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信仰の弱い人への配慮〜ローマ人への手紙14章〜ゆっくり通読しよう

1.神との個人的関係

📖個人的関係について思うこと
「神様がいるなら、どうして罪もない人や弱い子どもたちが、災害や戦争、飢餓、不幸な事件事故の犠牲になるのだろう。だから神様なんて信じない。」
何年か前まではそんな言葉をよく聞きました。最近ではそんな疑問すら聞かなくなって、みんなが神様に無関心になってなんだか異質のもののようになってしまってると感じますが。

なぜ?は苦難の中にいる人が神様との一対一の関係の中で個人的に求めていくしかないものだと思います。その応えは人それぞれ違っているだろうし、側から見て、ああだこうだと軽々しく言えるものでは決してない、深くて辛くて苦しいところを通らされる、でもそこに神様の守りがあったこと、求めるなら神様は必ず応答して下さることを信じたいです。
長い長い永遠の中で、この世に生きている時間はほんの一瞬のはずです。

📖心の中を見られる神様
神様は私たちに全てのことに対して自由を与えてくださっています。なのに、古い考え方やしきたりに縛られて肉やぶどう酒を飲まない信仰の弱い人もいる、
それはその人なりの神様への感謝の表れなのだから、見下したりさばいてはいけないとあります。

たとえ未熟さゆえに間違っていたとしても、神様はなぜそうしたかという動機を見てくださるということだね。
そして、誰でも神様との一対一の関係や祈りの時を持っているのなら、その人は主のしもべで、主が訓練されていく人です。そうならば、人がその人をさばくことは決してできないです。

2.信仰の弱い人への配慮

信仰の弱い人が、クリスチャンが肉を食べたりぶどう酒を飲んだりしているのを見て疑問を抱き神様から離れてしまわないために、そのようなことは控えなさいと、配慮が求められています。

信仰の弱い人とは、神様をまだ深く知らない人でしょうか。成長の速度は人それぞれ違うので年数とは必ずしも一致しないのかもしれません。せっかく教会まで足を運んできた人が神様を深く知る前に離れていってはもったいないです。

本当はしてもよいことでさえ、その人の思い込みによってつまずかせるのだから、よくないことはなおさらだと思います。人をつまずかせるものは人の言動すべてだと思います。

「人を信じないで神様を信じなさい」

この言葉が好きで、支えられてきました。"人は間違うけれど、神様は絶対間違えない。人につまずかないで、そのことにも神様がはたらかれることを信じなさい" ということだと思います。
愛の配慮ができる成熟したクリスチャンはごく僅かなのかもしれないです。ましてや自分の心の中はほど遠いと思わされます。
この日本で人が神様に関心をよせるという1%に満たない奇跡、そしてその背後にあるいろんな人々の切なる祈りにも心を留めたいと思いました。

📖最後に
ここでの配慮は信仰の弱い人がつまずかないためもので、教理に関するものとはまた違うのだろうと思いました。

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参考---ローマ人への手紙14章(新改訳2017)---


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