き…などだろうか)を与えられても
「悔い改めないならみな同じように、滅びます。」
私たちのためもイエス様がとりなしをしてくださるっていることに感謝します。
また福音を語られる側にも語る側にも、時間は有限だと思わされました。
2.会堂での出来事
📖安息日、病の霊からの癒し
十八年間病の霊につかれた女性の癒しでは、病気が病の霊のせいであったので、あれ?って思いました。ここまで悪霊の追い出しと癒しは並べてあったので、別ものという印象だったから。これは違う種類の癒しなのかな。
"働くべき日は六日ある"と言った会堂司も群衆も、イエス様に諭されて、"みな恥いってイエス様のみわざを喜んだ"。なんだかこの人たちは素直だなって思いました。これまでパリサイ人との対決ばかりだったから。
📖からし種の話
会堂で教えておられたのだから、人々は聞く耳を持っていたのだろう。イエス様が植えた小さな小さな信仰の種が空の鳥が巣を作れるほどに生長し人々に広められ、信じる人々の心が神様で満たされることを、イエス様はどれほど切望されただろう。
3.狭い門から入るように努めなさい
狭い門とはイエス様のことだろうか。
「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」と言われてたから。
最初に福音を聞いたユダヤ人は拒否し、そのため救いが全世界に広がり、東から西から南から北から異邦人が招きに応じイエス様を救い主と信じた。後の者が先になるということだね。ユダヤ人がたくさん救われるのは携挙の後だそうだから先の者が後になるんだね。
4.イエス様の深い悲しみ
ヘロデから逃げなくても、イエス様がエルサレムに入城するまでは死ぬことはあり得ない。だから、すべきことをし、前進あるのみ。ヘロデのことを狐と言われたのは、恐るるに足りないものだからだろうか。イエス様の強い決意となにか孤独のようなものが感じられた。
「エルサレム、エルサレム。・・・わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。」
イエス様のはかり知れない慈しみと深い悲しみが胸に迫ってきます。自分のいのちと引きかえにしてでも救いたい、愛してやまない者たちが自分に背を向け憎みさえする、心の底からにじみ出てくるような悲しみ。
「おまえたちが『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」
否定形で終わっているけど、この言葉は、エルサレムがイエス様をみる時が必ず来るという希望に聞こえました。
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参考---ルカの福音書13章(新改訳2017)---
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